クレメンス・フランツ・デ・パウラ・フォン・バイエルン
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クレメンス・フランツ・デ・パウラ・フォン・バイエルン Clemens Franz de Paula von Bayern | |
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出生 |
1722年4月19日 神聖ローマ帝国 バイエルン選帝侯領、ミュンヘン |
死去 |
1770年8月6日(48歳没) 神聖ローマ帝国 バイエルン選帝侯領、ミュンヘン |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 バイエルン選帝侯領、ミュンヘン、テアティナー教会 |
配偶者 | マリア・アンナ・フォン・プファルツ=ズルツバッハ |
家名 | ヴィッテルスバッハ家 |
父親 | フェルディナント・フォン・バイエルン |
母親 | マリア・アンナ・カロリーネ・フォン・プファルツ=ノイブルク |
クレメンス・フランツ・デ・パウラ・フォン・バイエルン(Clemens Franz de Paula von Bayern, 1722年4月19日 - 1770年8月6日)は、ドイツのバイエルン選帝侯家の公子。バイエルン選帝侯マクシミリアン2世エマヌエルの息子で神聖ローマ皇帝軍元帥のフェルディナントと、その妻でプファルツ=ノイブルク家の公子フィリップ・ヴィルヘルム・アウグストの娘であるアンナ・マリアの間の息子。
生涯
[編集]クレメンスは1742年1月17日、プファルツ=ズルツバッハ公世子ヨーゼフ・カールの娘でプファルツ選帝侯カール3世フィリップの孫娘でもあるマリア・アンナと結婚した。夫妻は間に1男3女をもうけたが、いずれも生まれてすぐに死んでいる。
子供の無い従兄のバイエルン選帝侯マクシミリアン3世ヨーゼフの事実上の世継ぎであったが、1770年に死去。クレメンスとマクシミリアン3世ヨーゼフの死により、ヴィッテルスバッハ家のバイエルン選帝侯系は絶えた。
参考文献
[編集]- Oskar Klausner (Hrsg.): Die Familie der Pfälzischen Wittelsbacher. Staatliches Liegenschaftsamt Heidelberg, 1995
- GeneaNet.org über Clemens Franz