ケン・ジョンソン (右投手)
| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 |
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| 生年月日 | 1933年6月16日 |
| 没年月日 | 2015年11月21日(82歳没) |
| 身長 体重 |
6' 4" =約193 cm 210 lb =約95.3 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1952年 |
| 初出場 | 1958年9月13日 |
| 最終出場 | 1970年4月18日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ケン・ジョンソン(Kenneth Travis Johnson 、1933年6月16日 - 2015年11月21日[1])は、主に1960年代に活躍したアメリカメジャーリーグの元野球選手。ポジションは投手。フロリダ州ウェストパームビーチ生まれ。右投げ右打ち。主にヒューストン・コルト45's(現アストロズ)とアトランタ・ブレーブスで活躍、ただ一人の「完投ノーヒッターを達成しながら敗戦した投手」[2]である。
経歴[編集]
1952年にフィラデルフィア・アスレチックスに入団し、メジャー初登板はプロ入りから7年目の1958年9月だった。1960年シーズンはメジャーで42試合に登板したものの、翌年シーズン中にシンシナティ・レッズに放出される。同年はワールドシリーズにも登板し2/3回を投げている。
1962年に創設されたばかりのヒューストン・コルト45'sに入団し、1965年シーズン半ばまで先発投手をつとめたが、誕生したての球団だったこともあり、在籍時は負け数が先行する成績だった。そんな中、1964年4月23日の対シンシナティ・レッズとの試合に先発したジョンソンは、相手レッズのジョー・ナックスホールとの投げあいを演じる。しかし9回一死の場面で、ピート・ローズがジョンソン自身のエラーで二塁に進んだ後、内野ゴロで三塁に達し、次打者ヴェーダ・ピンソンの打球を二塁手のネリー・フォックスがエラーし、ローズを生還させてしまった。ジョンソンは次の打者をフライに打ち取り9回をノーヒットで投げきったが、味方打線はナックスホールの前に5安打の完封負け。この試合の翌週、ジョンソンは当時のTV番組『I've Got a Secret』[3]に、『今年の最も悲しい話』という題材で出演することになった。
1965年シーズン中にブレーブスに移籍した後は勝ち星が先行するようになり、1966年には14勝8敗、翌1967年には13勝9敗の成績を残した。1969年はブレーブス、ヤンキース、カブスとシーズン中に3球団を渡り歩き、同年通算1000奪三振を達成。1970年のエクスポズを最後にメジャーリーグから引退した。
2015年11月21日、腎臓の感染症が原因で逝去したことを家族が明らかにした。享年82[1]。
通算成績[編集]
投手成績[編集]
| 登 板 |
先 発 |
投 球 回 |
勝 利 |
完 封 |
敗 戦 |
救 援 |
奪 三 振 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
暴 投 |
自 責 点 |
防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 334 | 231 | 1737.1 | 91 | 7 | 106 | 9 | 1042 | 1670 | 157 | 413 | 56 | 26 | 668 | 3.46 |
打撃成績[編集]
- 通算成績:335試合、534打数61安打、本塁打2、打点23、打率.114
獲得タイトル・記録[編集]
- 無安打試合:1回(1964年4月23日)
- ワールドシリーズ出場:1回(1961年)
脚注[編集]
出典・外部リンク[編集]
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Baseball-Reference (Register)
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