ケン・ノートン

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ケン・ノートン
Kenny Norton.jpg
2010年6月13日撮影
基本情報
本名 ケン・ノートン
階級 ヘビー級
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 1943年8月9日
出身地 イリノイ州モーガン郡ジャクソンビル
死没日 2013年9月18日(満70歳没)
死没地 ネバダ州ラスベガス
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 50
勝ち 42
KO勝ち 33
敗け 7
引き分け 1
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ケネス・ハワード・ノートンKenneth Howard Norton、男性、1943年8月9日 - 2013年9月18日)は、アメリカ合衆国プロボクサーイリノイ州ジャクソンビル出身。

プロボクシング史上最初にして唯一“世界タイトルマッチで一度も勝利したことが無い世界王者”。その強打でモハメド・アリの顎を割った経験を持つ。ヘビー級には珍しくボディ攻撃のできる実力派だったが、ビッグマッチにおける僅差の判定負けなど不運な印象を残した。筋骨隆々とした肉体とハンサムな風貌から、俳優としてTVドラマや映画に出演している(「マンディンゴ」「ドラム」)。また、「ロッキー」でアポロ・クリード役を演じる予定だったが、都合によりカール・ウェザースに変更となった。

息子のケン・ノートン・ジュニアスーパーボウルを3年連続制覇した元NFL選手。

来歴[編集]

高校時代、陸上競技とアメリカンフットボールの選手として注目され、北東ミズーリ州立大学(現トルーマン州立大学)へスポーツ奨学生として入学する。その後、アメリカ海兵隊に入隊し、サンディエゴの基地でボクシングと出会う。除隊後、ジョー・フレージャーのスパーリングパートナーを務めながら、1967年11月14日、プロデビュー。

1973年3月31日、サンディエゴで元世界ヘビー級王者モハメド・アリと対戦。戦前は無謀なマッチメイクと評されていたが、12ラウンド判定勝ちの番狂わせで北米ヘビー級タイトルを獲得。アリは第2Rにノートンのパンチを受けて顎を骨折し、ノートンは「アリの顎を砕いた男」として名を馳せる。

1973年9月10日、モハメド・アリとの再戦に臨むも、僅差の12ラウンド判定負け。

1974年3月26日、ベネズエラカラカスジョージ・フォアマンの持つWBA・WBC世界ヘビー級王座に挑戦するが、フォアマンの強打に為すすべなくダウンし、2ラウンドKO負け。

1976年9月28日、ニューヨークヤンキー・スタジアムにおいてモハメド・アリの持つWBA・WBC世界ヘビー級王座に挑戦。序盤から優位に試合を進め、最終15R終了後には勝利を確信していたが、ラウンドシステムの判定で0-3の判定負けを喫する。第2戦に続き、この判定結果も物議を醸した(アリとの計3戦は、ノートンの1勝2敗となった)。

1977年11月15日、ジミー・ヤングと世界ヘビー級王座挑戦者決定戦で対戦し、僅差の15ラウンド判定勝ち。

1978年3月、この年の2月15日にアリとの世界ヘビー級タイトル戦で判定勝ちして世界ヘビー級王座を獲得したレオン・スピンクスが初防衛戦でWBCが指定したノートンとの対戦を拒否してアリとの再戦を選んだため、スピンクスから王座を剥奪したWBCによって世界ヘビー級チャンピオンに認定される

1978年6月10日、ネバダ州ラスベガスシーザーズ・パレスで初防衛戦にラリー・ホームズと対戦。1ポイント差の15ラウンド判定負け(143-142、142-143、142-143)を喫し、王座から陥落した。

1979年3月23日、アーニー・シェーバースとWBC世界ヘビー級王座挑戦者決定戦で対戦、1ラウンドKO負け。

1981年5月11日、ニューヨークでジェリー・クーニーと対戦し、1ラウンドKO負け、引退。

1986年、自動車運転中に自損事故を起こし、頭がい骨骨折の重傷を負う。事故前後の数年間の記憶を失い、歩行や発声にハンディキャップを抱える。

2013年9月18日、ネバダ州ラスベガス近郊にて死去[1]。70歳没。

戦績[編集]

  • プロボクシング: 50戦 42勝 (33KO) 7敗 1分

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

空位
前タイトル保持者
レオン・スピンクス
第7代WBC世界ヘビー級王者

1978年3月29日(認定) - 1978年6月9日

次王者
ラリー・ホームズ