カラ・アルスラン

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カラ・アルスランは、モンゴル帝国に仕えたウイグル人将軍の一人。

元史』には立伝されていないが、『至正集』巻49碑志大元贈光禄大夫江浙等処行中書省平章政事柱国追封趙国公阿塔海牙公神道碑銘にその事蹟が記される。『新元史』には阿塔海牙公神道碑銘を元にした列伝が記されている。

概要[編集]

カラ・アルスランは高昌に住まうウイグル人の出で、父のウルン・アルスランは「巨室」を意味する「都大」という称号を有しており、カラ・アルスランもこれを受け継いだ[1]

13世紀初頭にチンギス・カンが勃興しモンゴル高原を統一すると、モンゴルによって滅ぼされたメルキト部の残党が天山ウイグル王国領の境界にも現れ、中央アジア動静は急速に変動しつつあった。そこでウイグル国王(イディクート)のバルチュク・アルト・テギンは宗主国の西遼を見限ってモンゴル帝国に服属すべく、カラ・アルスランと4人の使者をチンギス・カンの下に派遣した。カラ・アルスランらを謁見したチンギス・カンは「汝が言うように天山ウイグル王が友好関係を結びたいというのなら、汝の主自らが貢ぎ物を持って訪れるよう告げよ」と述べたという。カラ・アルスランの報告を受けたバルチュクは自ら貢ぎ物を持ってチンギス・カンの下に参上したため、これによって天山ウイグル王国はモンゴル帝国の傘下に入ることを認められた[2]

その後、カラ・アルスランはチンギス・カンに引き留められてケシクテイ(宿衛)に入隊し、最後は柳城で亡くなった。死後に資善大夫・湖広等処行中書省右丞・上護軍・范陽郡公に追贈されている。燕帖你という妻がおり、その間に生まれたアタカヤが後を継いだ[3]

アタカヤもまた父同様にケシクテイ(宿衛)に務めた後、塔山屯田打捕提挙に任命されるも就任せず、71歳にして京師で亡くなった[4]。アタカヤにはアルスラン・カヤとサイン・カヤという息子がおり、サイン・カヤは同僉宣徽院事とされたが、早くに亡くなった[5]

アルスラン・カヤは父のアタカヤが亡くなった時既に南台御史の地位を得ており、ジャヤガトゥ・カアン(文宗トク・テムル)の治世で重用された[6]。アルスラン・カヤには都水少監のモンカン(忙歓)とオルク・カヤ(月禄海牙)という息子がおり、さらにモンカンには宝哥と宝山という息子がいていずれもケシクテイ(宿衛)に入隊していたという[7]

脚注[編集]

  1. ^ 『至正集』巻49阿塔海牙公神道碑銘,「其状序曰、平章公諱阿塔海牙、畏吾爾氏、世為高昌望族。祖玉龍阿思蘭都大。都大華言、巨室也。贈中奉大夫・河南江北等処行中書省参知政事・護軍范陽郡公、祖妣月禿堅、追封范陽郡夫人」
  2. ^ 『至正集』巻49阿塔海牙公神道碑銘,「考諱哈剌阿思蘭都大、当太祖皇帝肇造区宇、国主邑都護発兵攻金、斬其長吏。聞滅乞里有異遣将、命偕察魯四人馳告行在、且具款誠。上曰『果如爾言、其告爾主以方物来』。対曰『皇帝幸生活高昌、高昌身且不敢有、何有方物』。復命輦宝貨金織段以献。由是高昌内附」
  3. ^ 『至正集』巻49阿塔海牙公神道碑銘,「因留宿衛従太祖、南征卒於柳城。贈資善大夫・湖広等処行中書省右丞・上護軍・范陽郡公。妣燕帖你、追封范陽郡夫人」
  4. ^ 『至正集』巻49阿塔海牙公神道碑銘,「公宿衛積労、除塔山屯田打捕提挙不就、卒於京師昭回里第、年七十一、葬城西小南荘之原。贈光禄大夫・江浙等処行中書省平章政事・柱国・趙国公。配八剌忽都哈、封柳城郡太夫人、卒於済南、年八十四。大夫時長憲山東護柩帰祔」
  5. ^ 『至正集』巻49阿塔海牙公神道碑銘,「江南行台御史大夫阿思蘭海牙致政家居。……子男二、長大夫也。次賽音海牙、同僉宣徽院事、早卒」
  6. ^ 『至正集』巻49阿塔海牙公神道碑銘,「公卒時、大夫已拝南台御史、流沢之来浩乎其沛然矣、其浮雲富貴優游以老宜哉。大夫以卓越之才起家、監県為良吏、入台為材御史、出廉諸道為剛明、使者入中書分南台為天子重臣、歴九朝官二十七転、天下識与不識、皆知其名。而又躬服倹素、衣無錦繡、居無華飾、栄寵方至、退然若虚。文皇嗣位、聖眷益隆、玉帯上尊、錫齎相望、至為玉刻署押、以示殊遇。当是時、苟假寵於上為先世要美諡作豊碑亦何求不得、顧乃自抑若不能加於其先有於其身者、必遅回以待於致事。又遅回以至於今日不請於上不謁於太常、択所宜為者自為之、視世之朝暴貴而夕礱賜碑者有間矣」
  7. ^ 『至正集』巻49阿塔海牙公神道碑銘,「二子、長少監也、次月禄海牙。少監二子、宝哥・宝山、倶宿衛内廷」

参考文献[編集]

  • Bahaeddin Ögel. "Sino-Turcica: çingiz han ve çin'deki hanedanĭnĭn türk müşavirleri." (1964).
  • 安部健夫『西ウイグル国史の研究』彙文堂書店、1950年
  • 新元史』巻136列伝33哈剌阿思蘭都大伝