カラジョルジェヴィチ家

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カラジョルジェヴィチ家( - け、Karađorđević/Карађорђевићи)は、近代セルビア王国およびユーゴスラビア王国の王家。

第1次セルビア蜂起の指導者カラジョルジェに始まる家系。1842年から58年まで及び1903年から45年にかけて指導者、君主を輩出した。1945年、ユーゴスラビアの共和制移行により王位から退けられ、亡命生活を送っていたが、2001年に帰国を果たした。

カラジョルジェヴィチ家の人物[編集]

カラジョルジェことジョルジェ・ペトロヴィチ
「カラジョルジェ」とは、黒いジョルジェを意味する渾名である。
オスマン帝国に反抗するナショナリズム運動である第1次セルビア蜂起の指導者。

セルビア公国[編集]

アレクサンダル公
カラジョルジェの息子。セルビア公。

セルビア王国[編集]

アレクサンダル・カラジョルジェヴィチの息子。セルビア国王。

セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国[編集]

セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国の建国にともない国王に推戴される。
ペータル1世の息子。セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国の国王。

ユーゴスラビア王国[編集]

国名をユーゴスラビア王国に改称。独裁者としてふるまったすえに暗殺された。
アレクサンダル1世の息子。ユーゴスラビア国王。第二次世界大戦に際して連合国側に立とうとしてドイツ軍の侵略を受け、国外に亡命。戦後、共和制移行とともに廃位されアメリカで死去した。
アレクサンダル1世の従弟。幼少のペータル2世に代わって摂政を務めた(1934年-1941年)。第2次世界大戦では枢軸国側に立とうとしたが、国王ペータルの主導するクーデタにより摂政の地位を追われた。
ペータル2世の息子。亡命先のロンドンで誕生。当時のユーゴスラビアの王位継承法では、ユーゴスラビアの領土内で誕生した者にしか王位継承権を認めないとされていたため、イギリス政府が特別措置として王妃アレクサンドラが出産に使用した一室(クラリッジスホテル212号室)を分娩の当日だけユーゴスラビアの領土として割譲したというエピソードが残る。父の死後カラジョルジェヴィチ家の家長となりアレクサンダル2世を名乗る。2001年にユーゴスラビアの体制変革により帰国、没収されていた王室財産の返還を受けて旧王宮に居住している。ちなみに現在もユーゴスラビア王国及びセルビア王国の王位請求権はなお放棄しておらず、現在も「皇太子殿下」が公式の称号である。

外部リンク[編集]