キトの市街

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世界遺産 キトの市街
エクアドル
キトの町並みと歴史的建造物
キトの町並みと歴史的建造物
英名 City of Quito
仏名 Ville de Quito
面積 320 ha
登録区分 文化遺産
登録基準 (2), (4)
登録年 1978年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
使用方法表示
キトの市街の位置(エクアドル内)
キトの市街
キトの市街
キトの市街 (エクアドル)

キトの市街(キトのしがい)[注釈 1]は、エクアドルの首都キトの旧市街を対象とするUNESCO世界遺産リスト登録物件であり、アーヘン大聖堂ドイツ)、ラリベラの岩窟教会群エチオピア)、イエローストーン国立公園アメリカ合衆国)などとともに1978年に登録された最初の世界遺産12件のひとつである。キトの市街は保存状態の良好さが高く評価されている歴史地区であり、16世紀には南米大陸におけるキリスト教布教の拠点だったことから、かつては「アメリカ大陸の修道院」の異名をとった[1]。市街には当時を偲ばせる様々な建築様式の聖堂修道院などが数多く残っている。登録名は「キト市街[2][3][4][5]、「キト旧市街[6]などとも訳される。

歴史[編集]

エクアドルの首都キト(サン・フランシスコ・デ・キト)は標高2850 m に位置している[7][8]。その国名(エクアドルは赤道の意味)が示すように、赤道直下に位置する国だが、その標高の高さに起因する過ごしやすい気候は、都市の発展にも寄与した[5]

キトの建設は1534年のことで、インカの武将ルミニャウイの追撃の途上でこの地に入ったセバスチャン・デ・ベナルカサスによるものである[9]。スペイン入植以前のインカ人都市は、スペイン人の侵略に抵抗しようとする住民自らによって破壊されたため[10]、その痕跡は残っていない[11]

1543年に正式にスペインの植民地支配が開始されると、独立広場を中心として格子状に街路が形成され、さまざまな建物が並ぶようになった[9]。スペイン植民都市は建設に関して様々な規格が存在しており、広場を中心とするキトの市街もそれに倣っている[1]。他方で、キトは傾斜地に規格化された都市計画を持ち込んだ都合上、急勾配の街路や階段が見られる[12]

様式は時代ごとに変遷し、旧市街ではルネサンス様式バロック様式ムデハル様式などを見ることができる[9]。キトに進出した修道会はフランシスコ会ドミニコ会イエズス会など様々で、彼らが築いた多くの宗教建造物が立ち並んだキトは、前述の通り「アメリカ大陸の修道院」ないし、「南アメリカの修道院」[8]の異名をとった。

1917年の大地震[8]、1987年の大地震[13]などでたびたび被災したが、歴史地区の保存状態の良好さはラテンアメリカで随一と評価されている[8]

主な建造物[編集]

サン・フランシスコ聖堂・修道院[編集]

フランシスコ会修道院は1535年に建設され、これは同じ年から建設が始まったサン・フランシスコ聖堂とともに、南アメリカ大陸最古のカトリックの宗教建造物である[14][13]。修道院は南アメリカで「もっとも威厳のある教会建築」[14]ともいわれる。

付属のサン・フランシスコ聖堂の建設を手がけたのはフランドル出身のホドコ・リッケで、かれはフランシスコ会士だった[14]。内部に安置された十二使徒像はカスピカラインディオの彫刻家)の手になるものである[15]

付属するインディオのための教育機関は、神学美術の学校となった[14]。この工芸学校は南米最初のもので[5]、南米美術の一派であり、大きな影響力を持った「キト派」を生み出したことで知られている[16][8]

独立広場と大聖堂[編集]

市街の中心部に位置し、大統領府、市庁舎、大聖堂などに囲まれている[13]。独立広場に面している大聖堂は1572年に建造された[17]。1660年、1755年、1797年と大地震の被災のたびに修復されたので、本来の様式に比べて簡素に変わっている[14][18]。大祭壇にはカスピカラの彫刻が飾られている[17]。この大聖堂には、エクアドルの初代大統領フアン・ホセ・フローレスボリビアの初代大統領アントニオ・ホセ・デ・スクレの棺が納められている[19]

サント・ドミンゴ聖堂・修道院[編集]

ドミニコ会修道院は17世紀初頭に建造されたバロック様式の宗教建造物で、キト最古の街路であるロンダ通りに残っている[17]。石橋で結ばれた通りの向かい側に位置するサント・ドミンゴ聖堂は、建設許可の都合上、約100年後に建設された[20]。内部の装飾では、ロザリオの聖母礼拝堂にある祭壇衝立の芸術性の高さが特筆されている[20]

ラ・メルセー聖堂[編集]

ラ・メルセー聖堂は、托鉢修道会の一派であるメルセス会の建物である[8]。植民地時代に建てられた宗教建造物の中では最後に位置する18世紀の建物だが、内部に安置された聖母像は1575年製作のキト最古のマリア像である[20][17]。高さ47 mの塔は、建設当初はキトで最も高い建物だった[17]

ラ・コンパーニア聖堂[編集]

ラ・コンパーニア聖堂は1605年にドイツ人のレオンハルト・ドイブラーが着工し、イタリア人のベネッチオ・ガンドロフィットが1766年に完成させた聖堂で[20]、祭壇の装飾にはふんだんに金箔が使われている[17]イエズス会の聖堂で[5]、イタリア・バロックとスペイン・バロックの様式が混じりあったその建築は[20]、エクアドルに残るバロック様式建造物の中では最高傑作とも評されている[8]安山岩で築かれており、ファサードは螺旋状の柱で飾られ、優美なものと見なされている[14]

サン・アグスティン聖堂[編集]

サン・アグスティン聖堂は16世紀末のスペイン人建築家フランシスコ・デ・ベセーラによって建造されたアグスティン会の聖堂で[20]、1809年には数週間で失効の憂き目にあったとはいえ、独立宣言の署名が行われた場所でもあった[21][20]。現在残る聖堂は、1868年の地震の後に修復されたものである[20]

登録経緯[編集]

キトの市街は世界遺産リストへの物件登録が最初に行われた第2回世界遺産委員会で登録が決議された。世界遺産委員会の諮問機関である国際記念物遺跡会議(ICOMOS) の事前勧告も登録がふさわしいとするものであり[22]クラクフ歴史地区(ポーランド)、ゴレ島セネガル)、ランス・オ・メドー国定史跡カナダ)などとともに、最初の世界遺産12件のひとつとなったのである。

また、キトの市街はガラパゴス諸島とともに、最初のエクアドルの世界遺産でもある。

登録基準[編集]

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

ICOMOSは、基準 (2), (3), (5) に該当するとしていて、それらの基準は、キトの市街では人と自然が一体となって、独特の都市景観が生み出されたことなどに対して適用できるとされていた[23]

実際に採択された基準 (2) と (4) の適用理由については、第2回世界遺産委員会の決議集では明示されていなかった[24]。しかし、2013年の第37回世界遺産委員会ではその適用理由について遡及的採択が行われ、基準 (2) については、キト派が地元のアウディエンシア管区内の諸都市および、近隣管区内の諸都市に大きな影響を与えたこととの対応関係が示された。基準 (4) については当初ICOMOSに示されていた上記の人と自然が一体となって、独特の都市景観が生み出されたことに対応するものとされた[25]

修復[編集]

キトの市街は、登録地域内の建造物の修復などのために、1981年から1999年までの間に計16回、総額391,800ドルの助成金を、世界遺産基金から拠出されている[26]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 日本語名は、ユネスコ世界遺産センター (1997)、世界遺産アカデミー (2009) などによる。ほかの訳は後述を参照。

出典[編集]

  1. ^ a b ユネスコ世界遺産センター (1997) p.138
  2. ^ 日本ユネスコ協会連盟 (2013) 『世界遺産年報2013』朝日新聞出版、p.35
  3. ^ 古田陽久 古田真美 監修 (2011) 『世界遺産事典 - 2012改訂版』シンクタンクせとうち総合研究機構、p.156
  4. ^ 水村 (2002)
  5. ^ a b c d 青柳 (2003) p.466
  6. ^ 大平ほか (1998)
  7. ^ 『コンサイス外国地名事典』第3版、三省堂、1998年
  8. ^ a b c d e f g 世界遺産アカデミー (2009) pp.199-200
  9. ^ a b c 大平ほか (1998) p.110
  10. ^ ユネスコ世界遺産センター (1997) p.139
  11. ^ ICOMOS (1978) f.3
  12. ^ ユネスコ世界遺産センター (1997) p.140
  13. ^ a b c 大平ほか (1998) p.111
  14. ^ a b c d e f ユネスコ世界遺産センター (1997) pp.140-141
  15. ^ 大平ほか (1998) pp.111-112
  16. ^ 大平ほか (1998) pp.110-111
  17. ^ a b c d e f 大平ほか (1998) p.112
  18. ^ 水村 (2002) p.202
  19. ^ ユネスコ世界遺産センター (1997) pp.141-142
  20. ^ a b c d e f g h ユネスコ世界遺産センター (1997) p.142
  21. ^ 水村 (2002) p.201
  22. ^ ICOMOS (1978) f.1
  23. ^ ICOMOS (1978) f.2
  24. ^ Report of the 2nd Session of the Committee
  25. ^ World Heritage Centre (2013) p.165
  26. ^ City of Quito - Assistance(World Heritage Centre)

参考文献[編集]