カルケミシュ

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古代オリエント・シリア地方の地図
カルケミシュの位置
カルケミシュ
シリア国内の位置

カルケミシュCarchemish、古代ギリシャおよび古代ローマでは「エウロプス」 Europus と呼ばれた)は、古代オリエントの大国・ミタンニヒッタイトの重要都市。現在は、トルコシリアの国境線上に位置する。旧約聖書に書かれたバビロニアエジプトの決戦の舞台でもある。考古学者T.E.ロレンスが中東を調査していた1910年代前半、この地は地元民から、聖書内の都市ジェラブルス(Jerablus)と結び付けられてジャラブロス(Jarablos、Jarâblos)と呼ばれていた[1]。これが崩れた地名がジェラブリス(Djerabis)である。現在、トルコ・シリア国境のすぐ南にはカラブルス(Carablus)の町がある。国境のトルコ側にはカルカミス(Karkamis)の町がある。

遺跡[編集]

カルケミシュは、ユーフラテス川西岸に位置する広大な遺跡群で、トルコ南東部のガズィアンテプの南東60km、シリア北部のアレッポの北東100kmにある。遺跡の主部は国境のトルコ側にある。トルコ軍はカルケミシュのアクロポリスだった丘の上に基地を置き、立ち入りは禁止されている。市街地の遺跡の一部はシリア側にも広がる。

古代、カルケミシュはユーフラテス川を渡る最大の浅瀬がある場所だった。こうした環境が、歴史的・戦略的にこの地を重要にしてきた。

歴史[編集]

カルケミシュでは新石器時代から生活が営まれてきた。紀元前3000年ごろの陶器紀元前2300年ごろの墳墓など青銅器時代の遺物も発掘されている。シリア北部のエブラから発見された紀元前3千年紀の文書ではこの都市への言及がある。マリアララハから見つかった紀元前1800年ごろにさかのぼる文書によれば、当時カルケミシュはアプラハンダ(Aplahanda)という名の王に統治され、材木交易の中心地であった。またウガリットミタンニ(アッシリア語でハニガルバト)とも外交関係を持っていた。

古代エジプト第18王朝のファラオ・トトメス1世はカルケミシュ付近に、シリア地方およびユーフラテス以遠の地を征服したことを祝う記念碑を建てている。アメンホテプ4世の治世の終わりごろ(紀元前14世紀ごろ)、ヒッタイトの大王シュッピルリウマ1世がカルケミシュを攻め落とし、息子ピヤシリがカルケミシュ王に封じられた。

カマナス王の弟たちが遊戯をする場面・カルケミシュより出土、紀元前717年から691年ごろ、アンカラのアナトリア文明博物館

青銅器時代末期、カルケミシュはヒッタイト帝国の中でも重要な都市の一つとなり、紀元前11世紀には繁栄の絶頂に達した。青銅器時代の終焉とともにヒッタイトは「海の民」の襲来を受けて滅びたが、カルケミシュは復活し、鉄器時代の「新ヒッタイト」(Neo-Hittite、近年はシリア=ヒッタイト Syro-Hittite とも呼ばれる)の都かつ交易の重要な中心地となった。エジプトのラムセス3世は、メディネト・ハブの葬祭殿に置いた自身の治世の8年目の日付のある碑銘で海の民との戦いを記しているが、この中で海の民が滅ぼした都市にカルケミシュを含めている。しかし、実際にはカルケミシュは海の民の猛攻の後にも生き延びたようである[2]。クジ・テスプ1世(Kuzi-Tesup I)はカルケミシュで権力を握ったことがわかっているが、彼の父タルミ・テスプ(Talmi-Tesup)はヒッタイト最後の王シュッピルリウマ2世の同時代人であった[3]。クジ・テスプ1世とその後継者たちは「大王」という称号のもと、小アジア南東部からシリア北部、東はユーフラテスが大きく西へ曲がるあたりまでを治める小さな帝国シリア=ヒッタイトを築いた[4]。この帝国は紀元前1175年頃から紀元前990年頃まで続き、その後は領土を失い、カルケミシュ周囲の地域を治める単なる一都市国家となった[5]

ヒッタイト時代のカルケミシュの守護神は、フルリ人から伝わったとみられる女神クババ(Kubaba)であった。クババは長いローブを着て、手にザクロと鏡を持った威厳のある婦人の姿で描かれた。クババは後にギリシャにとりいれられ、大地母神キュベレーとなった。

紀元前9世紀、ヒッタイト人の小国となっていたカルケミシュは、アッシリアアッシュールナツィルパル2世シャルマネセル3世に貢物をしている。同時期にカルケミシュの周囲にあったシリア=ヒッタイト諸国には、ユーフラテスの少し下流にあるビト・アディニ(Bit-Adini、首都ティル・バルシプ Til-Barsip)、ユーフラテス川からアレッポ周囲までに広がるビト・アグシ(Bit-Agusi、首都アルパド、後にアレッポ)、北のグルグム(Gurgum、首都マルカシ Marqasi)、東のハブール川沿岸にあるビト・バヒアニ(Bit-Bahiani、首都グザナ Tell Halaf/Guzana)などがある。

紀元前717年、ピシリス王(Pisiris)の時代、カルケミシュはアッシリアのサルゴン2世により征服された。

紀元前605年夏(資料によっては紀元前607年)、バビロニアネブカドネザル2世とエジプトのネコ2世はこの地で決戦を行った(カルケミシュの戦い、旧約聖書エレミヤ書46:2)。ネコ2世の遠征の目的は、バビロニア帝国のアッシリア方面への西方拡大を食い止め、ユーフラテスを渡る交易路を断ち切ることにあった。しかしエジプト軍は不慮の攻撃を受けて大敗を喫し、勢力圏であったシリアからも押し出された。

再発見[編集]

紀元前8世紀後半のオーソスタット(Orthostat、壁の下側を覆う石板)、アンカラのアナトリア文明博物館

カルケミシュは聖書(エレミヤ書46:2、歴代誌下35:20、イザヤ書10:9)に何度も言及されるためキリスト教徒の間でもよく知られ、アッシリアや古代エジプトの文書にもたびたび登場することからその場所を巡って様々な推測や調査がなされた。しかし古くから、カルケミシュをユーフラテス川とハブール川の合流点のキルケシウム(Circesium)に同定する誤った議論があったほか[6]、シリアの古代ギリシャ都市ヒエラポリス(ヒエラポリス・バンビュケ Hierapolis Bambyce、現在のマンビジ)に同定する見方もあった。1876年、イギリスのアッシリア学者ジョージ・スミスがジャラブロスにあった現在の遺跡をカルケミシュだと確認した。

遺跡発掘は当初大英博物館が行った。主に1911年から1914年にかけてデイヴィッド・ジョージ・ホガース(David George Hogarth)、レジナルド・キャンベル・トンプソン(Reginald Campbell Thompson)、レオナード・ウーリー(Leonard Woolley、後にウルの発掘に携わり王墓を発見した)、トーマス・エドワード・ロレンス(T. E. Lawrence、『アラビアのロレンス』)らが調査を行い、地下にあったアッシリア期やシリア=ヒッタイト期の遺構、例えば防御のための設備、寺院、宮殿、そして象形文字ルウィ語の碑銘が刻まれた玄武岩の像やレリーフ多数が発見されている。

カルケミシュの王[編集]

  • ピヤシリ (Piyashshili)、ヒッタイト王シュッピルリウマ1世の子、紀元前1315年頃没
  • [...]シャルマ([...]sharruma)、ピヤシリの息子
  • シャルフルヌワ(Sharkhurunuwa)、ピヤシリの息子
  • イニ・テシュブ1世(Ini-Teshub I)、紀元前1230年代頃活躍 (fl. ca. 1230s)
  • タルミ・テシュブ(Talmi-Teshub) (fl. ca. 1200)
  • クジ・テシュブ(Kuzi-Teshub)、紀元前1170年頃活躍(fl. ca. 1170)、ヒッタイト滅亡後「大王」を号する。

[...]

  • イニ・テシュブ2世(Ini-Teshub II) (fl. ca. 1100)
  • トゥダリヤ(Tudhaliya) (ca. 1100, イニ・テシュブ2世の前か後)
  • [...]パジティス([...]pazitis)
  • ウラ・タルンザス(Ura-Tarhunzas)
  • スヒス1世(Suhis I)
  • アストゥワタマンザス(Astuwatamanzas)
  • スヒス2世(Suhis II)
  • カトゥワス(Katuwas) (fl. ca. 900)
  • サンガラ(Sangara)、紀元前870年-紀元前848年
  • アスティルワス(Astiruwas)、紀元前840年頃
  • ヤリリス(Yariris)またはアララス(Araras)、紀元前815年頃
  • カマニス(Kamanis)、紀元前790年頃
  • サストゥラス(Sasturas)、紀元前760年頃
  • ピシリス(Pisiris)、シリア=ヒッタイト最後の王、紀元前730年代に活躍、紀元前717年サルゴン2世に敗れる

脚注[編集]

  1. ^ http://www.pbs.org/lawrenceofarabia/resources/locations4.html
  2. ^ Gary Beckman, "Hittite Chronology", Akkadica, pp.119-120 (2000), p.23
  3. ^ K.A. Kitchen, On the Reliability of the Old Testament, William B. Eerdsman Publishing Co, pp. 99 & 140
  4. ^ Kitchen, op. cit., p.99
  5. ^ Kitchen, op. cit., p.100
  6. ^ Catholic Encyclopedia, Circesium

参考書籍[編集]

  • C. L. Woolley, Carchemish. British Museum (1914-1952).
  • C. W. Ceram, The Secret of the Hittites: The Discovery of an Ancient Empire. Phoenix Press (2001), ISBN 1-84212-295-9.

外部リンク[編集]

座標: 北緯36度55分 東経38度00分 / 北緯36.917度 東経38.000度 / 36.917; 38.000