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カミッロ・アスタッリ (ベラスケスの絵画)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『カミッロ・アスタッリ』
スペイン語: Camillo Astalli
英語: Camillo Astalli
作者ディエゴ・ベラスケス
製作年1650年
種類キャンバス油彩
寸法61 cm × 48 cm (24 in × 19 in)
所蔵アメリカ・ヒスパニック協会英語版ニューヨーク

カミッロ・アスタッリ』(西: Camillo Astalli: Camillo Astalli) または『パンフィーリ枢機卿』(パンフィーリすうききょう、西: El cardenal Pamphili: Cardinal Pamphili) は、バロック期のスペインの画家ディエゴ・ベラスケスが1650年にキャンバス上に油彩で制作した肖像画である。現在、ニューヨークアメリカ・ヒスパニック協会英語版に所蔵されている。

歴史

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作品は、ベラスケスの第二次イタリア旅行 (1649-1651年) の際に描かれた。モデルの人物カミッロ・アスタッリ英語版パンフィーリ家英語版出身の教皇インノケンティウス10世の甥で、1650年9月19日の秘密会合で枢機卿となったため、作品の制作年度を正確に特定することが可能となっている。画面のアスタッリは枢機卿の衣服を纏っているが、その時期はベラスケスのローマ滞在時の終わりにあたり、彼は自身の奴隷であった『フアン・デ・パレーハの肖像』 (メトロポリタン美術館ニューヨーク) や『インノケンティウス10世の肖像』 (ドーリア・パンフィーリ美術館ローマ) などの著名な肖像画を描いている[1]

ディエゴ・ベラスケス『カミッロ・マッシミ』(1650年)、キングストン・レイシー英語版 ドーセット (イングランド)

アントニオ・パロミーノは、ベラスケスが第二次ローマ滞在中に描いた肖像画の中で、現存しない『オリンピア・マイダルキーニ』とキングストン・レイシー英語版 (ドーセット) 蔵の『カミッロ・マッシミ』とともに本作に言及し、「インノケンティウス10世の甥で、ローマの枢機卿であった庇護者アスタリ・パンフィリオ (Astali Pamfilio) に非常に好まれた」と述べている[2]。アスタッリはインノケンティウス10世から甥として縁組をされたが、すぐに不名誉な事態に陥ってパンフィーリという名前を用いる権利を失い、本作を義理の父ウルバーノ・メッリーニ (Urbano Mellini) に贈った。次いで、メッリーニの相続者に引き継がれたが、1808年のナポリ王宮の目録に登場するまでは行方不明であった。1899年に作品はローマの個人コレクションにあり、次いでパリのトロティ画廊に移った。1902年に画家のフランシス・ラトロップ (Francis Lathrop) に売却されたが、1904年にアーチャー・ミルトン・ハンティントン英語版に購入され、1908年に作品はアメリカ・ヒスパニック協会に寄贈された[3]

本作の楕円形の複製が、かつてナポリ副王ガスパール・メンデス・デ・アロ英語版に所有され、1682年の彼の財産目録には「枢機卿アスタッリを表す肖像画、ディエゴ・ベラスコの手になる、楕円形の形式」とある。1833年にカディスロシア領事により、その複製はほかのスペインの絵画とともにサンクトペテルブルクエルミタージュ美術館のために購入された。複製は現在、ロシアのクラスノダールにあるコヴォレンコ美術館 (Kovolenko Art Museem) に所蔵されている[4][5]

作品

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ベラスケスは、若い枢機卿を長い柄と剛毛のある筆で描いており[6]、同時代のほかの肖像画のように大気を感じさせる図像を示唆するために色彩とモティーフを限定して用いている。こげ茶色の背景の中に、揺らめく光を表す大まかな筆致で顔を仕上げた後、ベラスケスは簡素かつ正確な筆致を用い、赤いケープの上でほとんど透明に見える白い絹の襟を描いている。そこに見られるペンティメンティ英語版 (描き直し) により、ベラスケスが最も自然に見える描写を目指したことが示されている。

カミッロ・アスタッリは1616年に生まれた。パンフィーリ家とは血縁関係がなく、政治にも経験がなかったが、1650年にヴァチカンの国務長官ジャン・ジャコモ・パンチローリ (Gian Giacomo Panciroli) のおかげで教皇インノケンティウス10世により甥として縁組をされ、結婚するために枢機卿を辞した教皇の血のつながった甥カミッロ・パンフィーリの跡を継いだ。ベラスケスが描いたアスタッリの自身に満ちた視線に見られるように、彼はスペインの味方であったが、輝かしい出世からわずか4年後に教皇の信頼を失い、ローマから追放されてしまった。彼をカターニア司教に任命したスペイン王フェリペ4世のためにスパイとして働いたことが明らかな原因であった[7]

脚注

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  1. ^ Colomer, p. 36.
  2. ^ Palomino, pp. 237-238.
  3. ^ Codding, p. 232, ficha firmada PL [Patrick Lenaghan].
  4. ^ Harris, p. 194.
  5. ^ Salort, p. 324 y lámina 1.
  6. ^ Salort, p. 112.
  7. ^ Colomer, pp. 38-39.

参考文献

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  • Codding, Mitchell A. (ed.) (2017). Tesoros de la Hispanic Society of America. Visiones del mundo hispánico. Madrid: Museo Nacional del Prado. ISBN 978-84-8480-407-9 
  • Colomer, José Luis (2003). Checa Cremades, Fernando (dir.). ed. Cortes del Barroco. De Bernini y Velázquez a Luca Giordano. Madrid: Sociedad Estatal para la Acción Cultural Exterior-Patrimonio Nacional. pp. 35-52. ISBN 84-96008-38-X. https://archive.org/details/isbn_9788496008380 
  • Harris, Enriqueta (2006). Estudios completos sobre Velázquez. Complete studies on Velázquez. Madrid: Centro de Estudios Europa Hispánica. ISBN 978-8493464325 
  • Palomino, Antonio (1988). El museo pictórico y escala óptica III. El parnaso español pintoresco laureado. Madrid : Aguilar S.A. de Ediciones. ISBN 84-03-88005-7 
  • Salort Pons, Salvador (2002). Velázquez en Italia. Madrid : Fundación de Apoyo a la Historia del Arte Hispánico. ISBN 84-932891-1-6