ガルーダ (プロレスラー)

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ガルーダ
プロフィール
リングネーム ガルーダ
森田 友和
本名 森田 友和
ニックネーム 聖獣
身長 180cm
体重 80kg
誕生日 (1978-09-26) 1978年9月26日(38歳)
出身地 千葉県君津市
所属 フリー
スポーツ歴 柔道
トレーナー アニマル浜口
ハヤブサ
デビュー 2000年9月7日
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ガルーダ1978年9月26日 - )は、ガルダをモチーフにした日本覆面レスラー。本名:森田 友和(もりた ともかず)。

経歴[編集]

高校卒業後に上京して新聞配達をしながらアニマル浜口ジムに3年間通う。レスラーになるための基礎を学んだのち、FMWの入門テストを受けて合格した。

2000年9月7日、福井市体育館における対保坂秀樹戦でデビュー。8分34秒、テキサスクローバー2000で敗れる。同日デビューには佐々木義人、牧田理がいる。

メキシコ遠征を経て、2001年11月23日、横浜文化体育館における、天龍源一郎冬木弘道組を相手にマスクマン・ガルーダとしてデビュー(パートナー黒田哲広)。冬木に23分33秒、片エビ固めで敗れる。

FMW崩壊後の2002年8月、ハヤブサが率いるWMFの旗揚げに参加。12月12日、WMF後楽園大会で「ガルーダ試練のスペシャルマッチ」と題して、新崎人生とシングル戦をして敗れる。人生厳しい攻めに素顔をさらしながら、なおマスクマンとして生き続ける決心をした。

2003年、首の負傷により長期欠場。同年12月復帰。以後首の負傷による欠場をたびたび繰り返すようになる。

2004年2月、第4回「スーパーJカップ」に出場してベスト4進出。6月に新日本プロレスベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに初出場する。

2005年5月、WMFと契約解除してフリーになる。その後、みちのくプロレス大阪プロレスなどに参戦する。

2007年11月、プロレスリング華☆激に参戦してコスモ☆ソルジャーとタッグチーム「ファイヤー・ウイングス」を結成して博多タッグ王座を奪取。現在華☆激を中心にフリーのレスラーとして活躍している。

ハヤブサの後継者[編集]

FMWの終身コミッショナーに就任した冬木弘道が2001年11月1日、負傷欠場中のエース、ハヤブサに代わる救世主「ガルーダ」を引き連れ、メキシコから帰国。現地語で「鳥神」を意味するマスクマンだが国籍、年齢、経歴などはすべて不明だった。10月28日にメキシコに旅立って以来、精力的に選手発掘を続けてきた冬木は「向こうで見つけてきたんだけど、一切ナゾだから分からない」と話していた。

実際はデビュー1年と少ししかたっていない森田友和が「メキシコから招聘した」という触れ込みで急遽スターに仕立て上げられたマスクマンだった。 正体がキャリア数年の若手選手であったため、周囲の期待に応えられず苦悩の日々を過す。

2002年12月12日、WMF後楽園ホール大会で新崎人生と一騎討ちをする。これはハヤブサが、「本来ならオレが闘って伝えるべきだが、こんな状態だから…。アイツの迷いを取り払って欲しい」と人生に重要な役目を託したものだった。人生はガルーダのマスクをはぎとっておいての極楽固めで大きなダメージを与えると、最後は念仏パワーボムからこの日2度目の強烈な極楽固めを極め、レフェリーストップで試合終了となった。

試合後のリング上では、ハヤブサが「森田、もういいだろう。いつまでもオレの陰にくすぶっていないで、今のままの自分に戻ってくれ。オレから言えるのはそれだけだ。」と、ガルーダのマスクを取っていいと言い、人生も無言でうなずいていたが、ガルーダは「ずっと江崎さんのことが頭に残っていました。でも、自分はこのマスクから逃げたくありません。もう森田友和には戻りません。俺はガルーダだ!」とマイクアピール。解説席のハヤブサの目をしっかりと見据えてリングを後にした。試合後のインタビューで「ウジウジした自分とはお別れです。江崎さんの陰ではなく、森田を捨ててガルーダとしてやっていきます」と語った。

ハヤブサの思いはガルーダにも観客にも伝わり、森田は自分の意志でマスクを被ることを決意した。人生は肌を合わせてみて彼の潜在能力の高さを知り、未来のエースになれることを確信した。このエピソードはガルーダが名実共にハヤブサの後継者であることを物語っているであろう。

得意技[編集]

ガルーダフラッシュ
ファイヤーバードスプラッシュ
450°スプラッシュと同型。
ファルコンクラッシュ
ファルコンアロー
ルナ

タイトル歴[編集]