クレーマ

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クレーマ
Crema
クレーマの風景
行政
イタリアの旗 イタリア
ロンバルディア州の旗 ロンバルディア
Blank.png クレモーナ
CAP(郵便番号) 26013
市外局番 0373
ISTATコード 019035
識別コード D142
分離集落 #分離集落参照
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
公式サイト リンク
人口
人口 34,410 [1](2017-01-01)
人口密度 993.6 人/km2
文化
住民の呼称 cremaschi
守護聖人 San Pantaleone
祝祭日 6月10日
地理
座標 北緯45度22分0秒 東経9度41分0秒 / 北緯45.36667度 東経9.68333度 / 45.36667; 9.68333座標: 北緯45度22分0秒 東経9度41分0秒 / 北緯45.36667度 東経9.68333度 / 45.36667; 9.68333
標高 79 (66 - 85) [2] m
面積 34.63 [3] km2
クレーマの位置(イタリア内)
クレーマ
クレーマの位置
クレモナ県におけるコムーネの領域
クレモナ県におけるコムーネの領域
イタリアの旗 ポータル イタリア
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クレーマ: Crema)は、イタリア共和国ロンバルディア州クレモナ県にある、人口約34,000人の基礎自治体コムーネ)。

セリオ川のほとりにあるカトリック司教の所在地。 クレーマ教区の資料によれば、セニガッリア在住のピウス9世が属する一族マスタイ・フェレッティ家の起源がクレーマである。

地理[編集]

位置・広がり[編集]

隣接コムーネ[編集]

隣接するコムーネは以下の通り。

歴史[編集]

クレーマの起源は6世紀ランゴバルド人の侵略と関連付けられる。ただし、4世紀に、古代ケルト人もしくは古代エトルリア人の末裔が作ったという説もある。

歴史書に最初に登場するのは11世紀である。当時はカミザーノ伯爵の領土だった。その後、トスカーナ侯爵ボニファーチオ・ディ・カノッサとその娘マティルデに支配された。マティルデは1097年クレモーナ司教にクレーマを譲った。この頃クレーマは栄え、羊毛産業は19世紀に至るまでクレーマの主要産業であった。

皇帝派に対抗する協定をミラノと結んだが、そののち1159年フリードリヒ1世に破壊された。

1185年コンスタンスの講和ののち、カストルムの建設を許可された。ハインリヒ6世は同盟関係にあったクレモーナにクレーマを返還した。1199年に、クレーマは新しい壁などによって補強された。13世紀には豊かになり、有名なクレーマ大聖堂プレトリオ宮殿が建設された。

1335年アッツォーネ・ヴィスコンティの支配下に置かれた。1361年にはペストが流行した。1403年から1423年までのベンツォーニ家の支配の後はヴィスコンティ家の支配に戻った。1449年以降はヴェネツィア共和国領となった。

ヴェネツィア領となったことによって、スペインの支配下となったミラノ公国の衰退から守られた。この時期に、市庁舎1525年 - 1533年)や司教館が建設された。また、1490年サンタ・マリア・デラ・クローチェに教会が建設された。1580年には司教所在地となった。17世紀には工業の不振により衰退が始まったが、農業は繁栄していた(1796年に農業を教える大学が開校した)。

1797年フランスの占領を経て、1814年以降はオーストリア領となり、イタリア統一とともにイタリア領となった。

行政[編集]

分離集落[編集]

クレーマには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。

Santo Stefano, Mosi, Vergonzana, Ombriano, Sabbioni, Santa Maria della Croce, San Carlo, Crema Nuova, Porta Nova, SS Trinità, San Bernardino, Castelnuovo, San Giacomo

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

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外部リンク[編集]