グレイス・スリック
この記事には複数の問題があります。 |
| グレイス・スリック | |
|---|---|
|
1967年 | |
| 基本情報 | |
| 出生名 | Grace Barnett Wing |
| 生誕 |
1939年10月30日(86歳) |
| ジャンル | サイケデリックロック、アシッドロック、ハードロック |
| 職業 | ヴォーカリスト、ビジュアルアーティスト |
| 担当楽器 | ボーカル、キーボード、ギター |
| 活動期間 | 1965年–1990年(音楽)、1998年–present(視覚芸術) |
| レーベル | RCA |
| 共同作業者 | The Great Society、ジェファーソン・エアプレイン、ジェファーソン・スターシップ、スターシップ |
| 公式サイト | Grace Slick paintings |


グレイス・スリック(Grace Slick, 1939年10月30日 - )は、アメリカ合衆国のロック・ヴォーカリスト、画家。
1967年に加入したジェファーソン・エアプレインでの過激な言動が注目を浴び、アメリカの女性ロックスターの草分けの一人になった。ジェファーソン・エアプレイン解散後、引き続いてジェファーソン・スターシップ、スターシップで活動した。
概要
[編集]略歴
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
生い立ち
[編集]イリノイ州ハイランドパーク生まれ[1]。両親に連れられてロサンゼルスを経て1945年にサンフランシスコに転居した[2]。
パロアルトの高校を卒業後、1957年9月から1958年の6月までマンハッタンのフィンチ・カレッジに在籍した[3]。ニューヨークでフォーク・ミュージックに接してギターで幾つかの有名な曲を習い、グリニッジ・ヴィレッジのナイトクラブに通った[3]。2年生の時にマイアミ大学に転校して芸術を専攻。当地で流行に敏感な人々の間で人気があったレニー・ブルースの下品な時事コメディを知り、マリファナを初体験した。
1959年、大学を去ってパロアルトに戻った[3]。
1961年8月、ジェリー・スリックと結婚し、グレイス・スリックを名乗った[4]。
グレイト・ソサイエティ
[編集]ジェファーソン・エアプレイン
[編集]シグニー・トリー・アンダーソンに続く2代目の女性ヴォーカリスト[5]として、セカンド・アルバム『シュールリアリスティック・ピロー』から参加した。
ジェファーソン・スターシップ
[編集]スターシップ
[編集]1988年、スターシップを脱退[6]。
ジェファーソン・エアプレインの再結成
[編集]同年、元ジェファーソン・エアプレインのポール・カントナー、ヨーマ・カウコネン、ジャック・キャサディに合流[7]。翌1989年にはマーティ・バリンも合流して、1966年から1970年までのメンバー6名のうち5名が参加した[注釈 1]再結成が実現した[8]。
その後
[編集]1990年代に音楽界を引退して、画家としての活動を開始した[9]。
ディスコグラフィ
[編集]ソロ・アルバム
[編集]オリジナル・アルバム
[編集]- Manhole(1973年)
- Dreams(1980年)
- Welcome to the Wrecking Ball!(1981年)
- Software(1984年)
編集アルバム
[編集]- The Best of Grace Slick(1999年)
共作アルバム
[編集]- Sunfighter[注釈 2](1971年)
- Baron von Tollbooth & the Chrome Nun[注釈 3](1973年)
代表曲
[編集]- 「ホワイト・ラビット」(White Rabbit) – ジェファーソン・エアプレインの楽曲
- 「シスコはロック・シティ」(We Built This City) – スターシップの楽曲
- 「愛はとまらない」(Nothing's Gonna Stop Us Now) – スターシップの楽曲。ダイアン・ウォーレンとアルバート・ハモンドの共作。映画『マネキン』(1987年)の主題歌。同年、Billboard Hot 100で二週連続第1位、年間ランキングで第11位を記録した。当時47歳だったスリックは、アメリカ国内で第1位となったシングル・レコードを歌った女性歌手としての最年長記録保持者となった[注釈 4]。
著書
[編集]- Slick, Grace; Cagan, Andrea (1999). Somebody to Love?: A Rock-and-Roll Memoir. Grand Central Publishing. ISBN 978-0446607834
その他
[編集]- 1969年にNational Education Televisionで放送が開始された『セサミ・ストリート』エピソード1のアニメーション"Jazz Numbers"(#2-10)のボーカルを担当した。
- 松任谷由実が「グレイス・スリックの肖像」と題した曲を歌っている。シングル『守ってあげたい』(1981年)、アルバム『昨晩お会いしましょう』(1981年)収録。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ スペンサー・ドライデンは招かれなかった。
- ^ ポール・カントナーとの共作。
- ^ カントナー、ディヴィッド・フライバーグとの共作。
- ^ この記録は、1999年に52歳で「ビリーヴ」を歌ったシェールによって塗り替えられた。
出典
[編集]- ^ Tamarkin (2024), pp. 96–97.
- ^ Tamarkin (2024), p. 99.
- ^ a b c Tamarkin (2024), p. 101.
- ^ Tamarkin (2024), pp. 101–102.
- ^ Tamarkin (2024), p. 96.
- ^ Tamarkin (2024), pp. 337–338.
- ^ Tamarkin (2024), pp. 340–343.
- ^ Tamarkin (2024), pp. 343–344.
- ^ Tamarkin (2024), pp. 359–360.
引用文献
[編集]- Tamarkin, Jeff (2024). Got a Revolution!: The Turbulent Flight of Jefferson Airplane. Atria Books. ASIN B00AK80EKI
外部リンク
[編集]- Jefferson Airplane official website
- Grace Slick - IMDb