ケン・ジョンソン (右投手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ケン・ジョンソン
Ken Johnson
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 Flag of the United States.svgフロリダ州ウェストパームビーチ
生年月日 1933年6月16日
没年月日 (2015-11-21) 2015年11月21日(82歳没)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1952年
初出場 1958年9月13日
最終出場 1970年4月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ケン・ジョンソン(Kenneth Travis Johnson 、1933年6月16日 - 2015年11月21日[1])は、主に1960年代に活躍したアメリカメジャーリーグの元野球選手。ポジションは投手フロリダ州ウェストパームビーチ生まれ。右投げ右打ち。主にヒューストン・コルト45's(現アストロズ)とアトランタ・ブレーブスで活躍、ただ一人の「完投ノーヒッターを達成しながら敗戦した投手[2]である。

経歴[編集]

1952年にフィラデルフィア・アスレチックスに入団し、メジャー初登板はプロ入りから7年目の1958年9月だった。1960年シーズンはメジャーで42試合に登板したものの、翌年シーズン中にシンシナティ・レッズに放出される。同年はワールドシリーズにも登板し2/3回を投げている。

1962年に創設されたばかりのヒューストン・コルト45'sに入団し、1965年シーズン半ばまで先発投手をつとめたが、誕生したての球団だったこともあり、在籍時は負け数が先行する成績だった。そんな中、1964年4月23日の対シンシナティ・レッズとの試合に先発したジョンソンは、相手レッズのジョー・ナックスホールとの投げあいを演じる。しかし9回一死の場面で、ピート・ローズがジョンソン自身のエラーで二塁に進んだ後、内野ゴロで三塁に達し、次打者ヴェーダ・ピンソンの打球を二塁手のネリー・フォックスがエラーし、ローズを生還させてしまった。ジョンソンは次の打者をフライに打ち取り9回をノーヒットで投げきったが、味方打線はナックスホールの前に5安打の完封負け。この試合の翌週、ジョンソンは当時のTV番組『I've Got a Secret』[3]に、『今年の最も悲しい話』という題材で出演することになった。

1965年シーズン中にブレーブスに移籍した後は勝ち星が先行するようになり、1966年には14勝8敗、翌1967年には13勝9敗の成績を残した。1969年はブレーブス、ヤンキース、カブスとシーズン中に3球団を渡り歩き、同年通算1000奪三振を達成。1970年のエクスポズを最後にメジャーリーグから引退した。

2015年11月21日、腎臓の感染症が原因で逝去したことを家族が明らかにした。享年82[1]

通算成績[編集]

投手成績[編集]























防御率
334 231 1737.1 91 7 106 9 1042 1670 157 413 56 26 668 3.46

打撃成績[編集]

  • 通算成績:335試合、534打数61安打、本塁打2、打点23、打率.114

獲得タイトル・記録[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b “ケン・ジョンソン氏死去 メジャー史上唯一となる珍記録の持ち主”. スポニチアネックス. (2015年11月26日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/11/26/kiji/K20151126011579510.html 2015年11月26日閲覧。 
  2. ^ 無安打試合での敗戦は、1967年4月30日のデトロイト・タイガース対ボルチモア・オリオールズ戦で、オリオールズのスティーブ・バーバー(8回2/3)とステュ・ミラー(1/3回)の継投での達成例がある。
  3. ^ 同番組は、「私の秘密」という題でNHK総合テレビが日本語版を製作した当時のアメリカの人気番組である。

出典・外部リンク[編集]