カーヌスティ・ゴルフリンクス

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Carnoustie Golf Links
概要
カーヌスティ・ゴルフリンクスの位置(アンガス (スコットランド)内)
カーヌスティ・ゴルフリンクス
座標北緯56度29分38.00秒 西経2度43分25.00秒 / 北緯56.4938889度 西経2.7236111度 / 56.4938889; -2.7236111座標: 北緯56度29分38.00秒 西経2度43分25.00秒 / 北緯56.4938889度 西経2.7236111度 / 56.4938889; -2.7236111
所在地スコットランドの旗 カーヌスティ
開業1850
種類Public
ホール数54
Championship
設計者アラン・ロバートソン, オールド・トム・モリス, ジェームズ・ブライド
パー72 (71(全英開催時))
全長6,941ヤード (6,347 m)
(7,421ヤード (6,786 m)
第136回全英オープン)
コースレコード64 by リチャード・グリーン, スティーブ・ストリッカー, コリン・モンゴメリー, アラン・テイト, シェーン・ローリー
The Burnside
設計者ジェームズ・ブライド
パー68
全長6,028ヤード (5,512 m)
Buddon Links
パー66
全長5,420ヤード (4,956 m)

カーヌスティ・ゴルフリンクスCarnoustie Golf Links)は、スコットランドにあるゴルフ場で、ゴルフのメジャー大会である全英オープンの開催コースである。

概要[編集]

1850年にオープンし、これまで全英オープンを7回開催している。スコットランド特有のリンクスコースであり、非常に戦略性が高く、さらに他のリンクスコースにないバリー・バーンと呼ばれる小川が流れており、このバリー・バーンがコースの難易度をさらに高めている。1968年にこのコースで優勝したゲーリー・プレーヤーは「世界で最も難しいコース」と語るなど、全英オープンの開催コースの中でも一番難しく、世界のゴルフコースの中でも5本の指に入る難しさである。

  • 1975年に開催されて以降、コースが荒れたことや観客の収容人数が不足したこともあり、全英オープンは開催されなかったが、1999年に1900年代最後の年を記念して24年ぶりに復活開催された。この大会が後述するようにゴルフ史に残る大会になったことや、興行的にも成功したことで、カーヌスティは再び全英オープンの開催コースのローテーションに復帰し、2007年に再び全英オープンを開催した。

2010年には当地で全英シニアオープンが、2011年には全英女子オープンが開催。また毎年10月に開催されるアルフレッド・ダンヒル・リンクス選手権の会場の一つとしても使われている。

名物ホール[編集]

このコースの名物ホールはなんといっても最終18番(499ヤード・パー4)であろう。「home」という名前がついているこのホールは左側がずっとOBゾーンになっており、またバリー・バーンがティーの右側からグリーンの手前に流れており、選手にプレッシャーを与えている。近年の全英オープンでは後述するように最終日の18番で想像もできないようなドラマが相次いでおこっている。

カーヌスティの悲劇(ヴァン・デ・ヴェルデの悲劇)[編集]

1999年の大会で、ジャン・ヴァン・デ・ヴェルデフランス)は最終日2位に3打差をつけて最終18番ホールを迎えていた。誰もがヴァン・デ・ヴェルデの優勝を確信していたが、ティーショットで右に大きく曲げて隣のホールへ。無理してグリーンを狙った2打目は観客席を直撃して深いラフの中に入ってしまう。そして3打目。ダフリ気味のボールは無情にもクリークの中へ。すっかり冷静さを失ったヴァン・デ・ヴェルデはクリークの中に入って水切りショットを試みようとするが、無謀なのは明らかで結局1打罰を払い、5打目に賭けることとなる。5打目もクリークをこえたものの、バンカーにつかまり結局6オン1パットのトリプルボギーを叩き、プレーオフになってしまった。結局プレーオフでも敗れ、まさかの大逆転負けを喫してしまった。

  • 2007年大会でも、首位を走っていたパドレイグ・ハリントンアイルランド)がクリークに2度捕まり、ダブルボギーを叩いて首位から陥落し、誰もが悲劇の再来かと思った。しかし、最終組で首位に立ったセルヒオ・ガルシアスペイン)が入れば優勝というパーパットを外しプレーオフに突入した。命拾いしたハリントンはガルシアをプレーオフで振り切り、死闘に決着をつけた。

登場作品[編集]

ゴルフゲーム。

外部リンク[編集]