クリスティーネ・ルイーゼ・フォン・エッティンゲン=エッティンゲン

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クリスティーネ・ルイーゼ・フォン・エッティンゲン=エッティンゲン
Christine Luise von Oettingen-Oettingen
Christineluiseoettingen.JPG
ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公爵夫人クリスティーネ・ルイーゼ、1720年頃

出生 (1671-03-30) 1671年3月30日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
エッティンゲン侯領、エッティンゲン・イン・バイエルン
死去 (1747-11-12) 1747年11月12日(76歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公領、ブランケンブルク
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公領、ブラウンシュヴァイク大聖堂
配偶者 ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公ルートヴィヒ・ルドルフ
子女 エリーザベト・クリスティーネ
シャルロッテ・アウグステ
シャルロッテ・クリスティーネ
アントイネッテ・アマーリエ
家名 エッティンゲン家
父親 エッティンゲン=エッティンゲン侯アルブレヒト・エルンスト1世
母親 クリスティーネ・フリーデリケ・フォン・ヴュルテンベルク
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クリスティーネ・ルイーゼ・フォン・エッティンゲン=エッティンゲンChristine Luise von Oettingen-Oettingen, 1671年3月30日 - 1747年11月12日)は、ドイツのエッティンゲン家の侯女で、ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公ルートヴィヒ・ルドルフの妻。

生涯[編集]

エッティンゲン=エッティンゲン侯アルブレヒト・エルンスト1世(1642年 - 1683年)とその最初の妻でヴュルテンベルク公エーバーハルト3世の娘であるクリスティーネ・フリーデリケの間に生まれた。1690年4月22日アウリッヒにおいて、ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公爵家の末息子ルートヴィヒ・ルドルフと結婚した。

夫は分封領としてブランケンブルク伯領を与えられていたが、1707年に夫妻の長女エリーザベト・クリスティーネがオーストリアのカール大公(後の神聖ローマ皇帝カール6世)と婚約した際に、カール大公の兄である皇帝ヨーゼフ1世はブランケンブルク伯位を帝国諸侯(フュルスト)に昇格させた。これにより、クリスティーネ・ルイーゼはブランケンブルク侯妃となった。

ブランケンブルク侯夫妻は自らの宮廷で贅沢な生活を送った。クリスティーネ・ルイーゼは政治面でも私生活面でも夫を自分の影響下においており、夫に頼んで自分のために庭園を作らせたりした。夫がヴォルフェンビュッテル侯領を継いでわずか4年で亡くなると、クリスティーネ・ルイーゼはブラウンシュヴァイク宮廷を去ってブランケンブルクに帰り、文化面でのパトロネジにいそしんだ。ブランケンブルク宮廷には、カッテ事件に巻き込まれてベルリン宮廷を追放された、プロイセン王太子フリードリヒ(後のプロイセン王フリードリヒ2世)のお気に入りの家庭教師も雇い入れられた。フリードリヒ2世は1740年に王位につくと、妻の祖母にあたるクリスティーネ・ルイーゼの宮廷からこの家庭教師を連れ帰った。

クリスティーネ・ルイーゼの3人の娘たちは、舅のアントン・ウルリヒの采配で良縁に恵まれた。クリスティーネ・ルイーゼは神聖ローマ皇后マリア・テレジアロシア皇帝ピョートル2世、プロイセン王妃エリーザベト・クリスティーネデンマーク王妃ユリアーネの祖母となった。

子女[編集]

参考文献[編集]

  • Roger Reckwell, Wolfgang Reimann, Hilde Thoms: Schloss Blankenburg, Krone einer Region. Blankenburg 2007
  • Sunhild Minkner: Bemerkenswerte Frauen. broschiert, Wernigerode 1999