キャンプ茅ヶ崎

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キャンプ茅ヶ崎(キャンプちがさき)は、神奈川県茅ヶ崎市にあった在日米軍陸軍施設。

経緯[編集]

  • 1945年昭和20年)5月 - 海軍が、後に本施設の一部となる南湖院を接収。
  • 1946年(昭和21年)8月 - 旧南湖院を連合国が接収し、アメリカ陸軍第8軍第95軽戦車中隊が駐屯する。
  • 1952年(昭和27年)7月26日 - 日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第3条に基く行政協定第2条により、旧JPNR4125および510であった施設をFAC(施設)番号3082、施設名をキヤンプ茅ケ崎、在日米軍の無期限使用施設(茅ヶ崎市柳島所在)とした[1]
  • 1956年(昭和31年)
    • 1月17日 - 土地建物の一部(旧南湖院部分)を返還する[2]
    • 5月29日 - 日米政府間協定を改定し、FAC(施設)番号を3082-01とし、1956年1月17日に一部返還したことを、日米政府間で同意する[2]
  • 1957年(昭和32年)11月15日 - 土地建物の一部(茅ヶ崎12893-3、-4、12894-5、-8)を返還する[3]
  • 1958年(昭和33年)
    • 2月21日 - 日米政府間協定を改定し、FAC(施設)番号を3082-02とし、1957年11月15日に一部返還したことを、日米政府間で同意する[3]
    • 9月26日 - 日米政府間協定を改定し、FAC(施設)番号を3082とする[4]
  • 1961年(昭和36年)
    • 3月31日 - 使用解除となる[5]。土地:約10,397.02m2、建物:約310.74m2
    この時点で使用解除となったため、以下は、日米地位協定上の、事務処理上の経緯となる。
    • 4月19日 - 日米地位協定第2条に基づき、施設名を茅ケ崎通信所へ変更する[6]
  • 1962年(昭和37年)2月9日 - 日米地位協定第2条に基づき、1961年3月31日付けでの使用解除が決定する[5]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 同日、外務省告示第34号
  2. ^ a b 昭和31年6月19日、外務省告示第64号
  3. ^ a b 昭和32年12月19日横浜調達局公告。昭和33年6月6日、外務省告示第66号
  4. ^ 昭和35年3月5日、外務省告示第13号
  5. ^ a b 昭和37年7月11日調達庁告示第4号
  6. ^ 同日、調達庁告示第4号