クィントゥス・セルウィリウス・カエピオ (紀元前106年の執政官)

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クィントゥス・セルウィリウス・カエピオラテン語: Quintus Servilius Caepio, 生没年不詳)は、紀元前2世紀共和政ローマの政治家・軍人。マルクス・ポルキウス・カト・ウティケンシス(小カト)の義父として知られる同名の息子(小カエピオの父であり、カエサル暗殺したマルクス・ユニウス・ブルトゥスの曾祖父、その母セルウィリア・カエピオニスの祖父にあたる。息子と区別して大カエピオとも。父も同名で (de紀元前140年執政官を務めた。

ローマきっての名門貴族の出身であり、共和制末期の政治的混乱(民衆派閥族派の対立)では常に閥族派議員として振る舞った。しかしその振る舞いは時に尊大であり、能力の有無にかかわらず平民の血に生まれた者を蔑視した。この嗜好はキンブリ・テウトニ戦争での身の破滅を招く遠因となった。

来歴[編集]

元老院議員として多数の役職を歴任した後、紀元前106年に最高位の役職である執政官に当選、任期後の翌紀元前105年総督として属州ガリア・キサルピナに赴任した。他の名門貴族と同じく典型的な栄達の道を歩んでいた大カエピオだが、今日ではそうした時代の業績(裁判官の選出を元老院階級のみとしたなど)よりも、キンブリ・テウトニ戦争初期の大敗を招いた人物として記憶されている。

迫り来る2つの蛮族軍の前に、ローマはグナエウス・マッリウス・マクシヌスen)を執政官に選び、マッリウスは大軍を率いて略奪が始まっていた南ガリアへと向かった。元老院はキサルピナの駐屯軍にマッリウスへの協力を命じたが、自らより家柄の低い執政官を見下していた大カエピオはマッリウス軍との協調を拒み、合流命令を無視して独自に行軍を開始した。更に大カエピオは、その途中で立ち寄ったアウルム・トロサヌムen)で略奪を行って多数の金塊と銀塊を入手したが、元老院に届けられたのは銀塊だけだった。公式には盗賊に奪われたことになった金塊は大カエピオが横領したとの噂が立ち、不名誉な噂はその曾孫ブルトゥスの代まで続いた。

協力を拒んだままに、2つのローマ軍はテウトニ軍・キンブリ軍とアラウシオで開戦(アラウシオの戦い)、壊滅的な敗北を喫する。8万人の正規兵と4万の属州兵を失うというポエニ戦争以来の大敗に元老院は激怒し、命からがら戦場から逃げ戻って来た大カエピオは弾劾裁判に掛けられた。市民権の没収や莫大な賠償金など厳しい判決を前に大カエピオは小アジアへと亡命、そこで病死した。