ゲオルギー・ダネリヤ

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ゲオルギー・ダネリヤ
Георгий Данелия
Георгий Данелия
生年月日 (1930-08-25) 1930年8月25日(86歳)
出生地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
Flag of Transcaucasian SFSR (1925-1936).svg ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国 トビリシ
職業 映画監督
活動期間 1959年 -

ゲオルギー・ダネリヤ: Георгий Данелия、1930年8月25日 - )は、ロシア映画監督。ロシア国籍グルジア人

来歴[編集]

1955年、モスクワ建築大学卒業。その後はモスフィルムの上級監督コースを修了し、1959年からモスフィルムで監督として働きはじめる。

最初の長編映画作品はヴェーラ・パノワ(Вера Панова)の中篇小説を題材とした『セリョージャ』(1960年、イーゴリ・タランキンと共同監督)であった。この作品は、カルロヴィ・ヴァリ映画祭をはじめとするいくつかの国際映画祭で賞を獲得した。

『僕はモスクワを歩く』(1963年)で滑稽さと悲しみ、皮肉とリアリズム、そして複雑な性格とドキュメンタリー調に映された街の風景を結合させる自身のスタイルを確立。日本でも上映された[1]。このほかの日本公開作に『不思議惑星キン・ザ・ザ』(1986年)がある(日本公開は1991年)。

またソ連国内で最も観客動員数が多かったのは『アフォーニャ』(1975年)である。タシケント国際映画祭で大賞を受賞している。

その他の作品としては、モスクワ国際映画祭で金賞を獲得した『ミミノ』(1977年)や、サン・セバスティアン国際映画祭で大賞を獲得した『秋のマラソン』(1979年)などがあげられる。

監督作品 [編集]

(観客動員数などの基本データは、Энциклопедия отечественного киноおよびセルゲイ・クドリャフツェフ[2]による)

出典[編集]

  1. ^ 1964年10月 第2回ソビエト映画祭(10月28日 東京・有楽町読売ホール、10月30日 新潟・松竹大竹劇場)で上映:ロシア映画社アーカイブスより。
  2. ^ クドリャフツェフ編の観客動員数の統計資料については、次の文献を参照のこと。西周成『映画 崩壊か再生か』(アルトアーツ、2011年9月)24ページ、同『タルコフスキーとその時代』(アルトアーツ、2011年4月)83~86ページ。
  3. ^ アテネ・フランセ文化センターでの上映時の日本語題。直訳は「僕はモスクワを歩く」。
  4. ^ 監督の自伝 Безбилетный пассажир. М.,:Эксмо, 2011. による。

参考文献[編集]

  • Некипелов А.Д. (глав. ред.) Новая Российская энциклопедия. М., 2003.,Т. 5.
  • Щукин А.Н. Кто есть кто в русской истории:2000 известных россиян. М., 2011.
  • 『新版 ロシアを知る事典』(平凡社、2004年1月)