クララ・ノヴェロ・デイヴィス

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クララ・ノヴェロ・デイヴィス
Clara Novello Davies
クララ・ノヴェロ・デイヴィス (1896年)
基本情報
生誕 1861年4月7日
ウェールズカーディフ
死没 (1943-02-07) 1943年2月7日(81歳没)
イングランドの旗 イングランドロンドン
ジャンル クラシック
職業 歌手合唱指揮者

クララ・ノヴェロ・デイヴィス(Clara Novello Davies, 1861年4月7日 - 1943年2月7日)は、ウェールズの歌手、教師、指揮者[1]

生涯[編集]

クララはウェールズのカーディフに生まれた。父は鉱山労働者のジェイコブ(Jacob)、母はマーガレット(Margaret 旧姓 エヴァンス Evans)で、有名なソプラノ歌手のクララ・ノヴェロにちなんで名づけられた。教会の聖歌隊で指揮をしていた彼女の父は、彼女にハーモニウムの演奏を教えた。クララは1883年10月31日に、事務弁護士の事務員をしていたデイヴィッド・デイヴィス(David Davies)と結婚した。2人の息子のアイヴァー・ノヴェロは、俳優作曲家劇作家、指揮者として母を凌ぐ名声を手にすることになる[2]。また、2人はマリー・ウィリアムズ(Marie Williams)を養子にとり、マリー・ノヴェロ英語版という名前を授かった彼女はピアニストとなったが、30歳で咽頭のためこの世を去った。

1883年、彼女はウェールズ女声合唱団を設立し、同団体は1893年シカゴ万博、パリ万博[注 1]で賞を獲得した。彼女は70代になっても指揮活動を続けており、1937年パリ万博にも、ニューヨークに拠点を置いていたノヴェロ・デイヴィス芸術家合唱団が招待されている。また、この合唱団は第二次世界大戦中に慈善基金を立ち上げた。

彼女は1943年、ロンドンで81年の生涯を終えた。亡骸はゴールダーズ・グリーン墓地(Golders Green)に埋葬された。

脚注[編集]

注釈

  1. ^ 訳注:原文が1899年となっており、1889年の万博1900年の万博の両方の可能性が考えられる。

出典

  1. ^ Griffith, Robert David. “Clara Novello Davies”. Welsh biography Online. llgc.org.uk. 1919年4月12日閲覧。
  2. ^ Simon Callow (2012年8月3日). “Ivor Novello, master of the musical”. The Guardian. http://www.guardian.co.uk/stage/2012/aug/03/ivor-novello-musicals-simon-callow 2012年8月4日閲覧。 

外部リンク[編集]