ゲオルギー (キエフと全ルーシの府主教)

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ゲオルギーロシア語: Георгий)はキエフと全ルーシの府主教(在位:1068年頃 - 1076年頃)。ビザンツ出身。

府主教であると同時に、σύγκελλοςの称号を持つビザンツの元老院議員でもあった。このことは、現存する彼の3つの公印からわかる。

経歴[編集]

1060年代末にコンスタンティノープルにて総主教ヨハネス8世により府主教に叙聖された。同年ストゥディオス修道院修道士ミカエルを伴ってキエフに到着。

1072年ヴィシゴロドで行われたボリスとグレプの聖骸の移送(ヴィシゴロド諸公会議)に参加した。これは彼らの列聖の儀式の一過程であり、「過ぎし年月の物語」で描かれている。キエフ大公イジャスラフ1世が建設した教会に彼らの聖骸が運び込まれた。

1073年にはコンスタンティノープルに一時帰国した。

また彼はロストフの初代主教にして、後に殉教するレオンチーの叙聖をおこなった(1073 - 1076年頃)。

1076年頃にビザンツに帰国。これ以降、彼に関する記録はない。

ルーシへのカトリック布教を試みたローマ教皇グレゴリウス7世に宛てて「ラテン人との論争」という題目の著作を残した。

先代
エフレム
キエフと全ルーシの府主教
1068年頃 - 1076年頃
次代
イオアン2世