カリーナ・ゲオルギアン

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カリーナ・ゲオルギアン(Karine Georgian、1944年1月5日 - )は旧ソ連出身のチェリスト

初期の活動[編集]

モスクワアルメニア系ロシア人音楽家一家に生まれる。父の手ほどきで5歳よりチェロを始める。モスクワ音楽院ムスティスラフ・ロストロポーヴィチに師事。第3回チャイコフスキー国際コンクール第1位及び金賞受賞[1]アラム・ハチャトゥリアンのコンチェルト・ラプソディーをシカゴ交響楽団と作曲家自身の指揮でアメリカ初演したのを皮切りに 旧ソヴィエト連邦各国、東西ヨーロッパ、アメリカ、アジア等世界各国での演奏活動を開始した[2]

国際芸術家[編集]

主要な国際指揮者及びオーケストラとの数々の共演で活躍している。演奏目録は優に40曲を超える協奏曲と、莫大な数の楽曲・室内楽曲を含む。アルフレート・シュニトケエディソン・デニソフティグラン・マンシュリアンクシシュトフ・ペンデレツキアレクサンダー・ゴアードミトリ・スミルノフホワード・スケンプトンエレーナ・フィルソヴァ等現在を代表する作曲家の多くと芸術的交際があり、献呈された数々の作品の初演も行っている。中でも特筆すべきは、1989年カーネギー・ホールでのシュニトケのチェロ協奏曲第1番のアメリカ初演、1994年初めて訪れたオーストラリアベンジャミン・ブリテン作曲チェロ交響曲の現地初演、1996年ヤン・パスカル・トルトゥリエ指揮BBCフィルハーモニック共演でのスミルノフのチェロ協奏曲世界初演、フィルソヴァの室内協奏曲第5番等[2]。最近ではユーリ・シモノフ指揮モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団との共演による英国内ツアー、八月祭を祝うガラ・コンサートが北京の宮殿内で中継放送された事が話題となった[2]

教師として[編集]

1980年、ロンドンに居を移したカリーナ・ゲオルギアンは、2年後アンドレ・ナヴァラの後継者としてドイツ・デトモルト高等音楽学校の教授となった。以来高い教授要請の声に応え、イングランド、イタリア、ドイツ、オーストリア、日本を含む各国のマスタークラスで、また近年はマンチェスターの英国王立ノーザン音楽大学教授として教鞭を執る[2]

外部リンク[編集]

脚注欄[編集]

  1. ^ チャイコフスキー国際コンクール公式サイト 歴史のページ
  2. ^ a b c d 公式サイトのバイオグラフィー