キング・クリムゾン

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キング・クリムゾン
King Crimson
King Crimson - Vredenburg Utrecht (21938525365).jpg
オランダ・ユトレヒト公演 (2015年9月)
基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランドロンドン
ジャンル プログレッシブ・ロック
アヴァンギャルド
実験音楽
インプロビゼーション
シンフォニック・ロック (初期)
ジャズ・ロック (1970年代)
フリージャズ (1970年代)
ヘヴィロック (1972〜74年、1990年代以降)
ニュー・ウェーヴ (1980年代)
プログレッシブ・メタル (1990年代以降)
ヌーヴォ・メタル (1990年代以降)
活動期間 1968年 - 1974年
1981年 - 1984年
1994年 - 2011年
2013年 - 現在
レーベル アイランド・レコード
アトランティック・レコード
E.G. Records
ヴァージン・レコード
サンクチュアリ・レコード
Discipline Global Mobile
公式サイト 公式ウェブサイト
メンバー ロバート・フリップ (G)
ジャッコ・ジャクスジク (Vo/G)
メル・コリンズ (Sax)
トニー・レヴィン (B)
パット・マステロット (Ds)
ギャヴィン・ハリソン (Ds)
ジェレミー・ステーシー (Ds)
ビル・リーフリン (Ds)
旧メンバー グレッグ・レイク(Vo/B)
イアン・マクドナルド (Key)
ジョン・ウェットン (Vo/B)
ビル・ブルーフォード (Ds)
エイドリアン・ブリュー (Vo/G)
ほか 別記参照
専属レーベルDGM「ディシプリン」のロゴ

キング・クリムゾン (King Crimson) は、イングランド出身のプログレッシブ・ロックバンド

同国のミュージシャン ロバート・フリップが主宰を務めている事で知られ、活動は中断期間を挟みながら約50年に及ぶ。1970年代のプログレッシブ・ロックにおける五大バンドに位置付けられ、後世のロック・ミュージックにも多大な影響を与えた。

概要[編集]

1968年に結成。アルバムクリムゾン・キングの宮殿』で1969年にデビュー。以降、リーダーのロバート・フリップはバンドのメンバーを次々と替えていき、音楽性も多様に変遷を辿った。日本では俗に「クリムゾン」などと呼ばれることもあるが、本国ファンにはCrimso(クリムソ)の略称が根強い。

  • 註:キング・クリムゾンの活動時期の分類については諸説ある。構成メンバーを基準に、“第1期”、“第2期”、...などと分類する点は共通しているが、「デビュー~ファースト・アルバムのリリース当時」のメンバーを“第1期”、サード・アルバム『リザード』のころを“第2期”、4thアルバム『アイランズ』のメンバーを『第3期』、...とする分類や、『リザード』までを“第1期”、『アイランズ』のころを“第2期”、『太陽と戦慄』から1974年解散までを“第3期”、...とする分類などといったように、「アルバム自体や、その時のメンバー単位で分類する方法」と、「デビュー〜1974年の解散時まで」を“第1期”、「1980年代再結成からの活動期間」を“第2期”、「1994年からの活動期間」を“第3期”...と、「連続活動期間で分類する方法」などがあり、統一がなされていない。音楽評論家の市川哲史は、『太陽と戦慄』の時期を「再結成」、1980年代の『ディシプリン』から『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』の時期を「再々結成」、1990年代のダブル・トリオの時期を「再々々結成」として、キング・クリムゾンのCDのライナノーツでもその様に記述している。ここでは、前者の分類方式に準じて述べていくが、「デビュー当初の“第1期”」後については、極力、構成メンバーやアルバム・タイトルなどで記述する事とする。

来歴[編集]

[1]

1960年代 クリムゾン・キングの宮殿 (1968年 - 1969年)[編集]

1968年、ジャイルズ兄弟(マイケル・ジャイルズピーター・ジャイルズ)とロバート・フリップの3人によるバンド「ジャイルズ・ジャイルズ&フリップ」から発展。同年6月にマルチプレイヤーイアン・マクドナルド、作詞・ライブ時の照明担当のピート・シンフィールド、女性ボーカルのジュディ・ダイブルが加わってのスターティングメンバーで開始する。

しかし翌7月にダイブルが抜け、同11月にフリップの古くからの友人であったボーカリストベーシストグレッグ・レイクが参加。同12月にはピーター・ジャイルズが脱退し、残った5人が正規メンバーとなり第1期の陣容が正式に固まった。バンド名は加入前にマクドナルドとシンフィールドが共作した曲「クリムゾン・キングの宮殿」から採られ、シンフィールドがメンバーの反対を押し切って付けたとインタビューに答えている。1969年初頭からリハーサルと曲作りが行われ、公開リハーサルの後、ライブ活動とアルバム制作を並行した。

同年10月、デビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』を発表。それは今後のロック・ミュージックを左右する雛形が詰まったと言える作品で、業界からも非常に高い評価を得る[2]全英アルバムチャート5位まで上昇したが、当時から雑誌のレコード・レビューなどで「1969年に、ビートルズの『アビイ・ロード』を1位から転落させたアルバム」といった内容で紹介されてしまう都市伝説も生まれた[3]

この1stアルバム制作当初、「ムーディ・ブルース」のプロデューサー トニー・クラークがプロデュースを担当する繋がりで、同バンドのレーベル『スレッショルド』からリリースする話もあったが、結局はクラークと制作面の相違で決裂。最終的にバンド側がセルフプロデュースして『アイランド・レコード』からのリリースとなった。また、現在はフリップがバンドリーダーを務めているが、この当時の作曲やアレンジを含めた音楽面では、マクドナルドが優勢であったとされる。特に、キーボード(メロトロン)、サックス、フルートを導入し、新たな音楽を創造した功績は大きいとされている。

1stアルバム『クリムゾン・キングの宮殿』発表後、イアン・マクドナルドとマイケル・ジャイルズは同年末で脱退し、ロックデュオ「マクドナルド&ジャイルズ」結成に向かう。これによりオリジナル・ラインナップは早くも崩壊し、アルバム僅か一枚の短命で終わる。

1970年代 アイランズ期 (1970年 - 1972年)[編集]

バンドは崩壊後も契約消化のため、アルバム・リリースを継続せねばならなかった。1970年からの新アルバム制作にメル・コリンズ、脱退したジャイルズ兄弟らの協力やゲストプレイヤーを招いて、2ndアルバム『ポセイドンのめざめ』完成させた。また、グレッグ・レイクが4月以降からレコーディングに来なくなり、そのまま脱退。「エマーソン・レイク・アンド・パーマー」結成に動き出していた。その為ライブツアーは実施されていない。同年末リリースの3rdアルバム『リザード』も同様の形式で完成させた。こちらはライブツアー実施を試みようとしたが、リハーサル段階で頓挫している。

1971年初頭、残っている正規メンバー フリップ、メル・コリンズ、ピート・シンフィールドは、バンド活動が出来る状態を模索する。まずドラマーではイアン・ウォーレスを獲得。そして難航した末、ボーカリスト ボズ・バレルがベース兼任という形で決まった。ベースが素人だったボズに対し、フリップはベースギターの奏法を教授した後、次作収録前にドイツや英国ツアーで1年以上ぶりの慣らしライブを行う。

同年秋からアルバム制作開始し、並行して北米ツアーを開催。この間メンバー同士の確執が浮き彫りになる。特にフリップとシンフィールドの、ブレーン両名の険悪化は致命的であった。そんな中の同年末、4thアルバム『アイランズ』を発表。そしてシンフィールドは解雇された。しかし翌1972年早々のリハーサル段階でメンバー間の溝が結局は埋まらず、フリップはバンドの解散を決意。マネージメント側は既に向こう3ヶ月のプランを組んでいたため、4人は渋々残りの北米ツアーを消化した後の同4月に解散した。

ツアー終了後フリップのみ英国へ帰国し、残りの3人は遠征先で共演したアレクシス・コーナーとバンド「スネイプ」を結成。その後ボズは、ポール・ロジャースのバンド「バッド・カンパニー」のベーシストとして参加。シンフィールドはグレッグ・レイクの呼びかけに応じ、「エマーソン・レイク・アンド・パーマー」に作詞で協力したりソロ・アルバム『スティル』を制作した。後年にフリップは、この時期のバンド解消を「彼らとではアイデア(『太陽と戦慄』路線)を具体化できなかったから」と説明している。

同年6月、初のライヴ・アルバム『アースバウンド』を廉価版にてリリース。これは北米ツアーの音源で劣悪な音質であり、後々まで批評を受けた[4]

再編成 インプロビゼーション期 (1972年 - 1974年)[編集]

解散を決定した1972年初頭からの北米ツアーの期間中、フリップは次期クリムゾン再開に向けて青写真を描いていた。同年夏、ドラマーのビル・ブルーフォードを「イエス」から引き抜いて参加。そして「ファミリー」のベーシスト兼ボーカリストでフリップの大学時代の友人ジョン・ウェットン、クリムゾンが影響を受けた即興集団デレク・ベイリー主宰カンパニーのパーカッショニスト ジェイミー・ミューア、そしてバイオリニスト デヴィッド・クロスが集結し、同年10月から再始動。即興演奏(インプロビゼーション)を主体に、新たな楽曲を生み出す技巧派集団に生まれ変わった。

ここで再びバンドとしてのピークを迎え、5th『太陽と戦慄』6th『暗黒の世界』7th『レッド』の3枚のアルバムをメンバー変遷を経ながらもリリースし、ライヴ・ツアーも精力的にこなした。

1974年のアルバム『レッド』制作の頃には、フリップ、ウェットン、ブルーフォードの3人にまで減っていた。ウェットンの呼び掛けで数名のOBがゲスト参加して完成させるが、リリース直後にフリップは解散を宣言。直前まではメディアに、そのゲスト参加もしたかつてのオリジナルメンバー、イアン・マクドナルドを再度迎えてのバンド継続を匂わしてもいたが、フリップは自身だけでも脱退するつもりの決意をしていた。

解散後の1975年に、北米ツアーのライヴを収録したアルバム『USA』がリリースされた。元音源にはバイオリン兼キーボード(主にメロトロン)担当のデヴィッド・クロスが参加していたが、数曲が編集段階でエディ・ジョブソンの演奏に差し替えられている。またこの頃、「太陽と戦慄 パート2」(5thアルバム『太陽と戦慄』収録)に酷似した曲が映画「エマニエル夫人」で使用され、フリップの訴えによる裁判が行なわれている。(裁判後に和解)

1980年代 ニューウェーヴ期 (1981年 - 1984年)[編集]

1981年、かつてのメンバーであるビル・ブルーフォードを加えて、「ディシプリン」というバンド名でフリップはライブ活動を始めた。アメリカ人ベーシスト、トニー・レヴィンが加入[5]。また、2人目のギタリスト兼ボーカリストに、アメリカ人のエイドリアン・ブリューが参加した。この4人からなるバンドが改名し、結局はキング・クリムゾン名義で活動する。当時ムーブメントになっていたニューウェーヴの要素を取り入れ、音楽性も劇的に変化していた(演奏については、2本のギターとスティックによる複雑なアルペジオの絡みが特徴的だった)。

このような形での再結成に批判が高まり、「キング・クリムゾンがトーキング・ヘッズ化した」という批判も一部から出た。旧メンバー ジョン・ウェットンも「英国人以外が参加しているこのラインナップを、クリムゾンとして認めていない」旨の発言をしている。当初のバンド名をタイトルとした8thアルバム『ディシプリン』リリース後、同年12月に初来日し、渋谷公会堂浅草国際劇場を始めとする全国ツアーを行なった。

1982年、9thアルバム『ビート』を発表。元々『ディシプリン』のみのプロジェクトだったため新素材がほぼ皆無で、準備不足のなか創作に苦労したエピソードを明かしている。

1984年リリースの10thアルバム『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』に至っては準備期間はあったものの、メンバーのモチベーションはもはや低下した中で制作された。同年春に再来日し、北米ツアー後の7月に解散を決定する。フリップは「レーベルとの契約には、アルバム3枚リリースが条件だった。本来意図したアイデアは『ディシプリン』で完結している」と後年に明かしている。

1990年代 ダブルトリオ期 (1994年 - 2000年)[編集]

1990年代に再結成の機運が高まり、デヴィッド・シルヴィアンとの共作で手応え感じたフリップは1994年、バンドを再始動させる。1980年代のメンバーから更に増員して6人編成となり、二組の3人ユニットに分割(通称ダブルトリオ)。サウンド面では、1974年作『レッド』で片鱗をみせたヘヴィ路線を継承し、プログレッシブ・メタルを推進した。

このラインナップでEP『ヴルーム』を制作。慣らし運転も兼ねた南米ツアーを開催し、翌1995年に11年ぶりの11thアルバム『スラック』を発表。そしてフリップは、キング・クリムゾンが実践するヘヴィサウンドを「ヌーヴォメタル (Nuovo Metal)」と名付けた。

長期のライヴ・ツアーを終え休息した後の1997年、集合したバンドはリハーサル段階で相違が大きく内紛になってしまう。また、メンバーそれぞれ自身の仕事を掛け持ちしており、スケジュールの確保も影響していた。そこでフリップは6人編成を一旦棚上げにして、次作へのアイデアを蓄積させていく意味も含め「プロジェクト (ProjeKct)」という名義の小ユニット活動に一時シフト。これを2000年まで断続的に続ける。またこの期間、グレッグ・レイクもしくは、ジョン・ウェットンを含む4人のクラシックメンバー再結成が企図されたが、これは計画段階で頓挫している。

2000年、プロジェクトで培ったアイデアを結集した「ProjeKct X」名義のアルバム『Heaven And Earth』をリリース。それに並行して新アルバムの制作に取り掛かる。しかしビル・ブルーフォードが、電子ドラムを使用したいフリップの方針に難色を示し、また自らのバンド「アースワークス」の活動に専念を希望して脱退。トニー・レヴィンも、ピーター・ガブリエルとの先約があったため離脱する。

残された4人で制作を進め、同年に12thアルバム『ザ・コンストラクション・オブ・ライト』をリリース。結果的にセールスは振るわなかった。来日公演や北米ツアーを開催するが、早くも次作に向けた構想に取り組む。

2000年代 ヌーヴォメタル期 (2001年 - 2008年)[編集]

ベルギー・ドゥール公演 (2003年7月)

前作発表直前に「ダブルトリオ」路線が瓦解し、バンドは独自のヘヴィサウンド「ヌーヴォメタル」を、これまで以上に推し進めた。2001年から次作に向けた短期ツアーとレコーディングを並行して実施。同年にEP『レヴェル・ファイヴ』、翌年にもEP『HAPPY WITH WHAT YOU HAVE TO BE HAPPY WITH』をリリース。そして2003年、集大成となる13thアルバム『ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ』を発表。同年に来日公演を含むワールドツアーを開催する。

同年秋、「ダブルトリオ」編成からのメンバーだったトレイ・ガンが脱退を表明。入れ替わりに、トニー・レヴィンが復帰した。翌2004年から新ラインナップでリハーサルを重ねるが、想像以上に上手くいかず頭打ち状態に陥った。フリップは今後のプランを白紙とし、バンドは長期の活動休止に入る。

2008年4月、今後の活動計画を話し合う会合とリハーサルが再開。更に新メンバーとして「ポーキュパイン・トゥリー」のドラマー、ギャヴィン・ハリソンの加入が明らかになった。同年8月に北米ツアーが行われ、その後、更なるツアーが予定されていたが、エイドリアン・ブリューが自身のソロツアーとダブルブッキングしてしまった事で頓挫。翌年のデビュー40周年記念ツアーも視野にあったが、フリップとブリューの確執も取り沙汰され、また全てが白紙になった。

2010年代前半 トリプルドラム期 (2011年 - 2017年)[編集]

2011年、バンド休止中の間フリップは、ジャッコ・ジャクジグ、旧メンバーのメル・コリンズらを主体とする新たなクリムゾン・プロジェクトを立ち上げ、アルバム『ア・スケアシティ・オブ・ミラクルズ』を発表。次世代クリムゾンに向けた活動を再開する。

ところが、翌2012年にフリップが音楽業界からの引退を表明し、バンド活動終了を宣言。「ユニバーサル・ミュージックと出版権について問題が勃発し、法廷闘争に専念するため」だと明かしている。

2013年、バンド事務所のブレーンでもあるデイヴィッド・シングルトンが、キング・クリムゾンのトリビュートバンド結成を企図する。ユニバーサル・ミュージックとの係争に一段落ついていたフリップは、シングルトンの構想に賛同し引退の前言を撤回。その後オフィシャルサイト上より、かつてのフリップ主催「ギタークラフト」に参加して知己であったビル・リーフリンの加入による編成で、クリムゾンの再始動が発表された[6]

スペイン・マドリード公演 (2016年11月)

2014年、ライブ活動を再開。同年6月に発表されたメンバー構成は、フリップ、メル・コリンズ、トニー・レヴィン、ジャッコ・ジャクジグ、そして3人のドラマー パット・マステロット、ギャヴィン・ハリソン、ビル・リーフリンを前列に配置した「トリプルドラム」編成で、同年9月9日よりアメリカにて17回公演のツアーを開始した。

2015年、12月、約12年ぶりに日本公演を開催[7]

2016年、9月の欧州ツアーからドラマーのリーフリンが降板。代役にジェレミー・ステイシーが参加し、翌年正式に加入する[8]

2010年代後半 ダブルカルテット期 (2017年 - 現在)[編集]

2017年、長期休暇中のビル・リーフリンが秋頃に復帰し、ジェレミー・ステイシーはそのままバンドに残留して8人編成になると発表[9]。そしてメンバー構成の呼称を「ダブルカルテット・フォーメーション」と命名する。

同年5月、昨年他界したデヴィッド・ボウイ追悼のトリビュート作品『ヒーローズ』をリリース[10]。その後は全米ツアーを開始[11]。同9月、フリップとエイドリアン・ブリューが和解し、将来的な復帰を示唆。

特記[編集]

  • グレッグ・レイク脱退後、所属事務所 EG はフリップが知らぬ内に新ボーカリスト探しを算段し、エルトン・ジョンを250ポンドのギャラで雇おうとしたがレコードを一聴したフリップにより却下された。ブライアン・フェリーはオーディション後「キング・クリムゾンのボーカリストとしてはマッチしないが、惜しい人材」とフリップに評価され、後にロキシー・ミュージックがEG所属となるきっかけとなった。
  • 1970年に一時的にクリムゾンが活動停止していた時、イエスを脱退したピーター・バンクスの後任としてフリップはイエスへの参加を要請されたが、事務所の問題で実現しなかった。この時に交流ができた縁で、イエスのジョン・アンダーソンがキング・クリムゾンのサード・アルバム『リザード』の「ルーパート王子のめざめ」にボーカルでゲスト参加している。ジョン・アンダーソンによると、「ロバートにイエスに入らないかと言ったら、逆に、君こそキング・クリムゾンに入れよと言われた」とのこと。
  • 1976年にキング・クリムゾン再起動に失敗し、リック・ウェイクマンとのトリオ結成を断念したウェットンとブルーフォードは、アラン・ホールズワースエディー・ジョブソンU.K.を結成する。ウェットンのインタビューによると、「フリップがバンドを解散したので、残ったリズム隊の2人がキング・クリムゾンのリズムのコンビネーションを維持し展開するために結成した」といった主旨のことをミュージック・ライフ誌に述べていた。
  • 1990年代のキング・クリムゾンの正式結成直前に、フリップはデヴィッド・シルヴィアンとプロジェクト「シルヴィアン・アンド・フリップ」を組み、アルバムをリリースし、来日公演も行っている(この際、マイケル・ブルックと共にトレイ・ガンとパット・マステロットが参加している)。インタビューでは否定していたが、当初「デヴィッドが新しいクリムゾンのボーカリストとして参加する」と噂された。シルヴィアンはフリップに勧誘されたが拒否したとインタビューで述べている。また当初新ラインナップ構想に入っていたリック・マロッタについてはキング・クリムゾンのドラマーに適さなかったとフリップが採用を取りやめている。
  • これとほぼ前後して、オリジナル・メンバーで再結成されたエマーソン・レイク・アンド・パーマーCDボックスセットに、同メンバーの演奏による「21世紀のスキッツォイド・マン」の独自のバージョンが収録されていた(この曲は、1980年代初頭に、グレッグ・レイクがゲイリー・ムーアと共に行ったライヴ・ツアーでも、「クリムゾン・キングの宮殿」と共に演奏された。この2曲のオリジナルは、キング・クリムゾンのファースト・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』に収録)。
  • 1996年、元ジェネシスのギタリスト、スティーヴ・ハケットが来日した際のメンバーとしてマクドナルド、ウェットンが参加しており、第1期の曲から「クリムゾン・キングの宮殿」と「風に語りて」(共にファーストアルバム収録の曲)を演奏した。この様子は、『Tokyo Tapes』としてCD、ビデオなどで正式発売されており、その後DVD化もされている。
  • 2001年トゥールの前座としてツアーを行う。このツアーの最終日、「レッド」の演奏に、トゥールのドラマーであるダニー・ケアリーがゲスト参加した。
  • 2002年、マクドナルドとジャイルズ兄弟が新バンド結成のために再集結、さらにメル・コリンズジャッコ・ジャクスジクを加え、21stセンチュリー・スキッツォイド・バンドが結成された。フリップにも公認され、初期のクリムゾン・ナンバーを演奏してのライヴ・ツアーをこなす。同年及び翌2003年の2回の来日公演も実現した。同バンドはキング・クリムゾンのアルバムの1作目から4作目までの曲をレパートリーの中心としていた。マイケル・ジャイルズは結成後1年足らずで脱退、代わってイアン・ウォーレスが参加し2006年まで活動した。しかし、2007年2月のウォーレス病死で活動再開のめどはたっていない。
  • 2006年9月、スペインの自宅アパートでリハーサル中に心臓発作で急逝したボズ・バレル[12]は、生前クリムゾン時代を語ることを拒否し続けたと言われているがOB達との交友はあり、1980年にはシンフィールドのテレビ出演の際にマイケル・ジャイルズ、メル・コリンズゲイリー・ブルッカーらと共に演奏している。
  • 2011年、キング・クリムゾン・プロジェクト(King Crimson ProjeKct)としてアルバム「A Scarcity of Miracles」をリリース。フリップ自らが参加しているのが大きな特徴であり、他にコリンズとジャクスジクが正式メンバーとして、またレヴィンとハリソンがサポートで参加している。2013年、この5人にドラマー2人を追加したトリプルドラム編成での、キング・クリムゾン再始動が発表された。
  • 2011年以降、ブリューのバンド「エイドリアン・ブリュー・パワー・トリオ」とレヴィンのバンド「スティックメン」(マステロットも参加)のメンバーが合流する形で6人編成の「クリムゾン・プロジェクト」(Crimson Projekct)として活動。この名称はロバート・フリップの命名によるとのこと。

キング・クリムゾン事件[編集]

1995年にTOKYO FM出版は書籍『キング・クリムゾン』〈地球音楽ライブラリー〉を発行したが[13]、キング・クリムゾンのメンバーに無断で発行したため、ロバート・フリップパブリシティ権を侵害されたとして出版元のTOKYO FM出版を訴えた。これを「キング・クリムゾン事件」という[14]。第1審ではフリップの勝訴となったが[15]、控訴審ではTOKYO FM出版が逆転勝訴し[16]、以後記載内容の多くのミスが修正されないまま2007年にも再版されている[17]

ディスコグラフィー[編集]

オリジナルアルバム
ミニアルバム/EP
ライブアルバム
コンピレーション

主要ラインナップ(主な担当パート)[編集]

  • ロバート・フリップ(Robert Fripp)- Guitars, Frippertronics/ Soundscapes, Mellotron & Synthesizers(以下、全期間を通じてリーダーとして在籍)
  • Lineup #2『アイランズ』『アースバウンド』
    • ボズ(Boz Burrell)- Vocals & Bass(後にポール・ロジャース率いるバッド・カンパニーのベーシスト、ボズ・バレルに)
    • メル・コリンズ - Saxophone, Flute, Mellotron & Vocals
    • イアン・ウォーレス(Ian Wallace)- Drums & Vocals
    • ピート・シンフィールド - Words(『アイランド』製作直後に正式脱退し、EL&Pの歌詞を担当)
    • この他にも、ゲスト・ミュージシャンが参加している
  • Lineup #3『太陽と戦慄』〜『レッド』発表当時
  • Lineup #4『ディシプリン』〜『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペア』(1980年代再結成時。キャリア等は、本文参照)
  • Lineup #6『ザ・コンストラクション・オブ・ライト』〜『ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ』
    • エイドリアン・ブリュー - Vocals & Guitars
    • トレイ・ガン - Warr Guitars(2007年エディー・ジョブソンやその他のミュージシャンとともにUKZを結成)
    • パット・マステロット - Drums & Percussion
  • Lineup #9 (2016年)
    • ジャッコ・ジャクスジク - Vocals, Guitars
    • メル・コリンズ - Saxophones, Flute
    • トニー・レヴィン - Bass, Chapman stick, Vocals
    • パット・マステロット - Drums & Percussion
    • ギャヴィン・ハリソン - Drums & Percussion
    • ジェレミー・ステーシーJeremy Stacey) - Drums & Percussion, Keyboards
  • Lineup #10 (2017年秋以降)
    • ジャッコ・ジャクスジク - Vocals, Guitars
    • メル・コリンズ - Saxophones, Flute
    • トニー・レヴィン - Bass, Chapman stick, Vocals
    • パット・マステロット - Drums & Percussion
    • ギャヴィン・ハリソン - Drums & Percussion
    • ビル・リーフリン - Drums & Percussion, Keyboards
    • ジェレミー・ステーシー - Drums & Percussion, Keyboards


日本公演[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ キング・クリムゾン バイオグラフィ - King Crimson.jp
  2. ^ キング・クリムゾンの世界中を驚愕させた革命的なデビュー作『クリムゾン・キングの宮殿』 - music.jp
  3. ^ 英国音楽誌DISC誌1969年11月8日号デヴィッド・シューズの記事「遂にデビューアルバムがアビーロードをトップから引きずり降ろした。」を紹介したものと言われる。そのことについては、複数の日本の評論家が「デマとまではいえないが、ありえるとしたなら、地方の、あるいは、マイナーなチャートではないのか」といった見解を共通して述べていた
  4. ^ 元々はミキサー・コンソールに繋がれたカセットテープレコーダーの音源で、演奏後のチェック用にイアン・ウォーレス所有のレコーダーで録音されたもの
  5. ^ フリップとはピーター・ガブリエルのレコーディングで競演したことがある
  6. ^ http://www.dgmlive.com/news.htm?entry=4335
  7. ^ キング・クリムゾン、渋谷オーチャードホールにてあの名曲の数々を披露 - BARKS
  8. ^ キング・クリムゾン 9月欧州ツアーにはビル・リーフリンは不参加、ジェレミー・ステイシーが代役 - amass
  9. ^ キング・クリムゾンにビル・リーフリンが復帰、新たにドラマー4人の8人編成に - amass
  10. ^ キング・クリムゾン、デヴィッド・ボウイの「ヒーローズ」をリリース - BARKS
  11. ^ キング・クリムゾン、6月から開始する全米ツアーの日程を発表 - NME JAPAN
  12. ^ Eder, Bruce. “Boz Burrell: Information for Answers.com” (en). Answers.com. 2010年2月5日閲覧。 “...in fact White was present at Burrell's apartment in Spain when, during rehearsals, Boz suddenly died of a heart attack on September 21, 2006.”
  13. ^ キング・クリムゾン」、『国立国会図書館サーチ 詳細情報』、TOKYO FM 出版2014年6月21日閲覧。
  14. ^ 「一覧」『肖像の保護に関する過去の判例・事例(参考資料 1)経済産業省。2010年10月14日(木)閲覧。
  15. ^ 東京地方裁判所 平成10年(1998年)1月21日 判決。
  16. ^ 東京高等裁判所 平成11年(1999年)2月24日 判決。
  17. ^ 「登録情報」『地球音楽ライブラリー キングクリムゾンAmazon.co.jp。2010年10月13日(水)閲覧。
  18. ^ キング・クリムゾン、3枚組ライヴ・アルバム詳細発表&グッズの期間限定ショップも出店決定 BARKS 2017年8月4日

関連文献[編集]

外部リンク[編集]