ガウリシャンカール

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ガウリシャンカール
Gauri Shankar
Jomo Tseringma
ドゥラルトク英語版から見たガウリシャンカール
最高地点
標高7,134 m (23,406 ft) [1][2][notes 1]
プロミネンス1,600 m (5,200 ft) [1][notes 1]
総称ウルトラ・プロミネント峰
座標北緯27度57分12秒 東経86度20分09秒 / 北緯27.95333度 東経86.33583度 / 27.95333; 86.33583座標: 北緯27度57分12秒 東経86度20分09秒 / 北緯27.95333度 東経86.33583度 / 27.95333; 86.33583[1]
山岳名
翻訳女神ガウリー(パールヴァティー)とその夫シャンカール(シヴァ (ネパール語サンスクリット))
地形
ガウリシャンカール Gauri Shankarの位置(ネパール内)
ガウリシャンカール Gauri Shankar
ガウリシャンカール
Gauri Shankar
ネパールにおける位置
ガウリシャンカール Gauri Shankarの位置(バグマティ州内)
ガウリシャンカール Gauri Shankar
ガウリシャンカール
Gauri Shankar
ガウリシャンカール
Gauri Shankar (バグマティ州)
所在地ネパールの旗 ネパール ドラカ郡
所属山脈ヒマラヤ山脈
登山
初登頂1979年5月8日、John Roskelley、Dorje Sherpa
最容易
ルート
雪・氷
プロジェクト 山

ガウリシャンカールネパール語: गौरीशंकर)は、ネパールドラカ郡にあるヒマラヤ山脈ロルワリン・ヒマール英語版の山である。標高7,134メートルで、ロルワリン・ヒマールの中ではメルンツェ英語版(7,181メートル)に次ぐ第2の高峰である。ネパール標準時UTC+5:45)は、この山を通る子午線を基準としている[3]

位置[編集]

ガウリシャンカールは、カトマンズの北東約100キロメートルに位置するロルワリン・ヒマールの西端近くにある。カトマンズとエベレストのほぼ中間に位置し、カトマンズからも見える。山頂の西には、ロルワリン・ヒマールの西の境界であるボテ・コシの谷がある。ロルワリン・ヒマール最高峰のメルンツェは北にある。南側からタマコシ川英語版の支流のロルワリン・チュードイツ語版が流れており、テシ・ラプチャ峠を越えてクンブ地方英語版に行くことができる[4]

名称[編集]

名前の由来は、ヒンドゥー教の女神であるパールヴァティーの別名のガウリーと、その夫のシヴァの別名のシャンカールであり、ネパールの人々がこの山を神聖視していることを表している。シェルパ族はこの山をチョモ・ツェリンマ(Jomo Tseringma)と呼んでいる[5]

「ガウリシャンカール」という名前は、19世紀中頃のドイツを中心とするヨーロッパにおいて、世界最高峰のエベレストを指す言葉として使われていた。これは、ドイツのヒマラヤ探検家ヘルマン・シュラーギントヴァイト英語版アドルフ・シュラーギントヴァイトの弟)が、世界最高峰であることが判明したばかりのピーク15(現在のエベレスト)と当山を混同し、この山の名前が「ガウリシャンカール」であると地元住民に教えてもらったことから、「世界最高峰ガウリシャンカール」と勘違いして発表したためである[6]

山頂[編集]

この山には2つの山頂があり、北側の高い方の山頂はシャンカール(シヴァの別名)、南側の山頂はガウリー(パールヴァティーの別名)と呼ばれている。ボテ・コシの谷から5キロメートル程度しか離れておらず[7][8]、四方を急峻な斜面と長い角状の尾根に囲まれている[4][7]

登頂史[編集]

1950年代から1960年代にかけてガウリシャンカールへの登頂が試みられたが、天候や雪崩、登攀困難な氷壁などのため、全ての登山隊が登頂に失敗した[9] 。1965年から1979年までは、公式に登頂が禁止されていた。

1979年に登頂が許可され、5月8日アメリカとネパールの登山隊が西壁を経由して初登頂に成功した[5]。このルートは、技術的に非常に難しいものだった。ネパール観光省の登頂許可証では、両国から同数の登山者が登頂チームに参加しなければならないと規定されており、初登頂にはアメリカ人のジョン・ロスケリー英語版とネパール人シェルパのドルジェが参加した[4]

同年、ピーター・ボードマン英語版率いるイギリスとネパールの登山隊が、長く困難な南西尾根からの登頂に挑戦した。11月8日、ボードマン、ティム・リーチ、ガイ・ニードハルト、ペンバ・ラマの4人は、南のガウリ(7,010メートル)に到達した[10]。イギリス隊はシャンカールへは行かなかった。

1983年スロベニアの登山隊が登頂した[11][12]11月1日にSlavko Cankar(隊長)、Bojan Šrot、Smiljan Smodišが、その3日後にFranco PepevnikとJože Zupanが到達した。スロバキア隊は南壁の左側を登り、南西稜に到達した後、ガウリー山頂へ進んだ。スロベニア隊もまた、シャンカールへは行かなかった[13]

ヒマラヤン・インデックスによれば、主峰シャンカールへの登頂は、1979年の初登頂の後2回行われている[14]。2回目の登頂は1984年春、ワイマン・カルブレスとアン・カミ・シェルパが南西面の尾根に設けられた新ルートを使って行った。3回目の登頂は、1986年1月、韓国のチェ・ハンジョとシェルパのアン・カミによって行われ、初の冬期登頂となった[15]

2013年秋、4人のフランス人登山家によって、南壁の完全な登頂が実現した。10月21日午後4時に南壁の頂上に到達したが、その先のガウリー山頂(7,010メートル)への登頂は断念した。南壁の下まで降りるのに11時間を要した[11]

文学での言及[編集]

ロシアの作家アンドレイ・ベールイの小説『ペテルブルグ英語版』の中で、一日に起きたたくさんの出来事の喩えとしてガウリシャンカールに言及されている[16]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b この山の標高とプロミネンスについては、情報源によって大きく異なる。例えばPeakbaggerでは標高7134メートル、プロミネンス1709メートルとなっている。

出典[編集]

  1. ^ a b c High Asia II: Himalaya of Nepal, Bhutan, Sikkim and adjoining region of Tibet”. Peaklist.org. 2014年5月30日閲覧。
  2. ^ "Gaurishankar, China/Nepal". Peakbagger.com. 2014年5月30日閲覧
  3. ^ Gurung, Trishna. “15 minutes of fame”. Nepali Times. 2011年7月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月3日閲覧。
  4. ^ a b c Fanshawe, Andy; Venables, Stephen (1995). Himalaya Alpine-Style. Hodder and Stoughton 
  5. ^ a b Read, Al (1980). “The Nepalese-American Gaurishankar Expedition”. American Alpine Journal (American Alpine Club) 22 (2): 417. http://publications.americanalpineclub.org/articles/12198041700/The-Nepalese-American-Gaurishankar-Expedition 2015年1月3日閲覧。. 
  6. ^ Günter O. Dyhrenfurth: Zum dritten Pol: Die Achttausender der Erde. München, 1952, S. 28f (Zum dritten Pol - Google ブックス).
  7. ^ a b Ohmori, Koichiro (1994). Over The Himalaya. Cloudcap Press (The Mountaineers). ISBN 978-0938567370 
  8. ^ DEM files for the Himalaya (Corrected versions of SRTM data)
  9. ^ Neate, Jill (1989). High Asia: An Illustrated History of the 7000 Metre Peaks. The Mountaineers. ISBN 978-0898862386 
  10. ^ Boardman, Peter (1983). Sacred Summits. London: Arrow Books, LTD. ISBN 978-0099310402 
  11. ^ a b Griffen, Lindsay (2013年11月5日). “South face of Gaurishankar finally climbed”. British Mountaineering Council. 2015年1月3日閲覧。
  12. ^ An interview with Aco Pepevnik” (1997年6月16日). 2015年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月3日閲覧。
  13. ^ Griffin, Lindsay (2014). “Gaurishankar (to Point 6,850m), south face, Peine Prolongée”. American Alpine Journal (American Alpine Club). http://publications.americanalpineclub.org/articles/13201212619/Gaurishankar-to-Point-6850m-south-face-Peine-Prolonge 2021年11月7日閲覧。. 
  14. ^ Himalayan Index”. Alpine Club. 2015年1月3日閲覧。
  15. ^ “AAJ online”. American Alpine Journal: 237. (1986). オリジナルの20 January 2015時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150120010458/http://www.americanalpineclub.org/p/aaj 2015年1月3日閲覧。. 
  16. ^ Petersburg”. booksvooks.com. 2021年11月7日閲覧。