クーラカンリ
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| クーラカンリ | |
|---|---|
| སྐུ་ལྷ་གངས་རི། | |
| 最高地点 | |
| 標高 | 7,538 m (24,731 ft) [1][2] (7554mとする資料もある[3]) 46位 |
| プロミネンス | 1,654 m (5,427 ft) [1][2] |
| 総称 | Ultra |
| 座標 | 北緯28度13分39秒 東経90度37分00秒 / 北緯28.22750度 東経90.61667度座標: 北緯28度13分39秒 東経90度37分00秒 / 北緯28.22750度 東経90.61667度 [2] |
| 地形 | |
| 所在地 | ( |
| 所属山脈 | ヒマラヤ山脈 |
| 登山 | |
| 初登頂 | 1986年 |
| クーラカンリ | |
|---|---|
| チベット語名 | |
| チベット文字: | སྐུ་ལྷ་གངས་རི། |
| ワイリー方式: | sku lha gangs ri |
| 蔵文拼音: | Gulhakangri |
| 中国語名 | |
| 繁体字: | 庫拉岡日峰 |
| 簡体字: | 库拉冈日峰 |
| 拼音: | Kùlāgāngrì Fēng |
クーラカンリ (Kula Kangri) は、数多くの権威ある典拠でブータンの最高峰とされている一方、全域が中華人民共和国チベット自治区に含まれているとする異論もある山。キュンラ・カーリ (Künla Khari) と表記されることもある[3]。初登頂は、1986年の日中合同隊によるものであった[4]。この山は、ヒマラヤ山脈にも、ブータン・ヒマラヤにも含まれる。
中国と日本の専門家は、近傍のガンカー・プンスムの方がより標高が高いとも主張している。また、クーラカンリがブータン領内、ないし、国境上にあるという主張にも異論が出されている[3]。
登攀史
[編集]クーラカンリは1922年に最初の測量が行なわれて地図に記載され、1958年には中尾佐助が周辺を調査してチベット領内に位置していると報告した[3]。
1986年、神戸大学登山隊を中心とした日中共同隊が、主峰 (7,538m) の初登頂に成功した[4][5]。
2001年には、東海大学・チベット大学クーラカンリ友好学術登山隊が、中央峰 (7,418m) と東峰 (7,381m) の初登頂に成功した[5][6]。この登山隊は、この年の日本スポーツ大賞で「優秀団体」に選ばれた[7]。
脚注
[編集]- 1 2 "Kula Kangri, China" on Peakbagger.com. Retrieved 2011-11-24.
- 1 2 3 "High Asia II: Himalaya of Nepal, Bhutan, Sikkim and adjoining region of Tibet" Peaklist.org. Retrieved 2011-11-24.
- 1 2 3 4 5 世界大百科事典 第2版『クーラ・カンリ[山]』 - コトバンク
- 1 2 Hirai, Kazumasa (1987年). “The Ascent Of Kula Kangri From Tibet”. The Himalayan Club. 2014年9月18日閲覧。 - Hirai, Kazumasa (1987). “The Ascent Of Kula Kangri From Tibet”. The Himalayan Journal 43.
- 1 2 3 “クーラカンリ”. 読売新聞・東京朝刊. 2008年7月18日. p. 24.
チベット語で「天帝の峰」という意味で、主峰、中央峰、東峰の三つのピークから成り立っている。1986年4月、神戸大登山隊が西稜から主峰に初登頂。2001年には、東海大登山隊が東峰、中央峰の初登頂に成功したが、...
- ヨミダス歴史館にて閲覧 - ↑ “「遥かなるチベット クーラカンリ」より”. 東京北星会. 2015年12月10日閲覧。
- ↑ “日本スポーツ賞 21世紀最初のグランプリは田村亮子 世界柔道V5に「誇り」”. 読売新聞・東京朝刊. 2001年12月21日. p. 23. - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ↑ 高橋和弘 (2008年11月20日). “天帝の峰、クーラカンリで痛恨の事故発生 雪崩に逝った3人の仲間” (PDF). 山. 2015年12月10日閲覧.:“2008 日本クーラカンリ登山隊”. 2008 日本クーラカンリ登山隊. 2015年12月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月10日閲覧。
関連文献
[編集]- 平井一正『初登頂:花嫁の峰から天帝の峰へ』ナカニシヤ出版、京都、1996年、358頁。