カール・フリードベルク

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カール・ルドルフ・ヘルマン・フリードベルク
基本情報
生誕 (1872-09-18) 1872年9月18日
出身地 ドイツの旗 ドイツ ビンゲン
死没 (1955-09-09) 1955年9月9日(82歳没)
学歴 ホーホ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト
担当楽器 ピアノ

カール・ルドルフ・ヘルマン・フリードベルクドイツ語: Carl Rudolf Hermann Friedberg, 1872年9月18日 ビンゲン1955年9月9日 メラーノ)は、ドイツピアニスト、音楽教師。

経歴[編集]

1872年、ビンゲン生まれ。フランクフルトホーホ音楽院にてジェームス・クヴァストクララ・シューマンピアノを師事する。

その後1893年から1904年まで同校の教員をつとめ、1904年から1914年までケルン音楽院(現・ケルン音楽大学)の教壇に立った。1923年から1946年に隠退するまで、ニューヨーク芸術音楽専門学校(現・ジュリアード音楽院)でピアノ科の首席教授を務める。主要な門人にエリー・ナイマルコム・フレイジャー、ブルース・ハンガーフォード、ウィリアム・マセロスらがいる。1955年[9月9日、イタリアに客死した。

演奏活動・評価[編集]

フリードベルクは60年以上にわたって欧米でピアニストとして演奏を続けた。1900年12月2日グスタフ・マーラーの指揮するウィーン宮廷管弦楽団と共演して公式のデビューを果たした。但し、1893年には全曲ブラームス作品によるリサイタルを本人立ち会いのもとに行い、作曲者から称賛を得た。その後はブラームスのピアノ曲のほとんどについて、作曲者本人の個人指導により特訓を受けている。1920年にはアルトゥル・シュナーベルの後任として、カール・フレッシュフーゴ・ベッカーが結成したピアノ三重奏団に加入し、1932年に解散するまで室内楽奏者として活動した。アメリカではフリッツ・クライスラーと数多くのリサイタルで共演しており、1937年にはダニエル・カルピロフスキーやフェリックス・サルモンドと自前のピアノ三重奏団を結成している。

フリードベルクはレパートリーの幅広い演奏家であったが、一般的にベートーヴェンシューマン、ブラームスのピアノ曲と結びつけられることが多い。

脚注[編集]