カミカゼ野郎 真昼の決斗

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カミカゼ野郎 真昼の決斗
白日之銀翼(銀翼大決鬥[1]
The Secret of the Diamond /
The Kamikaze Guy
(Kamikaze Man: Duel at Noon)
監督 深作欣二
脚本 深作欣二・太田浩児池田雄一
出演者 千葉真一
白蘭
高倉健
音楽 八木正生
主題歌 千葉真一 「素敵なカミカゼ野郎
撮影 山沢義一
編集 田中修
製作会社 日本の旗 にんじんプロダクション
中華民国の旗 國光影業
配給 日本の旗 東映
公開 日本の旗 1966年6月4日
中華民国の旗 1971年[1]
上映時間 90分
製作国 日本の旗 日本
中華民国の旗 台湾
言語 日本語台湾語
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カミカゼ野郎 真昼の決斗』(かみかぜやろう まひるのけっとう、白日之銀翼 [注釈 1], The Secret of the Diamond / The Kamikaze Guy[注釈 2])は、1966年日本台湾合作映画主演千葉真一監督深作欣二製作にんじんプロダクション・國光影業、カラーシネマスコープ、90分。

解説[編集]

太平洋戦争中に隠匿された200億円のダイヤモンドをめぐり様々な人物が入り乱れ、日本中華民国台湾)の両国にまたがる争奪戦に巻き込まれた青年パイロットが、正体不明の敵と追いつ追われつ、時に窮地に追い込まれながら、謎を解明する冒険活劇[2]

主演千葉真一は、敵への跳び蹴りカーチェイス・崖を天然のマットにして前転・モーターボートでの逃走・後述のケガしたアクション・離陸しようとする軽飛行機の翼に飛びつくなど陸海空を暴れまわるが、これらのスタント吹き替え無しでスピーディにこなし、追走劇であることから軽快な走りも披露している[3]深作欣二は主人公を、1961年映画風来坊探偵シリーズ』と『ファンキーハットの快男児シリーズ』の主人公を足して2で割ったような、明朗闊達・身体強健・行動力はあるもののコミカルなキャラクターにし、ユーモアあふれる主人公にした。サングラスを掛けた複数の男たちによる謎が謎を呼び、二転三転していく展開から結末にどんでん返しのあるストーリーは、アクションサスペンス冒険ミステリがふんだんに盛り込まれ、1968年から始まるテレビドラマキイハンター』の原点とも言える内容に仕上げられている[4][5][6]。主な脇役としてヒロインには台湾の女優白蘭が主人公と一緒に事件を追う記者に扮し、彼らに関わるサングラスをかけた謎の男に高倉健を配している。

千葉真一が主演で高倉健が助演という初めての映画であり、千葉・高倉・深作は東映所属でいながら、別会社の映画製作に参加した稀有な作品でもある。特に当時の深作は創りたい映画を東映になかなか認めてもらえず[7]、本作は東映に籍を置きながら別会社で監督をする先駆けの作品となった。

ストーリー[編集]

オフィスでもサングラスを掛けている台北市の台湾観光社社長・頼天賜(陳財興)、横浜中華街で中華料理店を経営する矢島嘉市(相馬剛三)、東京都の日東商事社長・北沢信(大木実)の3人は、差出人「(日本)東京都 K.M 」なる手紙を受け取っていた。中身を見た3人は慌てて、お互いに連絡を取り合う。

一方、国際航空のパイロット・御手洗みたらい 健(千葉真一)は東京でのフライトを終え、雪山でスキーをしながら、若い女性をナンパするなど、休暇を楽しんでいた。声をかけられた彼女は健を相手にせず、風景をあちこち撮り出す。その時、銃声が鳴り響き、倒れている中年男性を二人は発見する。健と女性は山麓のホテルまで救助し、警察に届けた。刑事たち(室田日出男大里健太郎)は所持品から被害者を矢島嘉市と割り出し、今際の際に矢島が「御手洗の奴にね…」と言い残したため、健が持っていた28口径の狩猟用ライフルから狙撃されたのだろうと判断。健と女性を署長(関山耕司)のところへ連れて行き、事情聴取した。若い女性は中華民国台湾)から来たカメラマン・香蘭(白蘭)と名乗り、銃声がしたとき健と一緒にいたことを証言した。巡査がやって来て耳打ちされた署長は「施条痕が御手洗さんのライフルと一致しませんでした。お手数をおかけしました。どうぞお帰りください」と丁重にふたりへ告げた。

健は香蘭が証言してくれたお礼に、ホテルのバーへ招待した。雑談しているうちに健は「あなたみたいな美人がいる台湾に、一度行ってみたいなあ」と何とはなしに言うと、「そういうことになるかも知れませんよ」と後ろから声がした。振り向くと、パイプを銜えた白髪で口髭を生やした男(片山滉)が立っており、「お邪魔します」と言いながら横に座った。男は「メフィストの魂を」と、バーテンダーが知らないカクテルを注文し、困らせていた。気障で『悪魔学入門』という本を持ち歩く男は、「あなたの未来を見て差し上げましょう」と勿体振りながら片眼鏡を掛け、いきなり占いし始めた。「南進の定めがある。例えば台湾も南に入りますね」と占われた健は、怪訝にこの易者を見つめていた。ホテルの部屋に戻った易者は待っていたサングラスを掛けた別の人物に、「あなたに言われたとおり、やってきましたよ。では約束のお代を」と言うのであった。

東京へ戻った健は、仕事場である空港へ向かう途中、北沢に待ち伏せされた。北沢は自分宛の脅迫状「あなたが昭和20年8月15日の夜、台湾で私の父に何をしたかは知っている。近くお礼に参上しよう。K.Mより 002」を健に見せ、「なぜ台湾まで僕を追いかけてくるんだ」と問い詰めた。身に覚えのない健は「台湾に行く予定もない。人違いもいいとこだ。ほかのK.M.を探すんだね」と否定。北沢は「惚け通すのも結構だが、僕はこれでも手強いんだ」と警告し、去っていった。

空港に着いた健は、駐機エプロンに停留していた三菱 MU-2を見つけて、思わず見とれていた。その時、サングラスを掛けた男(高倉健)が現れ、「台湾行きは止めたほうがいいよ」と健に忠告する。 男が去った後、健が働く国際航空の主任(沢彰謙)と事務員(磯野洋子)が近づき、事務員は「トイレ(健の愛称)、台湾行きを内緒にするなんて水くさいわよ」と言う。何のことだかさっぱりわからない健は、主任からも「仕事を請けるなら報告しろ。矢島さんから台湾への渡航書類を受け取っているから、早く運んでこい」と言われた。「矢島? どこかで聞いた名前だな。でも別のところで…」と、健は殺人事件を思い出し考えていた。すると「ミスタートイレ!」と香蘭がやってきた。香蘭は三菱 MU-2の購入者である台湾観光社の社長・頼天賜を調べていたので、帰国するついでに三菱 MU-2にも乗ろうと企んでいた。何かと台湾が絡んでくることから裏があると思った健は、台湾へ行くことを躊躇するが、主任と事務員は「早く行ってこい」と促す。自分の知らないところで何かが動いていることを感じながらも、健は「あとはどうなるかわからないけど、出たとこ勝負だ」と台湾へ行くことにした。

殺された男の正体は? 台湾へ行けという理由は? 正体不明の男たちが忠告してきた意味は? 全てが謎のまま、健が操縦する三菱 MU-2は香蘭を乗せ、離陸した。

キャスト[編集]

スタッフ[編集]

主題歌[編集]

素敵なカミカゼ野郎」(クラウンレコード

製作[編集]

中華民国政府の全面支援のもと、台湾では台南駅ロータリー西門町台北松山空港臺南運河臺南孔子廟六合夜市台南大飯店日月潭北投温泉艋舺龍山寺など、2ヶ月半費やしてロケーション撮影が各地で敢行された。その最中の1965年2月、千葉真一は疾走する自動車を追いかけてアンテナに飛びつきトランクに乗った後、リアガラスの両端に掴まりながら走行するシーンで、後輪の跳ねた石が脛に突き刺さり、台湾で一週間入院してしまう[8]。日本では東京都区部横浜中華街のほか、御手洗健と香蘭がスキーをしてるときに出会う雪山八方尾根でロケーション撮影されており、白蘭は台湾で馴染みのない白銀の世界を満喫していた[9]。全編の8割が台湾を舞台にしていることから、中華民国の国籍を持つ漢民族高砂族俳優エキストラが出演。健が台湾へ運ぶ飛行機には三菱 MU-2が、仕事で使う飛行機とクライマックスの対決にはセスナ 172が使用され、飛行機とサングラスはこの作品のモチーフとなっている。

興行[編集]

日本では1966年6月4日に、中華民国台湾)では1971年[1]、それぞれ封切り公開された。キャッチコピーは「千葉・高倉が日本⇔台湾6,000粁!陸・海・空に爆発する大アクション[10]」。クエンティン・タランティーノ脚本を担当したアメリカ映画トゥルー・ロマンス』には本作品のポスターが同映画に登場している。

関連項目[編集]

本作のベースとなった作品
制作会社の母体

脚注[編集]

注釈
  1. ^ 銀翼大決鬥 というタイトルでも公開されている[1]
  2. ^ Kamikaze Man: Duel at Noon というタイトルでも公開されている。
出典
  1. ^ a b c d 片庫索引資料頁” (台湾語). 台灣電影資料庫. 2014年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月22日閲覧。
  2. ^ カミカゼ野郎 真昼の決斗”. 日本映画製作者連盟. 2012年7月12日閲覧。
  3. ^ 『SPORTS CITY』第1巻第2号、鎌倉書房、1981年8月、32頁。 
  4. ^ a b c d JJサニー千葉『千葉流 サムライへの道』ぶんか社、2010年、140 - 141頁。ISBN 4821142694 
  5. ^ a b c d 菅原文太、ほか「映画監督 深作欣二の軌跡」『キネマ旬報 臨時増刊』第1380号、キネマ旬報社、2003年、154頁。 
  6. ^ a b c d 千葉真一、深作欣二の初監督の怒号に驚いた」『アサ芸+』、徳間書店、2012年11月27日、2012年12月5日閲覧 
  7. ^ 黒田邦雄「ザ・インタビュー 千葉真一」『KINEJUN キネマ旬報』第1655巻第841号、キネマ旬報社、1982年8月1日、131頁。 1982年、8月上旬号。
  8. ^ 「空中滑降撮影中、地面にたたきつけられる。本誌カメラマンの目の前で千葉真一が『キイハンター』左足首を骨折! 2ヶ月の重傷!」『週刊平凡』4月3日号、マガジンハウス、1969年。 
  9. ^ “雪を満喫する白蘭”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (1966年5月14日). 第6267号。 
  10. ^ 本作ポスターより。

外部リンク[編集]