キャット・アンダーソン

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キャット・アンダーソン
Cat Anderson
キャット・アンダーソン(1947年)
基本情報
出生名 William Alonzo Anderson
生誕 (1916-09-12) 1916年9月12日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 サウスカロライナ州グリーンビル
死没 (1981-04-29) 1981年4月29日(64歳没)
ジャンル ジャズ
職業 ミュージシャン
担当楽器 トランペット
活動期間 1930年代 - 1970年代
レーベル コロムビアインナー・シティマーキュリー、EMI、Apollo、Strand、フィリップス、All Life、Parker
共同作業者 デューク・エリントンルイ・ベルソン

キャット・アンダーソンCat Anderson、本名:William Alonzo Anderson、1916年9月12日 - 1981年4月29日)はアメリカジャズトランペット奏者。

デューク・エリントン・バンドで長年活躍したことが知られている。ハイノート・ヒッターとしても知られる。

来歴[編集]

1916年、サウスカロライナ州グリーンビルに生まれる。

4歳の時、両親を失い、チャールストンにあるジェンキンス孤児院に送られる。そこで音楽と出会い、トランペットを学ぶ。

この孤児院に居るときにクラスメートから「Cat」という愛称を付けられている。それを彼は終生使い続けた。

音楽活動は孤児院時代から始め、グループを組み、レコーディングも行った。

1938年から1942年にかけて、ドク・ホイーラー・オーケストラに所属。他にエルスキン・ホーキンス(トランペット)、ライオネル・ハンプトン(ヴィブラフォン)らの楽団にも参加している。

1944年、フィラデルフィアエール劇場にてデューク・エリントン・バンドと共演する。このときにデュークに才覚を見出され、このバンドで活動するようになる(1944年-1947年、1950年-1959年、1961年-1971年)。

その他の期間は自身のバンドを率いて演奏活動を行った。

1971年以降は活動拠点をロサンゼルスに移し、スタジオ・セッションや地元のバンドにも参加している。

1981年4月29日、脳腫瘍で亡くなる。64歳没。

ハイノート[編集]

キャットの演奏で伝えられるのは代名詞でもあるハイノート・プレイであり、5オクターブ(最高トリプルC)をカバーしたといわれる。

またウィントン・マルサリスは「ハイノート・ヒッターの中でも最高の人」と語っている。

ディスコグラフィ[編集]

リーダー・アルバム[編集]

  • Cat Anderson Plays at 4 AM (1958年、Columbia [France, EMI])
  • Cat on a Hot Tin Horn (1958年、Mercury)
  • Ellingtonia (1959年、Wynne) ※キャット・アンダーソン & エリントン・オールスターズ名義
  • 『キャット・アンダーソン』 - A Chat with Cat Anderson (1963年、Columbia [France, EMI])
  • Cat Speaks (1977年、Black & Blue)
  • Plays W.C. Handy (1978年、Black & Blue)
  • Americans Swinging in Paris (2002年、EMI) ※CD reissue of the two French Columbia albums
  • Cat Speaks: The Definitive Black and Blue Sessions (2002年、Black & Blue)[1]

脚注[編集]

  1. ^ Cat Speaks”. AllMusic. 2019年1月31日閲覧。

外部リンク[編集]