カーター・デヘイヴン

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Carter DeHaven
カーター・デヘイヴン
カーター・デヘイヴン
広告。1923年
本名 フランシス・オキャラハン
Francis O'Callaghan; 出生名
⇒ カーター・デヘイヴン
生年月日 1886年10月5日
没年月日 1977年7月20日(満90歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス市ウッドランド・ヒルズ
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 俳優映画監督脚本家助監督映画プロデューサー衣裳デザイナー
ジャンル ヴォードヴィルサイレント映画トーキーテレビ映画
配偶者 フローラ・パーカー・デヘイヴン (二度結婚)
エヴリン・バード (離婚)
家族 ローズ・デ・ヘイヴン (妹)
マージョリー・デヘイヴン (長女・夭折)
グロリア・デヘイヴン (次女)
カーター・デヘイヴン・ジュニア (子息)
カーター・デヘイヴン三世 (孫)
カーター・デヘイヴン四世 (曾孫)

カーター・デヘイヴンCarter DeHaven, 1886年10月5日 - 1977年7月20日)は、アメリカ合衆国俳優映画監督脚本家助監督映画プロデューサー衣裳デザイナーである[1]。出生名フランシス・オキャラハンFrancis O'Callaghan)。

人物・来歴[編集]

1886年(明治19年)10月5日、アメリカ合衆国のイリノイ州シカゴで「フランシス・オキャラハン」として生まれる[1]。5歳下の妹はのちに女優となりローズ・デ・ヘイヴンと名乗る[1][2]

最初のキャリアはヴォードヴィルの舞台俳優であった[1]。1915年(大正4年)、映画界に入り、ウィリアム・C・ドーランが監督した短篇映画 The College Orphan に主演し、衣裳デザイナーも兼任した。ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)に所属し、子会社のネスター・スタジオヴィクター・スタジオが量産した短篇映画に多く主演し、相手役を妻のフローラ・パーカー・デヘイヴンが務めた[1]。1916年(大正5年)にユニヴァーサルの子会社にブルーバード映画が創立されると、同年、1作を監督・主演した。

1919年(大正8年)、ナショナル・フィルム・コーポレーション・オヴ・アメリカに移籍、ウィリアム・A・サイターが監督する短篇映画に多く主演した[1]。同社が製作した作品は、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーの前身の一社、ゴールドウィン・ピクチャーズが配給した[1]。1920年(大正9年)にはパラマウント映画に移籍、おもにチャーリー・チェイス監督作に主演した[1]。同年後半には自らの製作会社・カーター・デヘイヴン・プロダクションズを設立、同社の作品はファースト・ナショナルが配給した[1]。1922年(大正11年)からは、ロバートソン=コール製作、フィルム・ブッキング・オフィス・オヴ・アメリカ配給の作品に主演した[1]

20作近くを自らも監督した後で、1936年(昭和11年)、チャールズ・チャップリンが監督・主演した『モダン・タイムス』の助監督を務めている[1]。1940年(昭和15年)の『チャップリンの独裁者』でも製作に協力し、バクテリア国の大使役で出演している[3]

第二次世界大戦後はフィル・カールソンロバート・パリッシュの助監督や、ダイアローグ・ディレクター等を務め、裏方に廻っている。1956年(昭和31年)に『エド・サリヴァン・ショー』の前身『トースト・オヴ・ザ・タウン』に出演して以降、『アパッチ保安官』、『うちのママは世界一』、『奥さまは魔女』等のテレビ映画に顔を出した[1]

1977年(昭和52年)7月20日カリフォルニア州ロサンゼルス市ウッドランド・ヒルズで死去した[1]。満90歳没。先に没した妻フローラ、夭折した長女マージョリーとともに、同州ロサンゼルス郡グレンデールのフォレスト・ローン・メモリアル・パークに眠る[4]。映画産業への貢献により、ヴァイン街1724番地にハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星を刻む。

フィルモグラフィ[編集]

関連事項[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m Carter DeHaven, Internet Movie Database (英語), 2010年4月16日閲覧。
  2. ^ Rose De Haven - インターネット・ムービー・データベース(英語)
  3. ^ チャップリンの独裁者キネマ旬報映画データベース、2010年4月16日閲覧。
  4. ^ Carter DeHaven, Find A Grave (英語), 2010年4月16日閲覧。

外部リンク[編集]