ゲオルク・ヴィルヘルム・フォン・ハノーファー (1880-1912)

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ゲオルク・ヴィルヘルム
Georg Wilhelm
ハノーファー家
A. & H. Brunotte PC 0101 Bildseite Brustbild Georg Wilhelm, Prinz von Großbritannien und Irland, Herzog von Braunschweig-Lüneburg, hier mit Medaillen auf Postkarte mit Trauerrand.jpg
ゲオルク・ヴィルヘルム(1912年頃)
全名
出生 1880年10月28日
Flag of Austria-Hungary (1869-1918).svg オーストリア=ハンガリー帝国グムンデン
死去 1912年5月20日(満31歳没)
ドイツの旗 ドイツ帝国
Flag of Prussia 1892-1918.svg プロイセン王国、ブランデンブルク州ナッケル
父親 エルンスト・アウグスト2世
母親 ティーラ
宗教 キリスト教ルーテル教会
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ゲオルク・ヴィルヘルム・フォン・ハノーファー・ウント・クンバーラントドイツ語: Georg Wilhelm von Hannover und Cumberland, 1880年10月28日 - 1912年5月20日)は、ハノーファー王国の王族の子孫。ハノーファー王子およびカンバーランド公子、グレートブリテン及びアイルランド王子、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公。グレートブリテン貴族であるカンバーランド=テヴィオットデイル公英語版法定推定相続人としてアーマー伯(英語: Earl of Armagh)の儀礼称号で称された。

生涯[編集]

1880年10月28日、ハノーファー王太子であったカンバーランド=テヴィオットデイル公エルンスト・アウグスト(2世)とその妃であったデンマーク王女ティーラクリスチャン9世の三女)の間に長男(第2子)としてオーストリア=ハンガリー帝国グムンデンに生まれた。家族からは「太っちょ」(Plumpy)と呼ばれた。

大尉としてオーストリアの第42連隊に勤務した。1910年6月8日、イギリス王ジョージ5世からロイヤル・ヴィクトリア勲章ナイト・グランド・クロスに叙された[1]。同年にウィーンで運転免許を取得し、レースやラリーに参加した。

1912年5月20日、伯父のデンマーク王フレゼリク8世の葬儀に参列するために自動車を運転していたところ、ドイツ帝国プロイセン王国ブランデンブルク州英語版ナッケルドイツ語版(現在のドイツ連邦共和国ブランデンブルク州オストプリグニッツ=ルッピン郡ヴシュターハウゼン/ドッセドイツ語版)で交通事故死した。31歳であった。未婚だったために子はなく、次弟のクリスティアンは既に死去していたため、ハノーファー家家長やカンバーランド公の法定推定相続人は末弟のエルンスト・アウグスト(3世)となった。

出典[編集]