コンテンツにスキップ

ケイエスミラクル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ケイエスミラクル
欧字表記 K.S.Miracle[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1988年3月16日[1]
死没 1991年12月15日(4歳没・旧表記)[1]
Stutz Blackhawk [1]
レディベンドフェイジャー[1]
母の父 Never Bend[1]
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ケンタッキー州[1]
生産者 Tsukao Farm[1]
馬主 高田喜嘉[1]
調教師 高橋成忠栗東[1]
競走成績
生涯成績 10戦5勝[1]
獲得賞金 1億3422万6000円[1]
勝ち鞍
GIIスワンステークス1991年
テンプレートを表示

ケイエスミラクルK.S.Miracle1988年3月16日 - 1991年12月15日[1]は、日本競走馬

1990年代に日本で活躍したミスタープロスペクター系競走馬の一頭で、スプリンターとして名を馳せた。通算成績は10戦5勝で、そのうちの3勝でレコード勝ちを記録した。主な勝ち鞍は、1991年のスワンステークス。デビューから3戦目までは佐伯清久、4戦目となる札幌の条件戦からマイルチャンピオンシップまでは南井克巳スプリンターズステークスのみ岡部幸雄が騎乗している。

経歴

[編集]

生い立ち

[編集]

父スタッツブラックホークはアメリカで一般競走を3勝している。種牡馬としてはアメリカで重賞馬を1頭[注 1]、リステッド競走勝ち馬を数頭送り出した程度と、目立った活躍はしていなかった[2]。一方で、母の父は種牡馬として優れた功績を収めたネヴァーベンドだった。

高橋調教師が繁殖牝馬セールにて、ネヴァーベンドの血に注目し母レディベンドフェイジャーを購入。その胎内にいたのが、のちのケイエスミラクルである。日本とアメリカのどちらで走らせるかを高橋が考えた末、日本に輸送する[3]

3歳の9月に来日し、千葉の新田牧場で繋養される[4]。来日してすぐに原因不明の高熱が発生したものの、1週間で完治する。この時のことを、高橋は「日本脳炎のような症状で高熱が出てね。獣医さんには”もうこれはダメかも”と言われて死にかけたんよ。それが1週間でウソみたいに治って」と語っている[5]。 この経験から、高田の冠名ケイエスに「ミラクル(奇跡)」をつけ足した「ケイエスミラクル」という競走馬名が与えられた[6]

デビュー - マイルCS

[編集]

4歳の2月に入厩[7]。入厩時期が遅かったことと、外国産馬で出走レースが限られることもあり[8]、春の新潟芝1600m・未出走戦でデビュー。出遅れて後方に控え、直線外目を一気に追い込むも2着[9]。2週間後の未出走戦では、スタートから向正面まで3頭が競る真ん中で、苦しい位置取りになるも一度下げて外に出し、直線だけで8馬身差をつける圧勝で初勝利を挙げた[10]

その後、連闘で臨んだわらび賞(500万下)は、先行策を取ったものの掛かってしまい仕舞いで競り負け2着に終わる[11]。最終直線でほかの馬が来ると遊んでしまったことから、高橋調教師は続く500万下条件戦の石狩特別では南井克巳を鞍上に迎えて[12]、出遅れたが内々を進み4角で先頭に立ち後続を4馬身突き放す[13]レコード勝ちを収めた[14]。なお、わらび賞に勝っていた場合は、ニュージーランドトロフィーに行く予定だった[15]

次走の900万下条件戦の藻岩山特別では単勝1.1倍の1番人気となり、ゲートで立ち上がってしまい3馬身出遅れるも、4角で並びかけると9馬身差の大差で圧勝[16]。これを3勝目とした。なお前走の石狩特別でレコード勝ちを収めたことで、このレースでは条件戦では前例がない単枠指定馬として選定されている。レース後、そのまま北海道で放牧[17]

厩舎の工事の都合で、8月15日に栗東へ帰厩し[18]セントウルステークスを目標に調教を始める[19]が、前走の藻岩山特別での枠内駐立不全によるゲートの再試験に向けてのゲート練習に時間を割き[20]、思ったような調教ができず[21]、13着と惨敗。なお、ケイエスミラクルが生涯で掲示板を外したのは、故障で競走中止したスプリンターズステークスを除くと、このレースのみであった。セントウルステークス敗北により、スプリンターズステークスの出走に必要な獲得賞金を加算する必要が生じたため、本来目標外だったオープン特別のオパールステークスに出走する[22]。中位を追走し、残り400mからスパートをかけ、レコード勝ちを挙げた[23]

秋の目標としてスプリンターズステークスを掲げていた[24]陣営は、その前哨戦となるスワンステークスを選択。スワンステークスではダイイチルビーダイタクヘリオスバンブーメモリーといった実力馬が揃う中で5番人気に支持された。レースでは好スタートから中団を追走、道中で馬群に包まれながらも、最終直線で中央から抜け出す[25]。1番人気のダイイチルビーをクビ差で抑え切り[14]、初の重賞制覇を果たした。結果としてこれがケイエスミラクルにとって生涯唯一の重賞勝ちとなった。なお、このレースでケイエスミラクルは1分20秒6の日本レコード(当時)を樹立している。

スワンステークス前は出走メンバーにG1馬がそろっていることもあり、勝ち負けまでは考えず[26]、5着までに入れば上出来と考えていた高橋調教師[27]は、当初予定になかった[28]マイルチャンピオンシップへの出走を検討し[29]、レコード勝ちしたこととケイエスミラクルの体調が好調だったこと[30]を踏まえて陣営は、そのままマイルチャンピオンシップへの出走を決めた[31]。スワンステークスで対戦した実力馬に加えてバンブーメモリーオサイチジョージを始めとするGIホースが集結したが、ケイエスミラクルは前走でのレコード勝ちが評価され単勝4.3倍の2番人気での出走となった[32]。レースではスタートはうまく切れたものの、マークしていたダイイチルビーが出遅れてしまって思うようにレースを進められなかったこと、全体のペースが遅くなったことを活かして[33]会心の逃げを打ったダイタクヘリオスを捕まえ切れず、2着のダイイチルビーから2馬身半差の3着に敗れた。

最期

[編集]

本来の予定通りにマイル以上にベストな距離とされた1200mで開催されるスプリンターズステークス[注 2]へ向かうこととなった[14]。ただ、主戦騎手だった南井がスプリンターズステークスと同日に行われる阪神牝馬特別[注 3]に出走するフェイムオブラスへ騎乗するため、岡部幸雄へと乗り変わる事になった。

スプリンターズステークスでは単勝2.2倍の1番人気に支持され[32]、ダイイチルビーが単勝3.0倍の2番人気でこれに続いた。レースは前半3ハロンを32秒2というハイペースで進み、ケイエスミラクルは道中中段に位置した。第4コーナーを曲がり、最後の直線で先頭集団に取り付こうとした時に、ケイエスミラクルは突如失速し、競走を中止した。診断の結果、左第一趾骨粉砕骨折が判明。予後不良と診断され、安楽死の措置がとられた。デビューしてわずか8ヶ月での出来事だった[34]

調教師の高橋は、翌年の始動戦にマイラーズカップを想定し[35]、安田記念から宝塚記念に出走するプランを考えていた[36]。 また、このスプリンターズステークスを勝利したならば、来年はブリーダーズカップへの挑戦をオーナーと話していたという[37]

特徴・エピソード

[編集]

性格はやんちゃで、「子供っぽいところがある」[38]。「(調教が半年遅れた分、)心身ともにふつうの馬より遅れてた」とも高橋調教師は語る[39]

好物はバナナ。平森厩務員は「ホワイトストーンの星川(厩務員)に教えてもらった」とあり、「大好きの感じでバクバク食べてる」と語っている[40]

当時のサラブレッドでは、目と目の間は少しくぼんでいるのが普通だったが、ケイエスミラクルは「へっこんでないでしょ。真っすぐからちょっと膨らんでいるくらい」だと平森厩務員が語っている[41]

ツメの形について、蹄壁のあたりに筋があり、その筋に沿ってところどころ穴が開いたみたいになっていた。平森厩務員は「ツメの成長期に体調が良くなかったからでは」と推測している[42]

「人間と相撲をとるのが好きで、遊びたくて仕方ない仕方がないんだよ。まだまだ子供」と平森厩務員が語っている[43]。スプリンターズS前に取材に来た記者のレポートから、ここで言う「相撲」は服の裾を咥えて押し引きをすることであると考えられる[44]

輸送によるイレ込みが激しく、特に輸送の翌日に暴れていた[45]。スプリンターズSに備えた早期の美浦入厩時には頭を振り、脚を上げて暴れていたという[46]

美浦滞在時は、栗東にいたときよりも落ち着いていた。馬が栗東よりも少ないからではないかと平森厩務員は推測している[47]

2月の入厩時、体中かさぶただらけだった[48]

デビュー前からの調教でゲートから出たとき、最初の200mを10秒9で駆けた[49]

ケイエスミラクルのスプリンターズステークスを見たことをきっかけに獣医になることを決意したファンがいる[50]

出走ローテーションをめぐる議論

[編集]

「日本脳炎」や「デビュー前からの脚部不安」のエピソード、4歳馬としては過密に思えるローテーションやスプリンターズステークスでの結果から、体の弱いケイエスミラクルを無理に出走させたのではないかと陣営に対する批判が上がってきた。

「日本脳炎」と「デビュー前からの脚部不安」に関して

[編集]

ケイエスミラクルが3歳の9月に来日した際に生じた原因不明の高熱を、高橋は「日本脳炎のような症状」と語り、獣医から説明を受けた[51]とあるが、中央畜産会の調査では1985年に3頭の感染を確認後から2003年まで発見されていない[52]。また、内外タイムスでは「疑似日本脳炎」と記載しており[53]、高熱自体は事実だが「日本脳炎」であったかは不明である。

2026年6月時点で、「デビュー前からの脚部不安」に関しては「日本脳炎」のようにソースが発見されておらず、後付けで生じた可能性がある。


ローテーションに関して

[編集]

4月20日と5月4日の4歳未出走、5月11日わらび賞までのローテーションは、6月2日開催のニュージーランドトロフィーを目標にした[54]ものであり、入厩時期が遅く、外国産馬で出走レースが限られるなかで組まれたものである[55]。わらび賞に敗北し、出走が困難になってからは6月8日の石狩特別まで1か月の休養を挟んでいる。

マイルチャンピオンシップ出走の際には、「馬の体調を見極めてから決めるつもりでいます」と言った[56]後に追いきりを確認してから「すべての面であまり心配することはない」と高橋調教師は語っている[57]。次走のスプリンターズステークスでは「ローテーション的にきつい感じもするが、前走あれだけハードに仕上げながら、体重面も心配するところはなかった」とも語っていた[58]

競走成績

[編集]

以下の内容は、netkeiba.com[32]およびJBISサーチ[59]の情報に基づく。

競走日競馬場競走名距離(馬場)


オッズ
(人気)
着順タイム
(上り3F)
着差騎手斤量1着馬(2着馬)
1991.4.20 新潟 4歳未出走 芝1600m(稍) 13 4 5 2.5(1人) 2着 1:37.2(36.0) 0.1 佐伯清久 52kg パリスハーリー
5.4 新潟 4歳未出走 芝1400m(稍) 13 6 9 2.0(2人) 1着 1:23.5(35.8) -1.3 佐伯清久 52kg (シンコウヤマト)
5.11 新潟 わらび賞 500 芝1600m(良) 13 8 12 1.6(1人) 2着 1:36.8(36.4) 0.1 佐伯清久 55kg ボードセイリング
6.8 札幌 石狩特別 500 芝1200m(良) 12 2 2 3.2(1人) 1着 R1:08.5(34.8) -0.7 南井克巳 55kg (サムソンクイーン)
6.22 札幌 藻岩山特別 900 芝1200m(良) 11 5 5 1.1(1人) 1着 1:09.3(35.0) -1.5 南井克巳 54kg (クインサンシー)
9.8 中京 セントウルS GIII 芝1200m(良) 14 7 11 3.7(3人) 13着 1:09.4(35.9) 1.5 南井克巳 53kg ニフティニース
10.5 京都 オパールS OP 芝1200m(良) 12 7 9 3.3(1人) 1着 R1:08.4(33.5) -0.1 南井克巳 53kg (サムソンクイーン)
10.26 京都 スワンS GII 芝1400m(良) 16 4 7 12.5(5人) 1着 R1:20.6(34.5) -0.0 南井克巳 55kg ダイイチルビー
11.17 京都 マイルチャンピオンS GI 芝1600m(良) 15 6 11 4.3(2人) 3着 1:35.3(35.1) 0.5 南井克巳 55kg ダイタクヘリオス
12.15 中山 スプリンターズS GI 芝1200m(良) 16 7 13 2.2(1人) 競走中止 岡部幸雄 55kg ダイイチルビー
  • タイム欄のRはレコード勝ちを示す

血統表

[編集]
ケイエスミラクル (K.S.Miracle)の血統
ミスタープロスペクター系 / Nasrullah5×3=15.62%)
Stutz Blackhawk
1977 鹿毛
父の父
Mr. Prospector
1970 鹿毛
Raise a Native Native Dancer
Raise You
Gold Digger Nashua
Sequence
父の母
Sunny Morning
1965 鹿毛
Amber Morn Ambiorix
Break o'Morn
Lighter Coastal Traffic
Blue Denim
*レディベンドフェイジャー
Lady Bend Fager
1977 鹿毛
Never Bend
1960 鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Lalun Djeddah
Be Faithful
母の母
Princess Fager
1972 栗毛
Dr. Fager Rough'n Tumble
Aspidistra
Princess Roycraft Royal Note
Crafty Princess F-No.1-l

 父はアメリカで40戦3勝、G3で2着になったことがある程度の馬であった。全兄に、アメリカで12勝を挙げたスリングショット。また、いとこに1975年神戸新聞杯を制したトウフクホープがいる。母系近親には種牡馬のクラフティプロスペクターや、ゲームオンデュードがいる。

母はネヴァーベンドのラストクロップの1頭。現役時には11戦2勝という成績を収めた[60]。引退後に繁殖牝馬になったが、しばらくして用途変更(乗馬)になった。2年間の乗馬の後、再び繫殖牝馬に復帰。ケイエスミラクルは繫殖牝馬に戻ってから2頭目の馬。[61]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. 1987年のフォワードギャルS(G3)を勝利したAdded Elegance(牝)。
  2. 1991年当時は有馬記念の1週間前に行われていた。
  3. 現・阪神牝馬ステークス。1991年当時は有馬記念の1週間前に行われていた。

出典

[編集]
  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ケイエスミラクル”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年8月10日閲覧。
  2. Stutz Blackhawk 種牡馬情報:種牡馬成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年1月27日閲覧。
  3. 『中日スポーツ』1991年12月12日
  4. 『スポーツニッポン』大阪版、1991年11月14日
  5. 『スポーツニッポン』大阪版、1991年11月12日
  6. 『スポーツニッポン』大阪版、1991年11月12日
  7. 『スポーツニッポン』大阪版、1991年11月14日
  8. 『競馬ブック』関西版、1991年8月31日・9月1日号33頁
  9. 『競馬ブック』関西版、1991年4月27・28日号108頁
  10. 『競馬ブック』関西版、1991年5月11・12日号111頁
  11. 『競馬ブック』関西版、1991年5月18・19日号118頁
  12. 『スポーツニッポン』大阪版、1991年10月5日
  13. 『競馬ブック』関西版、1991年6月22・23日号38頁
  14. 1 2 3 【ウマ娘】第84回:一瞬の煌きを放った、ケイエスミラクルの物語”. GameWith (2023年9月22日). 2025年7月19日閲覧。
  15. 『スポーツニッポン』大阪版、1991年10月5日
  16. 『競馬ブック』関西版、1991年6月29・30日号112頁
  17. 『スポーツニッポン』大阪版、1991年10月5日
  18. 『日刊ゲンダイ』1991年10月5日
  19. 『競馬ブック』関西版、1991年8月31日・9月1日号34頁
  20. 『中京スポーツ』1991年11月14日
  21. 『スポーツニッポン』大阪版、1991年10月5日
  22. 『優駿』1991年12月号162頁
  23. 『競馬ブック』関西版、1991年10月12・13日号103頁
  24. 『日刊ゲンダイ』1991年12月11日
  25. 『優駿』1991年12月号、162頁
  26. 『競馬ブック』関西版、1991年11月16・17日号12頁
  27. 『報知新聞』大阪版、1991年10月26日
  28. 『デイリースポーツ』大阪版、1991年11月8日
  29. 『優駿』1991年12月号、162頁
  30. 『スポーツニッポン』大阪版、1991年11月12日
  31. 『日刊スポーツ』大阪版、1991年11月8日
  32. 1 2 3 netkeiba ケイエスミラクルの競走成績”. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年8月20日閲覧。
  33. 『競馬ブック』関西版、1991年11月23・24日号110頁
  34. 【追憶のスプリンターズS】91年「華麗なる一族」栄達の時 ダイイチルビー、名手の導きでスピード全開”. スポニチアネックス. 株式会社スポーツニッポン新聞社. 2022年10月6日閲覧。
  35. 『日刊スポーツ』大阪版、1991年12月10日
  36. 『報知新聞』大阪版、1991年12月12日
  37. 『優駿』2007年9月号、江面弘也 「高橋成忠調教師インタビュー 勝つことが前提のフランス遠征」p.31、 「杉本清の競馬談義268 ゲスト高橋成忠調教師」p.94
  38. 『日刊スポーツ』大阪版、1991年10月5日
  39. 『スポーツニッポン』大阪版、1991年12月14日
  40. 『スポーツニッポン』大阪版、1991年11月13日
  41. 『スポーツニッポン』大阪版、1991年11月16日
  42. 『スポーツニッポン』大阪版、1991年11月17日
  43. 『中日スポーツ』1991年9月4日
  44. 『中京スポーツ』1991年12月13日
  45. 『デイリースポーツ』大阪版、1991年12月10日
  46. 『中日スポーツ』1991年12月11日
  47. 『道新スポーツ』1991年12月14日
  48. 『道新スポーツ』1991年12月10日
  49. 『スポーツニッポン』大阪版、1991年10月5日
  50. ミデアム出版社『東大生が競馬場に通う24の理由』180-187頁
  51. 『スポーツニッポン』大阪版、1991年11月12日
  52. 公益社団法人中央畜産会『馬の日本脳炎(第2版)』https://jlia.lin.gr.jp/eiseis/pdf/uma/je02.pdf 2026年6月1日閲覧
  53. 『内外タイムス』1991年12月10日
  54. 『スポーツニッポン』大阪版、1991年10月5日
  55. 『競馬ブック』関西版、1991年8月31日・9月1日号33頁
  56. 『優駿』1991年12月号162頁
  57. 『デイリースポーツ』大阪版、1991年11月14日
  58. 『日刊スポーツ』大阪版、1991年12月10日
  59. ケイエスミラクル 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月20日閲覧。
  60. EQUIBASE『Horse Profile for Lady Bend Fager』https://www.equibase.com/profiles/Results.cfm?type=Horse&refno=703432&registry=T 令和8年6月1日閲覧
  61. 『スポーツニッポン』大阪版、1991年11月15日

外部リンク

[編集]