カラハリ砂漠 (映画)

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カラハリ砂漠
監督 サイ・エンドフィールド英語版
製作 サイ・エンドフィールド
スタンリー・ベイカー英語版
出演者 スチュアート・ホイットマン
スタンリー・ベイカー英語版
スザンナ・ヨーク
音楽 ジョン・ダンクワース英語版
撮影 Erwin Hillier B.S.C.
編集 ジョン・ジンプソン英語版
配給 パラマウント・ピクチャーズ
Olive Films 2012 (DVD)
公開 1965年12月2日
日本の旗1966年3月29日
上映時間 119分
製作国 イギリスの旗 イギリス
言語 英語
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カラハリ砂漠』(からはりさばく、原題:Sands of the Kalahari)は、ウィリアム・マルヴィヒル英語版の1960年の小説『The Sands of Kalahari』を基に、スチュアート・ホイットマンスタンリー・ベイカー英語版スザンナ・ヨークハリー・アンドリュースセオドア・ビケルナイジェル・ダヴェンポートが出演した1965年のイギリスの冒険映画[1]サイ・エンドフィールドが脚本と監督を務めた。また、脚本にはマルヴィヒルもかかわっているが、クレジットされていない。撮影は南西アフリカ(現ナミビア)とスペインで行われ、パラマウント・ピクチャーズによって公開された。

あらすじ[編集]

飛行機事故により、荒涼とした山間部の砂漠地帯(現代のナミビア辺り)に事故の生存者たちがとり残されてしまう。ブライアン・オブライエン(スチュアート・ホイットマン)は猛獣ハンターであり、グループの中で最も優れたサバイバル能力を持っていた。飛行機が墜落して搭乗客たちが着の身着のままで脱出するなか、彼は命がけで燃え盛る飛行機に再び乗り込み、猟銃を含む重要な物資を回収したが、その動機は決して高潔なものではなかった。自分ひとりの方が生き残るチャンスが増えると考えた彼は、生存者を一人ずつ殺し、「アダム」としての自分の「イヴ」となるグレース・モンクトン(スザンナ・ヨーク)だけを生き残らせようとする。

オブライエンの裏切りに加えて、生存者たちはこの地域に生息するヒヒの群れに脅かされていた。最初は遠くから大声で叫んでいたヒヒは、人間が武器を持っていれば脅威になることに気付き、次第に攻撃的になっていく。

オブライエンが計画を実行に移す前に、彼が銃を突きつけて砂漠に追いやった仲間の1人が救助隊を連れて戻ってくる。残った生存者はヘリコプターで脱出するが、オブライエンは、文明社会に戻れば殺人罪で起訴されることを承知の上で、残ることを選ぶ。

オブライエンが唯一の人間となったことで、ヒヒはより好戦的になっていく。最初のうちはライフルで彼らを抑え込んでいたが、弾薬が尽きると、オブライエンは大胆にも群れの雄であるアルファに戦いを挑み、素手で殺すことに成功する。

映画のラストショットでは、残ったヒヒがオブライエンを取り囲み、不吉な足取りで彼に向かってくる。

キャスト[編集]

※日本語吹替:テレビ版・初回放送1975年3月24日『月曜ロードショー

製作[編集]

ジョーゼフ・E・レヴィーンは、『ズール戦争』(1963年)の成功を受けて、スタンリー・ベイカー英語版サイ・エンドフィールド英語版に、アフリカを舞台にした映画をもう一度作らせたいと考えていた。彼らは当初、ウィルバー・スミスのデビュー作『When the Lion Feeds』を映画化する計画を発表したが、最終的にはウィリアム・マルヴィヒルの『The Sands of Kalahari』の映画化を決定した。ベイカーは、幼なじみのリチャード・バートンに妻のエリザベス・テイラーと一緒に出演するように説得したが、テイラーはアフリカでの撮影に消極的で、レヴィーンが支払う気にならないほどの出演料を要求した。

結局、バートンが出演を辞退し、代わりにジョージ・ペパードスザンナ・ヨークが起用された[2] [3]。しかし、撮影開始直後、ペパードは(おそらく『ブルー・マックス』のために)本プロジェクトから離脱し、急遽スチュアート・ホイットマンが代役として立てられた[4] [5]

撮影[編集]

本作はカラハリ砂漠でロケを行い、ロンドンのシェパートン・スタジオ英語版でスタジオ作業が行われた[6]

参照[編集]

出典[編集]

  1. ^ Archived copy”. 2011年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年7月10日閲覧。
  2. ^ Mel Neuhaus (2011年7月19日). “'Apes of Wrath'”. Examiner.com 
  3. ^ “MOVIE CALL SHEET: 'Dave Clark Five' to Star in First Feature”. Los Angeles Times: p. c19. (1965年3月22日) 
  4. ^ David Shipman (1994年5月10日). “George Peppard Obituary”. The Independent. https://www.independent.co.uk/news/people/obituary-george-peppard-1434902.html 2012年5月19日閲覧。 
  5. ^ Hopper, Hedda (1965年3月26日). “Peppard Ankles 'Kalahari Set”. Los Angeles Times: p. d13 
  6. ^ Stringer, William H. (1965年7月23日). “'Why not film it there?': Correct locale Never looked back Exactly right”. The Christian Science Monitor: p. 4 

外部リンク[編集]