キッス・キラーズ
『キッス・キラーズ』 | ||||
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キッス の コンピレーション・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 | 1974年 - 1982年 | |||
ジャンル | ハード・ロック | |||
時間 | ||||
レーベル | カサブランカ | |||
プロデュース | マイケル・ジェームス・ジャクソン(新曲) | |||
専門評論家によるレビュー | ||||
キッス アルバム 年表 | ||||
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キッス・キラーズ(Killers)は、1982年に発表されたキッスのコンピレーション・アルバム。
全12曲の収録曲のうち4曲が新曲、8曲が既発曲という内容のベスト・アルバムである。
解説
[編集]1980年、彼等はアルバム『仮面の正体』の売り上げが不振に終わったことから、結成以来初めて海外ツアーを中心とした活動に終始した。1981年、次作『〜エルダー〜 魔界大決戦』の売り上げはさらに悪化して、彼等はツアーすらも行えず、TV出演等によるプロモーションで辛うじて活動を維持した。この年、エース・フレーリーは実質的に脱退した[注釈 1]。
1982年当時、少なくともアメリカ国内の彼等の人気はどん底で低迷していた。契約先のカサブランカ・レコードの配給元であるフォノグラム・レコードの要請で、急遽新曲4曲をレコーディングして企画中のベスト・アルバムに収録することが決まり、外部コンポーザーが共作者に招聘された。ポール・スタンレーが1978年に発表したソロ・アルバムに作曲で参加したマイケル・ジャップは、スタンレー、ブライアン・アダムスとともに「闇への祈り」を作曲。アダム・ミッチェルは、プロデューサーのマイケル・ジェームス・ジャクソンに起用されてスタンレーと「伝説の魔人」と「悪魔のパートナー」を共作。スタンレーが書いた「絶体絶命」は『〜エルダー〜 魔界大決戦』の未発表曲だった。
フレーリーはアルバム・カヴァーに登場しただけで、制作には全く参加していない[注釈 2]。彼の代役には『アライヴ2』(1977年)のスタジオ録音に参加したボブ・キューリックが起用された。キューリックは『アライヴ2』ではフレーリーのプレースタイルを真似るように指示されていたが、本作では自分本来のテクニックを存分に披露している。「絶体絶命」もキューリックを迎えて新たに録音された。
フォノグラムは、アメリカではキッスのライヴ・アルバムもベストヒット・アルバムも既に十分に出回っていると判断して、本作を海外でリリースすることに決めた。その結果はノルウェーで6位、オーストラリアで21位、日本で27位[注釈 3][1]、スウェーデンで41位、イギリスで42位と、まずまずのチャート・アクションを記録した。一方、本作からのシングルはいずれもチャートインしなかった。アメリカでも輸入盤アルバムとして流通して人気を博した。
収録曲
[編集]- 「伝説の魔人」"I'm a Legend Tonight" 作詞・作曲 ポール・スタンレー、アダム・ミッチェル – 3:59
- 「闇への祈り」"Down on Your Knees" 作詞・作曲 ポール・スタンレー、マイケル・ジャップ、ブライアン・アダムス – 3:31
- 「コールド・ジン」"Cold Gin" 作詞・作曲 エース・フレーリー – 4:20
- 「ラヴ・ガン」"Love Gun" 作詞・作曲 ポール・スタンレー – 3:17
- 「狂気の叫び」"Shout It Out Loud (7" mix)" 作詞・作曲 ポール・スタンレー、ジーン・シモンズ、ボブ・エズリン – 2:40
- 「シュア・ノウ・サムシング」"Sure Know Something" 作詞・作曲 ポール・スタンレー、ヴィニ・ポンシア – 3:59
- 「絶体絶命」"Nowhere to Run" 作詞・作曲 ポール・スタンレー – 4:32
- 「悪魔のパートナー」"Partners in Crime" 作詞・作曲 ポール・スタンレー、アダム・ミッチェル – 3:45
- 「デトロイト・ロック・シティ」"Detroit Rock City" 作詞・作曲 ポール・スタンレー、ボブ・エズリン – 3:53
- 「雷神」"God of Thunder" 作詞・作曲 ポール・スタンレー – 4:11
- 「ラヴィン・ユー・ベイビー」"I Was Made for Lovin' You" 作詞・作曲 ポール・スタンレー、ヴィニ・ポンシア、デズモンド・チャイルド – 4:18
- 「ロックンロール・オールナイト(ライブ)」"Rock and Roll All Nite (Live)" 作詞・作曲 ポール・スタンレー、ジーン・シモンズ – 3:58