キリスト教民主アピール
| キリスト教民主アピール Christen Democratisch Appèl (CDA) | |
|---|---|
|
| |
| 党首 | アンリ・ボンテンバル |
| 成立年月日 | 1980年10月11日 |
| 本部所在地 |
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| 第二院議席数 |
18 / 150 (12%) |
| 第一院議席数 |
6 / 75 (8%) |
| 欧州議会 |
3 / 31 (10%) |
| 党員・党友数 |
26,227 (2025年[2]) |
| 政治的思想・立場 |
中道 - 中道右派 キリスト教民主主義 |
| 国際組織 |
欧州人民党 中道民主インターナショナル |
| 公式サイト | www.cda.nl |
キリスト教民主アピール(キリストきょうみんしゅアピール、蘭: Christen Democratisch Appèl、略称: CDA)は、オランダの中道、中道右派、キリスト教民主主義政党。日本語ではキリスト教民主勢力[3][4]、キリスト教民主同盟[5][6]と表現されることもある。
概説
[編集]1960年代から協力関係を模索していたキリスト教民主主義系の3党(反革命党(ARP)、キリスト教歴史同盟(CHU)、カトリック人民党(KVP))が、1980年10月11日に合併して誕生した[7]。
国政においては、結党以来、第1次ウィム・コック内閣(1994年~1998年)、第2次ウィム・コック内閣(1998年~2002年)、第2次マルク・ルッテ内閣(2012年~2017年)、ディック・スホーフ内閣(2024年~)を除く全ての内閣において連立政権に加わっている。党出身の首相としては、ドリース・ファン・アフト、ルード・ルベルス、ヤン・ペーター・バルケネンデの3名がいる。
歴史
[編集]1977年以前
[編集]1878年の教育法の改正により、学校の施設・設備基準の厳格化と併せて公立初等学校の運営費の一部について国が補助金を拠出する制度ができたが、宗教学校(私立学校)は施設・設備整備の負担が増す一方で国の補助の対象外となるため、プロテスタント(カルヴァン派)やカトリック系の人々は反発を強めた(学校闘争)[8]。そうした状況下で、1879年に、カルヴァン派のアブラハム・カイパーにより反革命党(ARP)が設立された。1888年にはARPのマッカイ男爵を首班とし、ARPとプロテスタント系及びカトリック系の無所属議員による初のキリスト教民主主義政権が誕生した(マッカイ内閣、1888年~1891年)。その後も、ARP主導によるアブラハム・カイパー内閣(1901年~1905年)、テオ・ヘームスケルク内閣(1908年~1913年)においてキリスト教民主主義政権が成立した。1917年には憲法改正により公立学校と私立学校の平等な取り扱いの原則が明記され、学校闘争は一定の収束をみることになる。
1894年にはARPから保守系の反カトリック派が離脱し、1908年にキリスト教歴史同盟(CHU)が設立された。また、カトリック系勢力では、1904年にローマ・カトリック総連盟が結成され、1926年に後継のローマ・カトリック国家党(RKSP)が結党され、1945年にはカトリック人民党(KVP)に改組された。1918年から1945年までの間は3党のいずれかの党が首班となる状況が続いた。第二次世界大戦後も3党が第二院の約半数を占め、多くの内閣においていずれかの党が政権与党に加わることとなった。
1960年代にはオランダ社会において世俗化が進み、支持基盤がキリスト教民主主義政党から離れていった。1967年にはKVPが大敗したことなどを契機に[7]、ARP、CHU、KVPの3党の各6人から成る「18人グループ」を結成し、3党の共通マニフェストや統一候補者名簿の作成の可能性などが議論された。翌1968年には、3党の党首が今後も共闘を続ける旨の声明を出した。
しかし、各党では3党の合同路線に対する反発もあり、特にカトリック人民党や反革命党の進歩派は政治的連携への後悔の念を抱くことになる。1968年には労働党(PvdA)との協力を模索する進歩派が、左派政党の急進党(PPR)を結成した。1971年の第二院選挙では、共通のマニフェストを発表したが、統一名簿の作成には至らなかった。「18人グループ」を引き継ぐ協議会で協議が続くも、翌1972年に内閣崩壊に伴って行われた第二院選挙では、議席を更に減らすことになった。
1973年には、カトリック人民党のピエト・スティーンキャンプ主導の下で、3党の連合組織としてキリスト教民主アピール(CDA)が設立された。一方で、労働党のヨープ・デン・アイル内閣においてKVP及びARPの両党が与党、CHUが野党に分かれたため、3党の合併までにはなお複雑な過程を経ることとなった[9]。
1977年から1994年まで
[編集]1977年の第二院選挙に際し、3党はカトリック人民党のドリース・ファン・アフトを第一候補とする統一名簿を公表した。選挙戦でアフトは、新党が左右いずれにもよらない中道政党であることを強調した結果、49議席を獲得し、第2党となった。第1党の労働党との連立交渉が不調に終わった後、キリスト教民主アピールと自由民主国民党(VVD)による第1次ドリース・ファン・アフト内閣が、少数派内閣として発足した。一方で連立内閣への参加は、キリスト教民主アピール内部での進歩派(王党派)と保守派との間で少なからぬ軋轢が生じさせた。
1980年10月11日には、これまでの3党が解党しキリスト教民主アピールが正式に結成された。一方で、1981年3月には、反革命党系の党内左派が離脱し、EVPを設立した(後にEVPは他党と合併してフルンリンクスとなる)。
1981年5月の第二院選挙では48議席を獲得して第1党となり、労働党、民主66(D66)との連立による第2次ドリース・ファン・アフト内閣が発足する。しかし、キリスト教民主アピールと労働党の間での経済政策や雇用政策に関する対立から、1982年5月に労働党が連立内閣を離脱した。暫定内閣として民主66との連立による第3次ドリース・ファン・アフト内閣(少数派内閣)が発足した。
1982年の第二院選挙では、45議席を獲得して第2党となるが、第1党の労働党主導の内閣が形成できなかったため、キリスト教民主アピールと自由民主国民党との連立による第1次ルード・ルベルス内閣が誕生する。キリスト教民主アピールの新党首となったルベルスは、老齢年金および障害者年金の削減や公共部門の民営化など諸改革を矢継ぎ早に実施。この間キリスト教徒のみならず一般の国民からも支持を取り付けながら、1986年、1989年の各選挙に勝利した。しかし1989年の第二院選挙で自由民主国民党と合わせても過半数に届かなかったため、労働党と共に第3次ルベルス政権を発足させ、労働党内から反発を少なからぬ受けつつも新自由主義的改革を断行していった。
1994年から現在まで
[編集]キリスト教民主アピールにとって1994年の第二院選挙は試練の連続であった。老齢、障害者両年金の改革に対して支持が集まらなかったことなどから、世論調査でも劇的な敗北を喫し、新政権は1918年以来初めてキリスト教民主主義政党以外の閣僚が占めることとなった。この決定はキリスト教民主アピール内に衝撃を与え、従来の方針を転換し共同体主義を掲げる政党へと舵を切る。
2002年、ピム・フォルタイン暗殺事件の直後の第二院選挙では議席数を大きく伸ばし、43議席を獲得して第1党となった。選挙後に自由民主国民党やピム・フォルタインリスト(LPF)を連立与党とする第1次バルケネンデ内閣を発足させたが、ピム・フォルタインリストの内部抗争によって短期間で瓦解した。2003年に第二院選挙が前倒しされると、44議席を獲得する。当初は労働党との連立交渉が行われるが、不調に終わり、自由民主国民党と民主66を連立与党とする第2次バルケネンデ内閣が発足した。連立内閣は移民法の厳格化や社会保障および労働法の改革などに取り組んだ。2006年にアヤーン・ヒルシ・アリの国籍問題を契機に民主66が連立を離脱すると、自由民主国民党との2党による少数派内閣(第3次バルケネンデ内閣)となった。
2006年の第二院選挙でも引き続き第1党となると、翌2007年、労働党、キリスト教連合を連立与党とする第4次バルケネンデ内閣が発足する。2010年にアフガニスタンのウルーズガーン州における軍事任務の延長問題を契機に労働党が連立内閣を離脱すると、その後前倒しされた第二院選挙において議席を21議席に半減させ、第4党に後退する大敗を喫する。第1党の座は自由民主国民党に明け渡すこととなったが、第1次マルク・ルッテ内閣の連立与党に加わった。
2012年の第二院選挙では13議席、第5党に後退し、野党となった。2017年の第二院選挙では19議席まで議席を伸ばし、第3次マルク・ルッテ内閣の連立与党(自由民主国民党、キリスト教民主アピール、民主66、キリスト教連合)に加わった。2021年の第二院選挙では15議席を獲得した。連立協議は長引いたが、第4次マルク・ルッテ内閣の連立与党に留まった。
2023年の第二院選挙では、元CDA議員のピーター・オムツィヒト[注 1]が設立した新社会契約党(NSC)などの新興政党の台頭などもあり、5議席しか獲得できず、党史上最低議席数に留まった。ディック・スホーフ内閣では野党となった。2025年の第二院選挙では、18議席に議席を戻した。
イデオロギーと政策
[編集]キリスト教民主アピールはキリスト教民主主義政党であるが、党内にはユダヤ教徒やムスリム、ヒンズー教徒の議員もいる。これらのマイノリティがオランダの文化へ統合されることを支持している。
CDAは中道の政党とされている。2010年には極右の自由党の閣外協力を受けるマルク・ルッテ内閣に参加したが、フェルハーヘン院内総務はCDAが右翼的な政党になったとする見方を強く否定している。2012年に採択された新しい党の方針では、中道路線をとることを確認し、個人の機会の平等や環境税の導入などを掲げた。
主な主張としては、以下のようなものがある。
- 財政赤字は高齢化社会と対峙するため1世代で完済すべき。
- 薬物には厳罰をもって臨み、売春や中絶、そして安楽死により制限を加える。
- 欧州連合を強く支持し、将来のトルコの加盟にも賛成。
- 学校や病院への政府の規制を減らし、自主的な運営をさせることを目指す。
国際比較
[編集]キリスト教民主アピール以外で、ヨーロッパに存在する主要キリスト教民主主義政党としてはドイツのキリスト教民主同盟が挙げられる。キリスト教民主アピールは右派政党だが、イギリスの保守党よりは中道寄りとされる。
党組織
[編集]党員数
[編集]2025年時点の党員数は26,227名とされる[2]。党員数は減少傾向にある。
関連組織
[編集]- キリスト教民主青年アピール (Christen-Democratische Jongeren Appèl: CDJA) :青年組織(1981年設立[10])
- CDA女性局(CDA-Vrouwenberaad: CDAV):男女平等問題に取り組む組織(1973年設立[10])
- CDA科学研究所(Wetenschappelijk Instituut voor het CDA: WI):党シンクタンク(1977年設立、1981年に現在の名称に改称[10])
- スティーンカンプ研究所(Steenkampinstituut):研修プログラムを実施する組織。(1980年設立、1990年に現在の名称に改称[10])
- エドゥアルド・フレイ財団(CDA Stichting voor internationale solidariteit 'Eduardo Frei': EFF):中東欧のキリスト教民主主義政党を支援する組織(1990年設立)。財団名は、チリのキリスト教民主党のエドゥアルド・フレイ・モンタルバ元チリ大統領に由来する。[11]
この他、歴史的には「柱状化」の影響から、放送局(KRO-NCRV[注 2])や新聞社のトラウ(Trouw)、経営者団体、労働組合等に、党と関連が深い団体がある。
国際組織
[編集]欧州人民党および中道民主インターナショナルに加盟している。欧州議会では欧州人民党グループに所属している。
支持層
[編集]選挙母体
[編集]カトリック、プロテスタント双方の信者に支えられ、とりわけ農村部の高齢者の間で支持が厚いが、キリスト教民主アピールが一時期中道政党を標榜していたことから、各階層のあらゆる宗教の信者を惹き付けている。地理的に見ると、北ブラバント、リンブルフ、オーファーアイセルの各州で強い。2006年の選挙ではオーファーアイセル州トゥッベルヘンにて最高得票率(66.59%)を記録。一方、国内4主要都市(アムステルダム、ロッテルダム、デン・ハーグおよびユトレヒト)で弱い。
選挙結果
[編集]国会 (スターテン・ヘネラール)
[編集]| 選挙年 | 得票数 | % | 獲得議席数 | +/- | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1977[12] | 2,652,278 | 31.89 | 49 / 150 |
連立与党 | |
| 1981[13] | 2,677,259 | 30.81 | 48 / 150 |
連立与党 | |
| 1982[14] | 2,420,441 | 29.39 | 45 / 150 |
連立与党 | |
| 1986[15] | 3,172,918 | 34.59 | 54 / 150 |
連立与党 | |
| 1989[16] | 3,135,056 | 35.32 | 54 / 150 |
連立与党 | |
| 1994[17] | 1,996,418 | 22.23 | 34 / 150 |
野党 | |
| 1998[18] | 1,581,053 | 18.37 | 29 / 150 |
野党 | |
| 2002[19] | 2,653,723 | 27.93 | 43 / 150 |
連立与党 | |
| 2003[20] | 2,763,480 | 28.62 | 44 / 150 |
連立与党 | |
| 2006[21] | 2,608,573 | 26.51 | 41 / 150 |
連立与党 | |
| 2010[22] | 1,281,886 | 13.61 | 21 / 150 |
連立与党 | |
| 2012[23] | 801,620 | 8.51 | 13 / 150 |
野党 | |
| 2017[24] | 1,301,796 | 12.38 | 19 / 150 |
連立与党 | |
| 2021[25] | 990,601 | 9.50 | 15 / 150 |
連立与党 | |
| 2023[26] | 345,822 | 3.31 | 5 / 150 |
野党 | |
| 2025[27] | 1,246,874 | 11.79 | 18 / 150 |
||
| 選挙年 | 得票数[注 3] | %[28] | 獲得議席数[29] | +/- |
|---|---|---|---|---|
| 1977 | 24 / 75 |
|||
| 1980 | 27 / 75 |
|||
| 1981 | 28 / 75 |
|||
| 1983 | 26 / 75 |
|||
| 1986 | 26 / 75 |
|||
| 1987 | 26 / 75 |
|||
| 1991 | 27 / 75 |
|||
| 1995 | 19 / 75 |
|||
| 1999[30] | 40,541 | 20 / 75 |
||
| 2003[31] | 46,848 | 28.98 | 23 / 75 |
|
| 2007[32] | 43,501 | 26.67 | 21 / 75 |
|
| 2011[33] | 24,260 | 15.22 | 11 / 75 |
|
| 2015[34] | 25,145 | 15.61 | 12 / 75 |
|
| 2019[35] | 19,756 | 12.93 | 9 / 75 |
|
| 2023[36] | 13,136 | 7.63 | 6 / 75 |
|
欧州議会
[編集]| 選挙年 | 得票数 | % | 獲得議席数 | +/- | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1979[37] | 2,017,743 | 35.60 | 10 / 25 |
||
| 1984[38] | 1,590,218 | 30.02 | 8 / 25 |
||
| 1989[39] | 1,814,107 | 34.60 | 10 / 25 |
||
| 1994[40] | 1,271,855 | 30.77 | 10 / 31 |
||
| 1999[41] | 954,898 | 26.94 | 9 / 31 |
||
| 2004[42] | 1,164,431 | 24.43 | 7 / 25 |
||
| 2009[43] | 913,233 | 20.05 | 5 / 25 |
||
5 / 26 |
※リスボン条約批准後の議席数見直し後 | ||||
| 2014[44] | 721,766 | 15.18 | 5 / 26 |
||
| 2019[45] | 669,555 | 12.18 | 4 / 26 |
||
4 / 29 |
※英国のEU離脱に伴う議席数見直し後 ※2020年6月2日に50プラス所属のマンダース議員がCDAに移籍し、5議席となった[46]。 | ||||
| 2024[47] | 589,205 | 9.45 | 3 / 31 |
||
地方自治
[編集]国内の地方議会において所属議員数が最多を誇る上、ほとんどの自治体政府において与党となっている。また、414名中、約125名の党員市長を抱える。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ↑ “CDA - Contact.” (オランダ語). CDA. 2025年12月31日閲覧。
- 1 2 “Ledentallen” (オランダ語). University of Groningen (Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)). 2025年12月31日閲覧。
- ↑ “オランダ総選挙 親EUの中道政党が躍進する勢い 極右は議席大幅減”. 毎日新聞. 2025年10月30日. 2025年12月31日閲覧.
- ↑ 「キリスト教民主勢力」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』。コトバンクより2025年12月31日閲覧。
- ↑ “オランダ基礎データ”. 外務省. 2025年12月31日閲覧。
- ↑ “オランダ下院総選挙で中道リベラルの民主66が僅差で勝利、政権連立の主導権獲得(オランダ) - ビジネス短信”. 日本貿易振興機構 (2022年1月18日). 2025年12月31日閲覧。
- 1 2 “Geschiedenis 1879 - 1980” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2025年12月31日閲覧。
- ↑ 杉浦恭「オランダの近代教育」『愛知教育大学研究報告. 教育科学』(pdf)、第48巻、愛知教育大学、1999年3月1日、197-205頁。
- ↑ “Christelijk-Historische Unie” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2025年12月31日閲覧。
- 1 2 3 4 “Organisatie 1977 - 1982”. Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年6月4日閲覧。
- ↑ “Eduardo Frei Stichting (EFS)”. Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年6月4日閲覧。
- ↑ “Tweede Kamer 25 mei 1977” (オランダ語). Kiesraad. 2025年12月31日閲覧。
- ↑ “Tweede Kamer 26 mei 1981” (オランダ語). Kiesraad. 2025年12月31日閲覧。
- ↑ “Tweede Kamer 8 september 1982” (オランダ語). Kiesraad. 2025年12月31日閲覧。
- ↑ “Tweede Kamer 21 mei 1986” (オランダ語). Kiesraad. 2025年12月31日閲覧。
- ↑ “Tweede Kamer 6 september 1989” (オランダ語). Kiesraad. 2025年12月31日閲覧。
- ↑ “Tweede Kamer 3 mei 1994” (オランダ語). Kiesraad. 2025年12月31日閲覧。
- ↑ “Tweede Kamer 6 mei 1998” (オランダ語). Kiesraad. 2025年12月31日閲覧。
- ↑ “Tweede Kamer 15 mei 2002” (オランダ語). Kiesraad. 2025年12月31日閲覧。
- ↑ “Tweede Kamer 22 januari 2003” (オランダ語). Kiesraad. 2025年12月31日閲覧。
- ↑ “Tweede Kamer 22 november 2006” (オランダ語). Kiesraad. 2025年12月31日閲覧。
- ↑ “Tweede Kamer 9 juni 2010” (オランダ語). Kiesraad. 2025年12月31日閲覧。
- ↑ “Tweede Kamer 12 september 2012” (オランダ語). Kiesraad. 2025年12月31日閲覧。
- ↑ “Tweede Kamer 15 maart 2017” (オランダ語). Kiesraad. 2025年12月31日閲覧。
- ↑ “Tweede Kamer 17 maart 2021” (オランダ語). Kiesraad. 2025年12月31日閲覧。
- ↑ “Tweede Kamer 22 november 2023” (オランダ語). Kiesraad. 2025年12月31日閲覧。
- ↑ “Tweede Kamer 29 oktober 2025” (オランダ語). Kiesraad. 2025年12月31日閲覧。
- ↑ “Partij - CDA - Verkiezingsuitslagen” (オランダ語). Kiesraad. 2025年12月31日閲覧。
- ↑ “Zetelverdeling in de Eerste Kamer 1917-nu”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
- ↑ “Eerste-Kamerverkiezingen - 25 mei 1999”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
- ↑ “Eerste-Kamerverkiezingen - 26 mei 2003”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
- ↑ “Eerste-Kamerverkiezingen - 29 mei 2007”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
- ↑ “Eerste-Kamerverkiezingen - 23 mei 2011”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
- ↑ “Eerste-Kamerverkiezingen - 26 mei 2015”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
- ↑ “Eerste-Kamerverkiezingen - 27 mei 2019”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
- ↑ “Eerste-Kamerverkiezingen - 30 mei 2023” (オランダ語). Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2025年12月31日閲覧。
- ↑ “Europees Parlement 7 juni 1979” (オランダ語). Kiesraad. 2025年12月31日閲覧。
- ↑ “Europees Parlement 14 juni 1984” (オランダ語). Kiesraad. 2025年12月31日閲覧。
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- ↑ “Europees Parlement 9 juni 1994” (オランダ語). Kiesraad. 2025年12月31日閲覧。
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- ↑ “Europees Parlement 10 juni 2004” (オランダ語). Kiesraad. 2025年12月31日閲覧。
- ↑ “Europees Parlement 4 juni 2009” (オランダ語). Kiesraad. 2025年12月31日閲覧。
- ↑ “Europees Parlement 22 mei 2014” (オランダ語). Kiesraad. 2025年12月31日閲覧。
- ↑ “Europees Parlement 23 mei 2019” (オランダ語). Kiesraad. 2025年12月31日閲覧。
- ↑ “9th parliamentary term / Antonius MANDERS / MEPs”. European Parliament. 2022年5月28日閲覧。
- ↑ “Europees Parlement 6 juni 2024” (オランダ語). Kiesraad. 2025年12月31日閲覧。