クロスエア3597便墜落事故

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クロスエア3597便墜落事故
139at - Crossair Avro RJ 100; HB-IXM@ZRH;21.07.2001 (5067288770).jpg
事故機(チューリッヒ空港にて、2001年7月撮影)
出来事の概要
日付 2001年11月24日
概要 CFITパイロットエラー、パイロット教育及び経験不足
現場 スイスの旗 スイス チューリッヒ空港近くの丘(バッサーズドルフ)
乗客数 28
乗員数 5
負傷者数
(死者除く)
9
死者数 24
生存者数 9
機種 BAeアブロ RJ100
運用者 スイスの旗 クロスエア
機体記号 HB-IXM
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クロスエア3597便墜落事故とは、2001年11月24日スイスチューリッヒ郊外で起きた航空機墜落事故である。

航空機と乗務員[編集]

概要[編集]

クロスエア3597便(乗員5人・乗客28人)はベルリンテーゲル空港を21時01分に出発し、チューリッヒ空港に向かうチューリッヒ空港最終便で、事故機は1時間のフライトの大半を終えてチューリッヒ空港に着陸しようとした。機長は勤続20年、飛行時間1万9500時間を超え、飛行教官も務めたこともあるベテランであるのに対し、副操縦士はクロスエアに入って日の浅い新人パイロットだった。

夜10時を過ぎた当時のチューリッヒの状況はあまり良いとはいえなかった。雪が激しく降りつける天候に加えて、ILSが装備されている滑走路14が閉鎖されていたのである。これは滑走路14に着陸しようとするとドイツ上空を経由することになり、ドイツの住民から騒音被害を訴えられたため、22時以降の閉鎖を余儀なくされたからだった。このため、滑走路28に着陸するよう指示されたが、滑走路28にはILSがなく手動での着陸を余儀なくされた。

3597便の前に2機が着陸して、着陸予定の便が3597便だけになると管制塔からスーパーバイザーが退勤し、まだ経験の浅い管制官1人が管制業務をこなすことになる。3597便の前に着陸した便のパイロットが「雪で滑走路が1.3マイルまでしか見えない」と報告したが、管制官は事の重大性に気づかずにあっさりと受け流してしまう。この通信は3597便のパイロット達も聞いていたが、特になんらかの対応を取ることもなく手動による着陸を継続した。

機体はチューリッヒ空港に向かって降下し、最低降下高度2,400 フィート (730 m)を越えて降下しても地上が見えないことに機長が不安を覚えて着陸復行を決断するものの、時すでに遅く、現地時間の22時07分、エンジンが最大出力を出す前に滑走路から4キロメートル手前の小高い丘に激突した。機体は前後2つに割れて爆発した。乗員・乗客33人のうち、24人が死亡した。損傷が極めて少なかった機体後部に乗っていた乗客7人・客室乗務員2人の計9人が生還した。

要因[編集]

事故原因はパイロットの単純なミスによるCFITである。

3597便に使用された機体には、計器の一部が逆さまに取り付けられていたり、パイロットが参照した地図に飛び越え損ねた丘が書かれていなかったといった問題が明らかになったが、それらは些末な事だとされた。また、エンジンについては最後まで動いていたことからエンジントラブルに起因する事故ではないことが明らかになった。

3597便の着陸直前に管制塔のスーパーバイザーが退勤して、管制官1人になったことは規則違反であり、問題となった。また、ほかの便のパイロットからの「雪で滑走路の一部が見えない」との旨の報告を管制官が無視したのも間違いだった。安全を期すならば滑走路28を閉鎖し、ILSが使える滑走路14を解放するべきだったからである。しかし、この報告は3597便のパイロットも聞いていた。その気になればパイロットは滑走路14への着陸を要求できたはずだったので、管制官は不問とされ、この頃からベテランパイロットである機長に疑いの目が向けられる。

そして、コクピットボイスレコーダーの解析で事故の内容が明らかになった。 3597便の機長は空港の6マイル手前までは計器を見て飛行していたが、それ以降は外を目視し計器を見ていなかったのである。視界が利かない状況では1人が目視をし、操縦するパイロットは外を見ず計器を見ながら飛行する。見張り役のパイロットが滑走路を視認してから降下に入るという原則に違反していた。このため、空港に達していないのにもかかわらず降下を開始した[要出典]。また、最低降下高度に到達した後は滑走路上空に到達するまで水平飛行を保つのが原則であるにも関わらず、3597便はそのまま降下を続けた結果、空港手前の丘を越えられずに墜落した。

初歩的なミスによる墜落と判明したため、機長の経歴が調べられた。この機長は長い飛行経験を持っていたが、航空免許を取るまでに何度か試験に失敗しており、その後も重要な試験に一度では合格できなかったことが判明した。さらに機長はクロスエアのパイロットとして雇用されてから本件事故までの間に、たびたび危険なミスを犯していた。例えば1990年には、機体が地上にあるにも関わらず着陸脚を収納してしまい、機体を地面に衝突させて壊すという全損事故を起こしていた[1]。また1999年にアルプス山脈への遊覧飛行のチャーター便を操縦した際には、ナビゲーションを間違えてイタリアへ飛行してしまい、イタリア語の道路標識が見えることを乗客に指摘されてようやく航路逸脱に気づいた[2]

本件事故において副操縦士は機長の操縦に異議を唱えなかった。これはキャリアにあまりに差がありすぎるため機長の技量を信頼しすぎてしまったためか、もしくは自分の命よりも職場の空気を乱さないことを優先させてしまった[要出典]ものと推測されている。

このようなパイロットをクロスエアが解雇せず雇用し続けたのは、1980年代以降急成長を遂げ、増便する必要性に迫られたものの人手が足りず粗悪な技量の人物でも雇用せざるを得なかったからである。実は3597便の事故が起きる1年10ヶ月前にも人手不足が遠因となってクロスエア498便墜落事故が発生している。3597便の事故後、クロスエアではパイロットの資質について厳しい監査がかけられ、また滑走路28にもILSが導入された。本件事故以降、滑走路28に関係する事故は起きていない[いつまで?]

乗客[編集]

事故当日の3597便には21人の団体客が搭乗する予定だったが現われなかったため、機内には空席ができていた。

ダンスポップユニットのパッションフルーツ(en:Passion Fruit (band))が乗客として搭乗し、メンバーの3人のうち2人が命を落とした。また、パッションフルーツのすぐ後ろの座席にはスイスの商用ブログサービスBlogwerk AGの創設者兼CEOのピーター・ホーゲンカンプがパートナーと共に乗っていた。ピーターらはベルリンからの仕事の帰りで翌日も仕事だったことから可能な限り、睡眠をとろうとしていたが、パッションフルーツのメンバーたちが騒いでいたため、静かな後部座席に移って睡眠を取ることにした。そしてその後に起こった事故では後部座席の損傷が少なかったことからピーターとパートナーは生還することができた。このためピーターは『メーデー!:航空機事故の真実と真相』の取材にて「パッションフルーツに感謝している」とコメントしている。

脚注[編集]

  1. ^ Final Report No.1793, pp. 25-26, §1.5.1.4.2 Unintentional retraction of the landing gear on the ground.
  2. ^ Final Report No.1793, pp. 26-27, §1.5.1.4.6 Navigation error during a private sight-seeing flight.

参考文献[編集]

類似事故[編集]

映像化[編集]