カール・ボレス

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カール・ボレス
Carl Boles
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アーカンソー州
生年月日 (1934-10-31) 1934年10月31日(83歳)
身長
体重
180 cm
79 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1954年
初出場 MLB / 1962年8月2日
NPB / 1966年4月10日
最終出場 MLB / 1962年10月2日
NPB / 1971年6月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

カール・ボレスCarl Theodore Boles, 1934年10月31日 - )は、アメリカ合衆国アーカンソー州出身の元プロ野球選手外野手)。

日本では近鉄バファローズ西鉄ライオンズに所属した。

経歴[編集]

1966年に来日し、近鉄に入団。1969年からは西鉄に移り、日本プロ野球に在籍した6シーズンで、常に安定した成績を残した。1970年には、東映フライヤーズとの試合中に大杉勝男と乱闘となり、ノックアウトされる(その後、大杉が謝罪して落着した)。

西鉄在籍時の1969年にチームメイトの永易将之から敗退行為を持ち掛けられるもボレスは拒否し、球団に報告した。また、報知新聞の西鉄担当の記者に「チームメイトにわざとエラーする選手がいる」と漏らした。これを受けて報知が調査し、黒い霧事件の全容が明らかになっていったのだった。

西鉄との契約では、チーム遠征では宿舎ではなくホテル部屋を使用するというものであったが、体力を養うためにという名目でもっと高い部屋を要求したり、無断で試合に出ないなどチーム内での評判は悪く、要求が受け入れられないとみるや引退やパリーグ内での移籍を仄めかすなど、契約金にまつわるトラブルが多かった。我慢の限界に達した西鉄は、ボレス自身が仄めかして契約金の吊り上げに利用した引退の意思を逆手に取り、1971年6月7日付で任意引退扱いにして事実上解雇した。

帰国後はサンフランシスコ・ジャイアンツのスカウトを勤めた後、現在は「The Carl T. Boles Baseball 4 Kids Foundation, Inc」を立ち上げ、経済的に恵まれない子供たちがリトルリーグへ参加することを支援している。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1962 SF 19 25 24 4 9 0 0 0 9 1 0 0 1 0 0 0 0 6 2 .375 .375 .375 .750
1966 近鉄 124 499 463 60 121 21 1 26 222 57 14 8 2 1 26 3 7 57 9 .261 .310 .479 .790
1967 114 466 417 73 127 21 1 31 243 76 3 4 4 4 33 1 8 43 17 .305 .367 .583 .950
1968 72 258 235 21 59 6 0 5 80 25 2 2 4 3 13 0 3 24 5 .251 .299 .340 .639
1969 西鉄 115 431 405 42 98 12 1 18 166 56 4 3 0 4 20 1 2 48 11 .242 .281 .410 .691
1970 119 441 402 48 102 11 1 28 199 59 4 2 0 4 30 6 5 36 5 .254 .314 .495 .809
1971 33 132 116 21 33 3 0 9 63 21 3 1 0 1 14 2 1 8 4 .284 .366 .543 .910
MLB:1年 19 25 24 4 9 0 0 0 9 1 0 0 1 0 0 0 0 6 2 .375 .375 .375 .750
NPB:6年 577 2227 2038 265 540 74 4 117 973 294 30 20 10 17 136 13 26 216 51 .265 .319 .477 .797

記録[編集]

NPB

背番号[編集]

  • 14 (1962年)
  • 27 (1966年 - 1968年)
  • 29 (1969年 - 1971年)

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]