カン (バンド)
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カン(Can)は、1968年に西ドイツで結成されたロックバンド。
概要[編集]
1968年、イルミン・シュミット、ホルガー・シューカイ、ヤキ・リーベツァイト、ミヒャエル・カローリのドイツ人と、アメリカ人の実験音楽家デイヴィッド・ジョンソン(en:David C. Johnson)によってケルンで結成された。最初期は「インナー・スペース (The Inner Space)」の名で活動していた。
イルミン・シュミット(キーボード他)は、ホルガー、デイヴィッドと同様、大学のシュトックハウゼン教室の生徒で、アカデミックな音楽教育を充分受けていた。ほかにもリゲティ・ジェルジやルチアーノ・ベリオについてピアノや指揮を学んだほか、ジョン・ケージと交流し(ケージの作品をドイツ国内で最も早い時期に演奏したという)、1960年代中盤に渡米してスティーヴ・ライヒ、ラ・モンテ・ヤング、テリー・ライリーと共演するなど、当時有望な若手現代音楽家と目されていた。
ホルガー・シューカイ(ベース)はシュトックハウゼンの影響で電子音楽的アプローチを研鑽するかたわら、ジャズ・バンドでもプレイした。家電工場を手伝うなどの経験により、電子機器のエンジニアリングにも長けていた。スイスの高校に音楽教師として赴任した際、そこの生徒だったミヒャエルと出会う。カン解散後のソロ活動は、メンバーのうちで最もよく知られている。
ヤキ・リーベツァイト(ドラムス)はチェット・ベイカー、テテ・モントリューなどのビッグ・ネームと競演した他、本国ドイツの前衛トランペッターであるマンフレッド・ショーフのバンドにも参加、フリー・ジャズ・シーンでキャリアを積んでいた。
ミヒャエル・カローリ(ギター)はスイスの高校時代にホルガーと知り合った。「そこでホルガーから直接教えを受け、逆にホルガーにフランク・ザッパ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ビートルズなどを教えた」という話が広く伝わっているが[8]、ミヒャエル自身は「学校では直接彼から音楽を教わっていないんだ。(中略)それとロックではなく、むしろソウルのほうが好きで、ジェイムス・ブラウンのようなのが好きだったんだよ」と語っている[9]。
イルミン、ホルガー、ヤキは雅楽に関心があり[10]、ミヒャエルはアフリカ音楽を愛好するなど[11]、メンバーたちは民族音楽に対して親近感を持っていた。彼らはバンドを結成し、知り合いの貴族に貸してもらったネルフェニッヒ城館をインナー・スペース・スタジオと名付け、そこでセッションを始めた。録音機材は2トラックのテープレコーダーという質素なものだったが、バンドはこの機材を1974年まで使い続ける[12]。
デイヴィッド・ジョンソンは1968年中に離脱。ほぼ同じころ、マルコム・ムーニーがボーカリストとして参加した[13]。マルコムの独特なボーカルが、メンバーたちに「ロックバンド」への志向を目覚めさせたという。マルコムはファースト、セカンド・アルバムに参加したのち脱退。後任のボーカリストとして、ミュンヘンの路上でパフォーマンスをしていた若い日本人ヒッピーのダモ鈴木がホルガーとヤキによってスカウトされた。彼の個性的なキャラクターはバンドの音楽とうまく合致し、カンの全盛時代を象徴するような存在となった。
バンド名の由来は、英語の可能を意味する助動詞「Can」、「Communism」(共産主義)・「Anarchism」(無政府主義)・「Nihilism」(虚無主義)の頭文字を並べたもの、メンバーがあらゆるアイデアを放り込むカン(缶)、日本語の「感」や「勘」に由来するなどと説明されているが、実質的なリーダーであったイルミンは「ある朝、ヤキとマルコムがやってきて「CANはどうだい?」と言うんだ。「CANか、いいじゃないか!」というわけで名前が決まった[14]」、ヤキも「もしかしたら(提案したのは)マルコムと私だったかもしれない[15]」とそれぞれ述べている。両者とも明確な由来には答えていない。
来歴[編集]
初期(1968年–1970年)[編集]
1969年、ファースト・アルバム『モンスター・ムーヴィー』を自主レーベルからリリース(その後ドイツ・ユナイテッド・アーティスツと契約して再リリースする)[16]。2チャンネル録音のローファイ的な荒々しい音像で、ファンキーかつサイケデリックなジャムがミニマル・ミュージック的なハンマー・ビートに乗って延々と繰り広げられるという、当時としてはきわめて鮮烈な作品であった。とくに20分の大作「ユー・ドゥー・ライト (Yoo Doo Right)」はカンの代表曲となり、のちにThe Geraldine Fibbers、Thin White Rope、馬頭將噐らが短縮形でカバーした。「Father Cannot Yell」、「Outside My Door」はパンク・ロックの先駆けとも評される[17]。マルコム・ムーニーはこの作品でリズミックかつ鬼気迫るボーカルを聴かせているが、神経衰弱を病み脱退してしまう。代わりのボーカリストとして、ホルガー・シューカイとヤキ・リーベツァイトがミュンヘンの街角でダモ鈴木を発見、その日のうちにダモはカンのライブに登場した[18]。
中期(1971年–1973年)[編集]
1970年、イルミン・シュミットのコネクションでかねてから製作していた映画音楽作品を集めた『サウンドトラックス』を発表。マルコムとダモの参加作品が混在するなど、レコード会社の催促によるやや不本意な発表ではあったが、14分30秒の「マザー・スカイ (Mother Sky)」は、西ベルリンでディスコ・ヒットを記録した。このころからの数年間がカンの(一般的に言われる)全盛期といえる。
1971年の『タゴ・マゴ』は1枚物という当初の予定をイルミン夫人のヒルデガルトの発案で変更し[19]、1枚目は当時のオーソドックスなロックに歩み寄ったはっきりと起承転結のある楽曲、2枚目はより実験的でプリミティヴなジャム、という対照的なマテリアルを組み合わせた2枚組として発売された。現代音楽、フリー・ジャズ、民族音楽のごった煮という、カンの特徴がよく表れたアルバムとなった。ちなみにアルバム・タイトルの「Tagomago」とはスペイン・バレアレス諸島の小島の名前である(イビサ島の東岸に位置する)。
『タゴ・マゴ』発表後、インナー・スペース・スタジオはネルフェニッヒ城館からケルン郊外の映画館跡地に移転する[20]。
1972年に『エーゲ・バミヤージ』を発表。以前よりもポピュラー音楽的に展開のはっきり整えられた楽曲が並び、前衛性と軽やかさが同居したアルバムとなった。収録曲の「スプーン」(サスペンス・テレビドラマ『ナイフ (Das Messer)』の主題歌として作られた)のシングルは20万枚を売り、ドイツのシングル・チャートで最高6位というヒット曲となった[21]。ジャケットの写真にはトルコにある「カン」というメーカーのオクラの缶詰が使われた[22](アルバムタイトルはトルコ語で「エーゲ海のオクラ」)。
1973年のアルバム『フューチャー・デイズ』は、批評家から高く評価された。ドラムスは軽く細やかなアフリカン・パーカッションを奏で、ダモのボーカルも気だるく、より環境音楽に接近した。しかし、このアルバムを最後にダモ鈴木が離脱。以降はマルコムの復帰も検討されたが果たせず[23]、ミヒャエル・カローリとイルミンが主にボーカルを担当し、時には他のメンバーも担当する形になった。また、これまでのような実験性をやや抑えて、プロフェッショナルに様々なポピュラー音楽をなぞって構築しながら、自身のひねりを加えていく、ウェルメイドなサウンドに転換していく。
後期(1974年–1979年)[編集]
1974年の『スーン・オーヴァー・ババルーマ』は似非ラテン音楽がコンセプトである。ミヒャエルがヴァイオリンとボーカルを兼任し、イルミンがシンセサイザー(スイス製のAlpha 77)を多用することでブライアン・イーノなどにも近い静寂の音響を追求すると同時に、これまでの「似非民族音楽」(楽曲のタイトルで言うところのEthnological Forgery)を突きつめて漂白したアルバム。「Chain Reaction」はラテンの熱を感じさせない機械的狂騒サンバである。
1975年、ヴァージン・レコードに移籍する(ドイツの発売権はEMI/ハーヴェスト)。この機会にバンドは16トラックのテープレコーダーを導入[24]。移籍後初作品となる『ランデッド』は遊び心に溢れたアルバムで、似非ハードロックがコンセプトである。
1976年の『フロウ・モーション』はレゲエやディスコにも接近した、ダンサブルでポップなリズムに重点を置いた作品。「I Want More」はイギリスでディスコ・ヒットとなった。
1977年の『ソウ・ディライト』からは、元トラフィックのロスコ・ジー(ベーシスト)とリーバップ・クワク・バー(パーカッショニスト)が参加し、よりプロフェッショナルなアフリカ風ミュージックを演奏している。このころから、ホルガーは演奏することよりもラジオなどをステージに持ち込んで操作することに熱中するなどして[25](偶然性を重視したという)他メンバーとの姿勢と大きく乖離しはじめ、バンド内で孤立しはじめる。
1978年の『アウト・オブ・リーチ』は、ヤキのドラム以上にリーバップのパーカッションが前面に押し出され、ミヒャエルのこれまで以上にロック的なギターがフィーチュアされ、ホルガーがエレクトロニクス・サンプル以外で楽曲制作・演奏に関与していない、様々な意味での異色作である。のちにバンドから公式作品の地位を抹消された。
1979年の『カン』を最後に、ホルガーの離脱によってバンドは解散する。お別れパーティーのような明るさと寂しさの漂うアルバムである。このあと、メンバーはそれぞれのプロジェクトに散っていく。ホルガー・シューカイはソロとして「ペルシアン・ラブ」などの曲やアルバムを発表した。
再結成から現在[編集]
1989年にマルコム、イルミン、ミヒャエル、ホルガー、ヤキの布陣で再結成アルバム『ライト・タイム』が発売された。この再結成は一時的なものだったが、1991年にも再びメンバーが集まり、映画『夢の涯てまでも』に曲を提供した。
2001年11月17日、ミヒャエルが癌のため死去。
2017年1月22日、ヤキが肺炎のため死去。
2017年9月5日、ホルガーが自宅(バンドがかつて使用していたスタジオ)にて死去。
メンバー[編集]
中心メンバー[編集]
- ホルガー・シューカイ (Holger Czukay) – ベース、エンジニア (1968年–1977年、1986年–1991年)
- ミヒャエル・カローリ (Michael Karoli) – ギター、ボーカル、ヴァイオリン (1968年–1979年、1986年–1991年)
- ヤキ・リーベツァイト (Jaki Liebezeit) – ドラムス、パーカッション (1968–1979、1986年–1991年)
- イルミン・シュミット (Irmin Schmidt) – キーボード、ボーカル (1968年–1979年、1986年–1991年)
他のメンバー[編集]
- マルコム・ムーニー (Malcolm Mooney) – ボーカル (1968年–1969年、1986年、1991年)
- ダモ鈴木 (Damo Suzuki) – ボーカル (1970年–1973年)
- ロスコ・ジー (Rosko Gee) – ベース、ボーカル (1977年–1979年)
- リーバップ・クワク・バー (Rebop Kwaku Baah) – パーカッション、ボーカル (1977年–1979年)
ディスコグラフィ[編集]
スタジオ・アルバム[編集]
- 『モンスター・ムーヴィー』 - Monster Movie (1969年)
- 『サウンドトラックス』 - Soundtracks (1970年)
- 『タゴ・マゴ』 - Tago Mago (1971年)
- 『エーゲ・バミヤージ』 - Ege Bamyasi (1972年) ※旧邦題『エゲ・バミヤーヂ』
- 『フューチャー・デイズ』 - Future Days (1973年)
- 『スーン・オーヴァー・ババルーマ』 - Soon Over Babaluma (1974年)
- 『ランデッド』 - Landed (1975年) ※旧邦題『闇の舞踏会』
- 『フロウ・モーション』 - Flow Motion (1976年)
- 『ソウ・ディライト』 - Saw Delight (1977年)
- 『アウト・オブ・リーチ』 - Out of Reach (1978年)
- 『カン』 - Can (1979年)
- 『ライト・タイム』 - Rite Time (1989年)
コンピレーション・アルバムなど[編集]
- Limited Edition (1974年) ※1968年–1974年のレア音源集
- 『アンリミテッド・エディション』 - Unlimited Edition (1976年) ※1968年–1975年のレア音源集。上記アルバムの増補改訂版
- Opener (1976年) ※ベスト・アルバム
- 『カニバリズム1』 - Cannibalism (1978年) ※ベスト・アルバム。旧邦題『カンニバリズム』
- 『ディレイ1968』 - Delay 1968 (1981年) ※1968年–1969年の未発表曲集。「Thief」は後にレディオヘッドがカヴァーしている
- Incandescence (1983年) ※ベスト・アルバム
- 『カニバリズム2』 - Cannibalism 2 (1992年) ※ベスト・アルバム。未発表曲「Melting Away」を含む
- 『アンソロジー』 - Anthology (1993年) ※ベスト・アルバム
- Cannibalism 3 (1993年) ※ベスト・アルバム
- 『BBC セッションズ』 - The Peel Sessions (1995年) ※1973年–1975年、BBCラジオ「John Peel Show」からの音源
- 『サクレッジ (冒瀆)』 - Sacrilege (1997年) ※テクノやエレクトロニカ、ヒップホップのアーティストたちによるリミックス・アルバム。ソニック・ユースによる「Spoon」含む
- Can Live Music (Live 1971–1977) (1999年) ※1972年–1977年のライブ音源 (オリジナルは『Can Box』:CD/ビデオ/書籍のセットでリリース)
- 『アジ郎とブル坊』 - Agilok & Blubbo (2009年) ※サウンドトラック。1968年録音。The Inner Space名義[26]
- Kamasutra: Vollendung Der Liebe (2009年) ※サウンドトラック。1968年録音。Irmin Schmidt & Inner Space Production名義[27]
- 『ザ・ロスト・テープス』 - The Lost Tapes (2012年) ※1968年-1977年のスタジオ&ライブ未発表音源集
- 『ザ・シングルス』 - The Singles (2017年) ※シングル・コレクション
参考図書[編集]
- 『ジャーマン・ロック集成』(マーキー・インコーポレイティド、1997年)
- 明石政紀 『ドイツのロック音楽(新装版)』 (水声社、2003年) ISBN 4891764864
- 『Remix』 2005年9月号 特集「カン伝説」(文芸社)
- 『ディスク・セレクション・シリーズ プログレッシヴ・ロック』(ミュージックマガジン社、2010年)
- 立川芳雄『プログレッシヴ・ロックの名盤100』 (リットーミュージック、2010年)
- 『レコードコレクターズ増刊 サイケデリック&エクスペリメンタル』(ミュージックマガジン社 2011年)
関連項目[編集]
脚注/注釈[編集]
- ^ a b c d e f Simpson, Paul. Can Biography, Songs, & Albums - オールミュージック. 2022年2月20日閲覧。
- ^ Erlewine, Stephen Thomas (2002). All Music Guide to Rock: The Definitive Guide to Rock, Pop, and Soul. Hal Leonard Corporation. p. 178. ISBN 9780879306533
- ^ Pareles, Jon (2017年1月25日). “Jaki Liebezeit, Influential Drummer for Can, Dies at 78”. The New York Times 2022年2月20日閲覧。
- ^ “The New European”. The New European. 2022年2月20日閲覧。
- ^ Williamson, Nigel (2008). The Rough Guide to the Best Music You've Never Heard. Rough Guides. p. 211. ISBN 9781848360037
- ^ Moores, JR (2021). Electric Wizards: A Tapestry of Heavy Music, 1968 to the Present. Reaktion
- ^ “Krautrock: Germany’s coolest export that no one can quite define”. New Statesman. 2022年2月20日閲覧。
- ^ 『ディスク・セレクション・シリーズ』54ページ、『ドイツのロック音楽』49ページ。
- ^ 『サイケデリック&エクスペリメンタル』252ページ。
- ^ 『Remix』23ページ、103ページ、108ページ。特にイルミンは大学時代に雅楽の研究を行ったことを明かしている。
- ^ 『Saw Delight』所収の『Sunshine Day And Night』は、カローリがケニアを訪れた際、現地の音楽に触発されて作った曲である(『サイケデリック&エクスペリメンタル』262ページ)。
- ^ 『ドイツのロック音楽』50ページ。
- ^ 徴兵忌避のためパリにいたアフリカ系アメリカ人の彫刻家・詩人で、美術界にもコネクションがあったイルミンの誘いでリハーサルを見学していたところ、突然乱入し歌い始めたと言う。それがきっかけで、それまで人前で歌ったことなどなかったマルコムがメンバーに迎えられた(『Remix』24ページ、30ページ、『サイケデリック&エクスペリメンタル』253ページ。ただしイルミンとマルコムが出会った場所については、前者は「美術館」、後者は「(イルミンの証言によると)画家の家」となっている)。
- ^ 『Remix』108ページ。
- ^ 『サイケデリック&エクスペリメンタル』253ページ。
- ^ このときのバンド名表記は「THE CAN」であった(新旧双方のアルバムジャケットにも記載されている『サイケデリック&エクスペリメンタル』258ページ)。
- ^ 『ドイツのロック音楽』52ページ、『Remix』34ページなど。
- ^ 『Remix』26ページ。
- ^ 『ドイツのロック音楽』62ページなど。
- ^ 『ドイツのロック音楽』68ページ、『Remix』30ページ。
- ^ charts.de - 2014年6月22日閲覧
- ^ 『ドイツのロック音楽』69ページ。
- ^ 『ジャーマン・ロック集成』50ページ。
- ^ 『ドイツのロック音楽』80ページ、『ジャーマン・ロック集成』52ページなど。
- ^ 『ディスク・セレクション・シリーズ』61ページ。
- ^ “The Origins of Krautrock: ‘Kamera Song’ by The Inner Space (future members of Can), 1968”. DangerousMinds. 2015年2月8日閲覧。
- ^ “Julian Cope presents Head Heritage”. Julian Cope presents Head Heritage. 2015年2月8日閲覧。