グロリア・エステファン

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グロリア・エステファン
Gloria Estefan
Gloria Estefan 2009 White House.jpg
2009年、ホワイトハウスで熱唱するグロリア・エステファン
基本情報
生誕 (1957-09-01) 1957年9月1日(63歳)
出身地  キューバ ハバナ
ジャンル ポップ
職業 歌手、ソングライター

グロリア・エステファンGloria Estefan、出生名:Gloria Maria Fajardo1957年9月1日 - )は、キューバ生まれのアメリカ歌手

略歴[編集]

父親はかつての大統領だったフルヘンシオ・バティスタのボディガードを務めるなど優秀なキューバ軍人として活躍していたが、革命後の1960年に家族と共にマイアミに移住。亡命後、父親は米軍に入隊し母親は教師になった。グロリアは私立のカトリック系の高校を経て、奨学金を得てマイアミ大学に入学、心理学とフランス語を専攻した。彼女は英語・スペイン語・フランス語に堪能だった為、大学在学中にCIAから語学担当スタッフとしてスカウトされたほど優秀な学生であった。

1975年に、後の夫となるエミリオ・エステファンが率いるバンド「マイアミ・ラテン・ボーイズ」に参加し、1978年9月2日にエミリオと結婚。バンドは「マイアミ・サウンド・マシーン」と改名して1980年代に「ドクター・ビート」「コンガ」など数々のヒットを飛ばし、1987年には「グロリア・エステファン&ザ・マイアミ・サウンド・マシーン」と表記するようになった。

1989年、グロリア・エステファン単独名義では1枚目となるアルバム『カッツ・ボース・ウェイズ』を発表。

順調にヒット曲を重ねたグロリアだが、1990年3月、乗車中のバストラックが追突する交通事故に遭遇。脊髄に重傷を負うが、1年間のリハビリの末に復帰した。

1994年にはシルヴェスター・スタローン主演映画『スペシャリスト』の主題歌「ターン・ザ・ビート・アラウンド」を歌った。

1996年にアトランタで開催されたアトランタオリンピックの閉会式では「リーチ」を大観衆の前で歌った。

2015年、大統領自由勲章を受章[1]

人物[編集]

夫婦共に親日で新婚旅行熱海温泉。1990年には松田聖子の全米進出アルバム『Seiko』にプロデューサーとソングライターとして参加。

NFLマイアミ・ドルフィンズの少数株主でもある[2]

ディスコグラフィ[編集]

  1. Cuts Both Ways1989年
  2. Into the Light1991年
  3. Mi Tierra1993年
  4. Christmas Through Your Eyes1993年
  5. Hold Me, Thrill Me, Kiss Me1994年
  6. Abriendo Puertas1995年
  7. Destiny1996年
  8. Gloria!1998年
  9. Alma Caribeña2000年
  10. Unwrapped2003年
  11. 90 Millas2007年
  12. Miss Little Havana2011年
  13. The Standards2013年
  14. Brazil3052020年

関連作品[編集]

舞台[編集]

グロリア・エステファンとエミリオ・エステファンの半生をもとにしたミュージカル作品。脚本はアレクサンダー・ディネラリス、演出はジェリー・ミッチェル、振付はセルジオ・トルーヒヨが担当予定。
2015年夏にシカゴでトライアウトを行った後、10月からブロードウェイのマーキス劇場にてプレビューを開始し、11月に開幕[3]

日本公演[編集]

6月6日 横浜文化体育館、9日 福岡サンパレス、11日 愛知県勤労会館、12日 大阪厚生年金会館、13日,14日 渋谷公会堂、16日 北海道厚生年金会館

脚注[編集]

[脚注の使い方]

外部リンク[編集]