クジャタ

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クジャタ(誤名)[1]、より正しくはクユーサー(アラビア語: كيوثاء‎, Kuyūthā)等は、中世イスラム宇宙観に伝えられる世界牛。

神が創造した巨大な牡牛で、大地を背負う天使と、その岩台を担っている。牡牛の下を支えるのは巨魚(巨鯨)バハムートと言われている。

4万個の目、耳、鼻、口、4万本の歯、足を持つと、カズウィーニー英語版の『宇宙誌英語版』に記載されている。(本数・個数やどの部位・器官かについては、文献によって差異が生じる)。その呼吸は、海洋の潮の満干を発生させると伝えられた。

聖書の海獣レヴィアタンの借用だとされているが、その混用についても説明が提唱されている。

表記[編集]

クユーサーや[注 1]、異表記キーユーバーン(: کیوبان‎, Kīyūbān)、キブーサーン(: کبوثان‎, Kibūthān)は、イスラム原典(カズウィーニー英語版の宇宙誌)に見られる[注 2][2]

ラカブーナー(: "Rakaboûnâ") (アル=ダミリ英語版)や[3]アル・ラーヤン[4]などの異名も、イスラム文献のなかには見つかる。

クユーター(Kuyootà)という表記は[5]、19世紀の英国の東洋学研究者による『千夜一夜物語』の注釈本(エドワード・レイン英語版著『中世のアラブ社会』[注 3])に見える。クユーサーン("Kuyoothán")という異表記は、イブン=エシュ・シフネフ[要検証 ](Ibn-Esh-Shiḥneh)[6]が出処で、レイン所蔵の写本であった[7]

クユーターはそののちクヤタ/クジャタ(表記は西: Kuyata)というスペイン語の見出しで、大衆本(ボルヘスの『幻獣辞典』)に転載された[8][注 4][9][注 5]。次いでクジャタ(: Kujata)という表記で旧英訳本(1969年)に現れ[10]クヤタ(Quyata)という表記に新英訳では訂正されている[11]

起源[編集]

クユーター/クユーサーは、旧約聖書『ヨブ記』のレヴィアタンの名前の借用だとされている[12][13][14]

キーユーバーン等、原典(カズウィーニの宇宙誌)の表記は[2]、誤写とみなされドイツ訳者ヘルマン・エテによりルーヤーターン: لوياتان‎‎, Lūyātān[要検証 ])と校訂されている。

エテはその名をドイツ語でレフィアタン(Leviathan)と意訳した[12]

海獣レヴィアタンが、牡牛とされていることに関しては、レヴィアタンとベヒモスを対で世界魚と世界牛に借用されるときに、あべこべに混同されたのではないかという指摘がある[15]

アラビア語原典[編集]

カズウィーニー英語版(1283年没)著の宇宙誌被造物の驚異と万物の珍奇英語版』によれば、神は大地を背負う天使、その足場となる宝石質の岩盤、そして牡牛クユーサーの順に創造して、大地の安定をはかった[注 1]。 この文献によればクユーサーは「4万の目、同数の耳、同数の鼻、口、歯、足を持った牛」だとされている[注 6][16]。ある目から別の目へ(あるいはある耳から別の耳等へ)移動するには500年かかるという[16]

以下、この4万の目や足の数について、他のイスラム文献での記述を比較するとともに、各文献について年代・権威や相互関係等を述べる。

4万本足[編集]

4千の目、鼻、耳、口、舌、足であると、倍数の違った記載が、レインの要約にみられるが[5]、これはレインが典拠としているアル=ダミリ英語版(1405年没)の記述でも同じである、[注 7]。これは後年の資料でもあり、そもそもダミリの宇宙論というのは、ダミリの刊行本の欄外に印刷されたカズウィーニーの転載だとされている[17]

4万本の角と足[注 8][19]、または4万個の目、耳、口、舌[注 9][18]を持つと、二編の最古級の文献[18]ではそれぞれ伝わっている。ただし、こちらには牛の名は見えない[注 10]。前者の文献はアル=サラビー英語版『諸預言者伝』英語版[19]で、後者はアリー・アル=キサーイー英語版(804年没)編『諸預言者伝』である[18]

ヤークート・アル=ハマウィー (1229年没)『諸国集成』でも4万本の角と足であるが、この資料は、最古文献の2編を取り入れているだろうと考えられており、内容的にはアル=サラビー編本に比較的近い[18]

イブン・アル=ワルディー英語版 (1348年没) 『驚異の真珠』は、ヤークートの派生作品という評価もあるが[20]、新たな記述も加わっている。この宇宙構造にくだりに該当する記述もあるが、それ以外の箇所で、牛が40の背瘤、40の角、4本の脚を持つという記述になっている[21]。イブン・アル=ワルディーは、レインも副次の資料として挙げている。

巨牛の角は、神の玉座アルシュ(アラビア語: عرش‎, ʿarš‎)にまで延び、絡みつく[22]、あるいは、玉座のしたで「棘をもつ生垣」のようになっている[23]

牡牛が担う宝石盤[編集]

牡牛が支える岩盤はレインによれば "ルビー"であるが、アラビア語の各資料の原語「ヤークート」(ياقوت, yāqūt)の意味は曖昧である[24]

原典の多くは緑色の宝石だと明言している。「緑色のヒヤシンス石」とカズウィーニのドイツ訳には記述される[25][26]。他にも「緑のコランダム」[22]、「緑のエメラルド」(対格 : smaragdum viridem)がイブン・アル=ワルディー『驚異の真珠』のラテン訳に[27]、「緑石」("green rock")がアル=サラビー『諸預言者伝』英訳にみられる[28]

カズウィーニによれば、神は大地を担ぐ天使、岩、牡牛の順(下へ下へと積み重ねられた順)に創造している[16]。しかし他の資料(ヤークート、アル=サラビー、イブン・アル=ワルディー)では、神は天使、牡牛の順に創り、これが不安定なので牛の背瘤の上に岩盤を挿入したとある[23][22][29]。それらによれば神は、牡牛と巨魚の間にも後から砂丘を造って敷きつめた[23][22][30][31]

潮の満干[編集]

巨牛の呼吸は、海の潮の満干に作用すると伝わる[30]。最古級の文献アル=サラビーにもあるが、それによると牡牛は鼻を海洋に浸からせており、1日1度呼吸をするが、吐息で海面は上がり、吸息で海面は下がる(潮が引く)とする[23]。別の文献では1日2度呼吸とするが[22]、吐息で1度、吸息で1度という数え方に取れる[注 11]

また、牛と魚は、絶えず大地から流れ込む水を飲み込むので、海の水位の均衡が保たれると伝えられている。しかし牛と魚の腹が一杯になってしまうと興奮しだし(イブン・アル=ワルディー)[33]、それは最後の審判の日の前兆だという(ヤークート)[22]

関連項目[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b 電子テキスト"الصخرة أن تدخل تحت قدمي الملك ثم لم يكن للصخرة قرار فخلق الله تعالى ثورا عظيما يقال له كيوثاء ”"(..天使(マラク)の足の下の岩、その岩が安定せずゆえ、神は大いなる牡牛クユーサーを創り給うた。
  2. ^ カズウィーニー『被造物の驚異と万物の珍奇英語版』。
  3. ^ 仮訳日本語題名。フル題名は『中世のアラブ社会:千夜一夜物語の学究』(Arabian Society in the Middle Ages: Studies from the Thousand and One Nights
  4. ^ ボルヘスの"Kuyata"の項の主な資料はレインである
  5. ^ スペイン語の場合、”ya"は「ヤ」とも「ジャ」とも発音される。
  6. ^ "Stier mit 40000 Augen, ebensoviel Ohren, ebensoviel Nasen, Mäulern, Zähnen und Füssen"
  7. ^ ただ足(レイン要約)というより脚(ペロン訳)で:「そして各対には[双脚](複数の脚)がついており、足の間が「徒歩」で」500年かかる距離の行程である(ペロン訳)とする
  8. ^ アル=サラビー編『諸預言者伝』。Brinner英訳では4万本:"So God sent down from the heights of Paradise an ox with seventy thousand horns and forty thousand leg"だが、アル=サラビーで"7万本"となっている稿本もあるという[18]
  9. ^ アル=キサーイー編『諸預言者伝』
  10. ^ ただし牛の下の巨魚の本名、添え名、あだ名が出ている[19]
  11. ^ イブン・アル=ワルディーも牡牛の1日2度の呼吸が、海の流れと引きに関連するとしており、レインに脚注される[32]

出典[編集]

脚注
  1. ^ ボルヘス, ホルヘ・ルイス; ゲレロ, マルガリータ (1998), 柳瀬尚紀 (訳), “バハムート”, 幻獣辞典 (晶文社) 
  2. ^ a b アラビア語原典は Wüstenfeld ed., I, p. 145だが、そのラテン文字表記は、Chalyan-Daffner (2013), p. 214、注195にて"Kīyūbān/Kibūthān"と行なわれている。
  3. ^ ニコラス・ペロン仏訳、アル=ダミリの宇宙誌:Ibn al-Mundir, Abū Bakr b. Badr (1860), Le Nâċérî: La perfection des deux arts ou traité complet d'hippologie et d'hippiatrie arabes, 3, Perron, Nicolas (tr.), Bouchard-Huzard, p. 615, https://books.google.com/books?id=SBk-AAAAcAAJ&pg=PA481 : p. 457の箇所に対する巻末注14に所収。
  4. ^ ムハンマド・アル=キーサーイ『書預言者伝』、 Thackston (1997), p. 10
  5. ^ a b Lane, Edward William (1883), Lane-Poole, Stanley, ed., Arabian Society in the Middle Ages: Studies from the Thousand and One Nights, London: Chatto & Windus, pp. 106-107, https://archive.org/stream/arabiansocietyin00laneuoft#page/106/mode/2up  (英語)
  6. ^ Lane (1883)、p. 106、注 1。
  7. ^ Lane, Edward William (1839), The Thousand and One Nights: Commonly Called, in England, the Arabian Nights' Entertainments, 1, London: Charles Knight, pp. 20, 23, https://books.google.com/books?id=4ywjmBb-O2YC&pg=PA20 
  8. ^ Borges, Jorge Luis; Guerrero, Margarita (1978) [1957]. El Libro de los seres imaginarios. Bruguera. pp. 36–37. https://books.google.com/books?id=Y3KBAAAAMAAJ&dq=kuyata. 
  9. ^ Borges & Guerrero (2005), pp. 25, 164 (英訳"Bahamut"と"Quyata"の項:Hurleyによるそれらの巻末注(pp. 221, 234)で、Lane, Arabian Societyを資料とすると注釈される。
  10. ^ Borges, Jorge Luis; Guerrero, Margarita (1969). Book of Imaginary Beings. en:Norman Thomas di Giovanni (trans.). Dutton. p. 141. https://books.google.com/books?id=KOQSAAAAYAAJ. 
  11. ^ Borges, Jorge Luis; Guerrero, Margarita (2005). Book of Imaginary Beings. Andrew Hurley (trans.). New York: Viking. p. 164. ISBN 9780670891801. https://books.google.com/books?id=bn4NAAAAYAAJ. 
  12. ^ a b Ethé (1868), p. 488(Wüstenfeld編本 p. 145、第5行のテキストに対する注釈)。
  13. ^ Streck, Maximilian (1936), “Ḳāf”, The Encyclopaedia of Islām (E. J. Brill ltd.) IV: p. 615, https://books.google.com/books?id=7CP7fYghBFQC&pg=PA615 
  14. ^ Chalyan-Daffner (2013), p. 236、注268
  15. ^ Guest, Grace D.; Ettinghausen, Richard (1961), “The Iconography of a Kāshān Luster Plate”, Ars Orientalis 4: 53, note 110, http://www.jstor.org/stable/4629133, "The passage in Qazwīnī dealing with these ideas is on p. 145 of Wüstenfeld's edition (where the names of the two animals are confused with each other and where also the Leviathan appears in a corrupt Arabic form form; see also tr. Ethé, p. 298" 
  16. ^ a b c Ethé (1868), p. 298.
  17. ^ Streck (1936), "al-Ḳazwīnī", Ency. of Islām, p. 844。
  18. ^ a b c d e Jwaideh (1987), p. 34、注 1、注2。
  19. ^ a b c Brinner (2002), p. 6.
  20. ^ Jwaideh (1987)、 p. 19、 注4。
  21. ^ Chalyan-Daffner (2013), p. 215、註196: Ibn al-Wardī, Kharīdat al-ʿajāʾib (Cairo, 1939), p. 239。
  22. ^ a b c d e f ヤークート 『諸国集成』、Jwaideh (1987), p. 34
  23. ^ a b c d アル=サラビー『諸預言者伝』、Brinner (2002), p. 7
  24. ^ Rustomji, Nerina (2013). The Garden and the Fire: Heaven and Hell in Islamic Culture. Columbia University Press. p. 71. https://books.google.com/books?id=YVasAgAAQBAJ&pg=PT95. 
  25. ^ "Felsen aus grünem Hyacinth"、エテによるカズウィーニーのドイツ訳、Ethé (1868), p. 298。
  26. ^ "green jacinth", シュトレックによる『イスラーム百科事典』内のカズウィーニーの宇宙誌に関する英語での要約、Streck (1936), p. 615
  27. ^ Ibn al-Wardi (1835), pp. 36–37.
  28. ^ Brinner (2002), p. 7.
  29. ^ イブン・アル=ワルディー『奇跡の真珠』、カール・ヨハン・トーンベリスウェーデン語版編・ラテン訳、Ibn al-Wardi (1835), pp. 36–37
  30. ^ a b Chalyan-Daffner (2013), pp. 215–216 and notes 196, 107: Ibn al-Wardī, Kharīdat al-ʿajāʾib, p. 16.
  31. ^ Lane (1883), p. 107、注 1。.
  32. ^ Lane (1883), p. 106、注1。
  33. ^ Chalyan-Daffner (2013), pp. 215–216 and note 200: Ibn al-Wardī, Kharīdat al-ʿajāʾib, p. 15.