ケー・スンヒ

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獲得メダル
朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮
女子 柔道
オリンピック
1996 アトランタ 48kg級
2000 シドニー 52kg級
2004 アテネ 57kg級
世界柔道選手権
1997 パリ 52kg級
1999 バーミンガム 52kg級
2001 ミュンヘン 52kg級
2003 大阪 57kg級
2005 カイロ 57kg級
2007 リオデジャネイロ 57kg級
アジア大会
1998 バンコク 52kg級
2002 釜山 52kg級
アジア柔道選手権
1997 マニラ 52kg級
1999 温州 52kg級
ケー・スンヒ
各種表記
ハングル 계순희
漢字 桂順姬
発音 ケ・スニ
英語表記: Kye Sun-hi
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ケー・スンヒ(桂 順姬、Kye Sun-hi、1979年8月2日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の女子柔道家。身長158cm。1996年アトランタオリンピック柔道女子48kg級金メダリスト。48kg級、52kg級、57kg級の3階級で活躍した[1][2]。 北朝鮮国内においては最高勲章である金日成勲章と労働英雄の称号を受けている[3]

経歴[編集]

1979年8月2日平壌で出生。柔道は10歳の時に始めた。1995年には48kg級の選手ながら国内の無差別大会で優勝を飾っている[4]

牡丹峰高級学校に在籍していた1996年には、ワイルドカードにより16歳で初出場したアトランタオリンピック女子柔道48キロ級で、この階級で84連勝を記録していた無敵かつ初の五輪金メダルが期待されていた日本の田村亮子(現:谷亮子)を破って金メダルを獲得[1][4]、世界を驚かせ、帰国後に金正日から「人民体育人」の称号と豪華な乗用車や高級アパート、そして朝鮮労働党の党員資格を贈られた。また、ケーの金メダル獲得を記念した切手が発行されたが、ガッツポーズをするケーに加えて、その横で愕然とする田村も写っているという、日本への優越感を露骨に描写した切手となっている[5]

なお、この決勝戦でケーが「柔道着を左前に着てはならない」という暗黙のルールを破ったため、それまではルールに記されていなかった柔道着の着方について国際ルールで明記されるようになった。田村は決勝戦で組み手を取りにくそうにしており、田村を破ったことはこのこと、そしてまったくデータが存在していなかったことが大いに影響を与えていると考えられる[6][7]

翌年には52kg級に階級を上げると、世界選手権では決勝まで進み、アトランタオリンピックで優勝した地元フランスのマリー=クレール・レストゥー相手にポイントでリードしていたものの、終了30秒前に逆転の総合負けを喫して2位に終わった。試合終了後はその判定に納得いかず、暫く畳に仁王立ちしていた[2]。1998年のアジア大会では優勝を飾った[2]。1999年の世界選手権では準々決勝で楢崎教子大外刈で敗れるが、敗者復活戦を勝ち上がり3位となった[2]。2000年のシドニーオリンピックでは準決勝でキューバのレグナ・ベルデシアに1-2の判定で敗れて3位にとどまった[1]

2001年の世界選手権では決勝でドイツのラファエラ・インブリアーニを技ありで破って優勝を遂げた[2]。2002年のアジア大会では準々決勝で中国のショウ東妹に判定で敗れて3位に終わった[2]。2003年には階級を57kg級に上げると、チェコ国際では岩田千絵に敗れて3位だったものの、世界選手権では決勝でドイツのイボンヌ・ベニシュに棄権勝ちして2階級制覇を達成した(オリンピックを含めれば3階級制覇となる)[2]。しかし2004年のアテネオリンピックでは決勝でベニシュの前に指導1で敗れて2位に終わった[1]

2005年の世界選手権では決勝でベニシュを内股で破って優勝を飾った[2]。2007年の世界選手権では決勝でスペインのイサベル・フェルナンデス払巻込で破って世界選手権4連覇を達成した[2]。2008年にはドイツ国際に63kg級で出場したが、3回戦で上野順恵に技ありで敗れて3位だった[2]北京オリンピックには従来の57kg級で出場するものの、2回戦でフランスのバーバラ・アレルに技ありで敗れてメダルを獲得できずに終わった[1]

2010年10月に現役引退を表明し、牡丹峰体育団の柔道コーチに就いたことが報じられた[8]

人物[編集]

韓国でも人気があり、2002年釜山アジア大会では地元出身で韓国の国民的英雄といわれるロサンゼルスオリンピック柔道95kg級金メダリスト河亨柱とともに最終聖火ランナーをつとめた。北朝鮮にとってメダルが取れる数少ない選手でもある。2006年3月1日、柔道コーチのキム・チョルとの結婚を発表した[8]

主な戦績[編集]

52kg級での戦績

57kg級での戦績

(出典[1][2]JudoInside.com)。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f Biography and Olympic Results
  2. ^ a b c d e f g h i j k listes des judokas
  3. ^ Kye Sun Hui pinned high hope to win gold at Olympics for DPRK
  4. ^ a b [大波乱 YAWARA銀の涙] 夕刊フジ 1996年7月28日
  5. ^ 内藤陽介『北朝鮮事典―切手で読み解く朝鮮民主主義人民共和国』竹内書店新社 2001年 ISBN 4-8035-0316-8
  6. ^ 「第26回オリンピックアトランタ大会柔道競技」近代柔道 ベースボールマガジン社、1996年9月号
  7. ^ 【記者は見た~あの五輪】北の天才少女の「左前」 1996年アトランタ五輪・前編 産経新聞 2012年7月6日
  8. ^ a b アトランタ柔道金ケー・スンヒが現役引退」 2010年10月9日付『日刊スポーツ

外部リンク[編集]