クリストファー・ヴィルヘルム・エッカースベルグ

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エガスベアの肖像画
(画)Johan Vilhelm Gertner

クリストファー・ヴィルヘルム・エッカースベルグまたはクリストファ・ヴィルヘルム・エカスベア(Christoffer Wilhelm Eckersberg、1783年1月2日 - 1853年7月22日)はデンマークの画家である。「デンマーク黄金時代」と呼ばれる時代の画家で、デンマーク王立美術院(Det Kongelige Danske Kunstakademi)で多くの画家を育てた。

略歴[編集]

シュレースヴィヒ公国のBlåkrog(現在のオーベンロー)で生まれた。父親は大工、塗装工であった。1786年に家族は景色のいいBlansに移った。エカスベアは、近郊の風景を描き、父親のボートで船遊びをした。オーベンローの教会画、肖像画家のイェスン(Jes Jessen)のもとで絵を学び始め、17歳の時にフレンスブルクの画家の見習いとなるが デンマーク王立美術学校で学ぶことを望んだ。すでに才能を認められていたので、地元の人々の資金援助を受けて、1903年にデンマーク王立美術学校に学費免除で入学することができ、ニコライ・アビルゴールのもとで学んだ。

歴史画や肖像画、風景画を描き技術も向上したが、アビルゴールとの間に対立があったので、王立美術学校の金賞を受賞できたのはアビルゴールが没した後の1809年になってからであった。生活資金を得るために、銅版画の下絵も描いた。

1809年に金賞を受賞すると海外留学の奨学金が与えられて、1810年から、作家で、パトロンのブルーン(Tønnes Christian Bruun de Neergaard)とドイツからフランスへ旅し、1811年から1812年の間、新古典主義の画家、ジャック=ルイ・ダヴィッドのもとで学んだ[1]。ダヴィッドから強い影響を受け、一緒に暮らした画家のイェンス・ムラ(Jens Peter Møller)や、版画家のクリメンス(Johan Frederik Clemens)と親友となった。

2年後、フィレンツェを経てローマを訪れ、1813年から1816年の間、ローマに滞在し、歴史画家としての技術を高めた。ローマに住む芸術家とデンマーク人の彫刻家のベルテル・トーヴァルセンらと過ごした。

1916年にデンマークに戻った後、1817年に王立美術院(王立美術アカデミー)の会員に選ばれ、1818年ヨハン・ルートヴィッヒ・ルンドとともに教授に任じられ、1827年から1829年の間は校長も務めた。

歴史画の分野では、クリスチャンスボー城に多くの絵を描き、肖像画の分野ではコペンハーゲンの中産階級の人々を多く描いた。船に乗って外洋にでるのが好きで、海洋画の分野にも多くの作品を残した。

最大の功績は多くの画家を育てたことで、学生たちを野外に連れ出し、自然を描かせた。エカスベアの教えた学生には、下記のような画家がいる。

エガスベアの生誕100年にあたる1883年から、デンマーク王立美術院はエカスベア・メダルを優れたデンマーク人の画家、建築家に贈っている。

エカスベアの教えた学生たち[編集]

作品[編集]

「1807年のコペンハーゲンの大火」 
バルドル(北欧神話)の死」(1817) 
コロッセオのアーチからの風景」 
「鏡の前の女」 
"Bella and Hanna. The Eldest Daughters of M. L. Nathanson" 
 
 

参考文献[編集]

  1. ^ Ulysses Fleeing the Cave of Polyphemus (2002-348)”. Princeton University Art Museum. Princeton University. 2018年1月閲覧。