コンテンツにスキップ

カポ (強制収容所)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラトビアのサラスピルス強制収容所で撮影された、ユダヤ人ゲットー警察の写真。
腕章の上段には「最上級」という職階も書かれている。

カポ(ドイツ語: Kapo)はナチス強制収容所絶滅収容所における収容者労働者の一種である[1]。カポは、自発的あるいは強制的に、親衛隊(SS)の下で協力者として管理や収容者の強制労働の監督を行った。カポは仲間の囚人に対して権威がある地位を割り当てられており[1]、収容所において配給される食料が増加し、さらに親衛隊守衛からの乱暴が減るなど比較的良い境遇にあったと考えられる。その特権的地位と行動ゆえに、第二次世界大戦の過程において連合国によって収容所が解放されると、カポは他の囚人からひどく恨まれ、私刑の対象となることも頻繁にあった。

カポを含めた収容者労働者の導入の背景には、まずドイツの人的資源、物的資源、および資金の保全の目的があった。それ以外にも、一部の収容者のみに特権を与えることで収容者内での連帯や抵抗を防ぐ役割があったとされる[1]

収容所職員の国籍は多様であり、その構成比は収容所ごとに異なっていたが、ドイツとナチス政権下で併合された地域の国籍を持つ収容者はどの収容所でも高い地位を占めていた[1]

大戦直後、カポが収容所での役割を理由としてナチス党員と共に起訴されたという例がいくつもある。とりわけ、イスラエルで1950年に成立したナチス党員及び協力者処罰法は、主にホロコーストの期間中にカポとして従事したユダヤ人の起訴のための枠組みを作ることを目的とした。ホロコースト生存者が集団としてユダヤ人協力者に対して抱いていた怒りにより、こうした起訴のための活動に労力が注ぎ込まれることとなった。ユダヤ人協力者はユダヤ人の国際的コミュニティを「純化」するために排除する必要があるとみなされていた。

イギリスのユダヤ系新聞『ジューイッシュ・クロニクル』が「ユダヤ人が他のユダヤ人に対してすることのできる最大の侮辱」と特徴づけたように、ホロコースト以降のユダヤ人社会において、カポという言葉は侮辱的なものとして使われるようになった[2]。 しかしながら、ナチス権力はユダヤ人だけではなく、収容所内の迫害対象者全体の中からカポとなる者を選んでいた。

語源

[編集]

一説では、"kapo" という語は、イタリア語で「頭、上役」を意味する "capo" が由来とされる。 またドイツ語の辞書 Duden では、フランス語で「伍長」を意味する "Corporal (caporal)[3][4][5]" が語源であると説明している。ジャーナリストのロバート・D・マクファデンは、ドイツ語で「収容所司令官」を意味する "Lagercapo" が由来だと提唱している[6]。 他にも "Kameradschaftspolizei"「同志警察」の略語という説もある[7]

報復と起訴

[編集]

ヨーロッパ

[編集]

強制収容所の解放が行われると、すぐに多くのカポが集団私刑を含めた報復の標的となった。1945年の春、何千人もの囚人がミッテルバウ=ドーラ強制収容所からベルゲン・ベンゼン強制収容所へ移送された。移送された囚人は、健康状態は良くなかったものの、元からベルゲン・ベンゼン強制収容所にいた囚人よりはずっと良い状態であった。1945年4月15日の解放では、この移送されてきた囚人がかつての監視員を攻撃し、170人ほどのカポを私刑の対象とした[8]

1946年から1947年にかけて、ポーランドグダニスクで行われたシュトゥットホーフ裁判では、シュトゥットホーフ強制収容所の職員が起訴され、5人のカポが残虐行為で起訴され、死刑を宣告されている。このうち4人は1946年7月4日に、残りの1人は1947年10月10日に、それぞれ死刑が執行された。他の1人には3年間の拘禁刑が言い渡され、1人は1947年11月29日に無罪となり解放された[9][10]

少数のカポが東ドイツ西ドイツで起訴された。広く報道された1968年の事例では、2人のアウシュヴィッツ強制収容所のカポがフランクフルトで裁判にかけられている[11]。この2人は189人の殺害と多数の暴行の罪で起訴され、数名の殺害の罪で有罪判決となり、終身刑を言い渡された[11]

イスラエル

[編集]

1950年に可決されたイスラエルのナチス党員及び協力者処罰法は、1961年にアドルフ・アイヒマンを、1986年にイヴァン・デミャニュクをそれぞれ起訴するために使われたことで知られているが、元々はナチスに協力したユダヤ人を起訴する目的で導入された[12][13] 。1951年から1964年までの間に、およそ40の裁判が行われ、そのほとんどはカポであったと主張された人々のものだった[13]

15の裁判で有罪判決が出たことが知られているが、1995年に、裁判記録が判決の日から70年の間封印されることになったため、ほとんどの詳細は入手不可能である[13]。その1人であるエゼキエル・ユングスタは、人道に対する罪の判決を受け、この罪は死刑に値するとされていたが、刑は2年の拘禁刑に減刑されている[14][13]。ユングスタは1952年に釈放されたが、その後数日で亡くなった[15][16]

教師であり研究者でもあるダン・ポラトによると[17]、イスラエルのかつてのカポだった人に対する公式見解と、裁判にかけてきた過程は、4つの異なる時期を経た。初めはナチスの残虐行為の共犯者と看做されていたが、結局カポ達自身も犠牲者として受け取られるようになった。ポラトが想定する最初の段階である1950年8月から1952年1月の間、ナチスに協力したか、あるいは仕えたと申し立てられた人々は、時々刑の宣告の段階になってやっといくぶんか酌量が見られたこともあったが、カポ達を捕まえて監禁していた収容所職員と同じ立場に置かれた。ユングスタが死刑を宣告されたのはこの段階である。他の6人の元カポはそれぞれ平均しておよそ5年間の拘禁刑を言い渡された[17]

ポラトによれば、法律制定者も検察官もユングスタの死刑宣告を予想しておらず、これは潜在的に死刑宣告を伴う可能性のあるあらゆる起訴を排除するために裁判前の告訴事項を修正するきっかけとなった。1952年2月から1957年までの第2の段階の間、イスラエル最高裁判所はユングスタの刑を破棄し、ナチス党員は人道に対する罪と戦争犯罪で罰することができるが、ナチスの元協力者は基本的にこの罪では罰することができないと規定した[17]

カポの起訴は続いた一方、イスラエルの公共圏の人々の間では、いったい裁判が続くべきなのかどうか疑問があがっていた。公式の見解は、カポはユダヤ人協力者であり、ナチスそのものではないというもののままであった。1962年まで続く第3の段階が始まった1958年までには、違法行為は犯したが、それは良い意図によるものだったと法制度によって考えられるようになった。そのため、ナチスの目的に協力したと検察が確信したカポだけが裁判にかけられるに至った。裁判をやめるべきだという生存者もいたが、それでも残りの生存者は未だ正義が尽くされるべきだと要求した[17]

1963年から1972年の間の第4の段階は、ナチスによるユダヤ人問題の最終的解決の第一の主導者であったアドルフ・アイヒマンと、2年後のヒルシュ・バレンブラトの刑に代表される。カポと協力者達は、裁判所ではすでに通常の被害者として判断されており、最初の当局公式見解とは全く逆であった。アイヒマン裁判の検察官が、ユダヤ人協力者とカポ職員とナチスの間に行った線引きは非常に明確であった。この線引きを知らしめたのが1963年のバレンブラトの裁判である。イスラエル・ナショナル・オペラの指揮者であったバレンボラトは、ポーランドのベンツィンゲットーでユダヤ人ゲットー警察の警察長として、ユダヤ人をナチスに明け渡したことで審問された[18]

1958年から1959年の間にイスラエルに到着し、オペラの指揮者をしている間に、ゲットーの生還者がバレンボラトを見て思い出し、その後逮捕された。死の収容所に送るため選ばれたユダヤ人が逃げられないことを確信しながらナチスを支援したことで有罪判決となり、バレンボラトは5年間の刑務所での拘禁刑を宣告された。1964年5月1日、3ヶ月の拘禁刑を果たし、バレンボラトは解放され、イスラエル最高裁判所は刑を取り消した[19]。このバレンボラトの無罪放免は、カポとその他の十分な証拠を出さずに有罪と主張されたナチス協力者に対する裁判に終止符を打つ狙いがあったと考えられる[20]

収容者の保護

[編集]

収容者職員の中には、仲間の収容者職員の保護を支援し、面倒を見たものもいた。中でも事務職員や医者看護師は多少の親切な行動をしたことが知られている[1]

例えば事務職員は、入ってくる収容者の個人情報の記録を収容者が生き残る可能性を高めるやり方で行うことができた。事務員は収容者の年齢を改ざんし、強制労働に適すると考えられる年齢の範囲に収めることもできた。他にも、収容者を収容所で有用な技術を持っている、あるいは使える職業である人物として登記することもできた[1]

衛生状態も、薬も、必要な物品の供給も全く欠如していたが、収容者の医師や看護師は病気の負傷者、あるいは負傷した収容者に医療ケアを提供しようとしていた。他にも、苦痛を和らげ、親衛隊の命令に巻き込まれずに助けられる人を助ける方法を模索した[1]

歴史的な重要性と受容

[編集]

ドイツ人歴史家のカリン・オルトは、恐怖と暴行の実行を被害者自身に委任するという親衛隊の手法ほど不誠実なやり方はほとんどないと記している[21]。ドイツで戦前の時代からナチズムに公然と反対し、ブーヘンワルド収容所の生存者でもあるオイゲン・コゴンは戦後に、強制収容所制度が安定を保てていたのは、カポの存在が大いに影響しており、カポが収容所の日々の仕事を行い、親衛隊の職員にかかる負担を和らげたことが制度維持に貢献したと書いた。絶対的権力は至る所に偏在する。コゴンによれば、権力の委任がなければ、規律と監督の制度はすぐに崩壊するとされる。親衛隊にとって、監視と倉庫の管理職務をめぐって生まれた対抗心は、収容者を互いに競争させる好機をもたらした。普通の収容者は普段はなかなか収容所にいない親衛隊と、いつも収容所にいるカポの二重の権威のなすがままであった[22]

ユダヤ人の侮辱語として

[編集]

カポという語は21世紀において、侮辱語、特にイスラエルやシオニズムに対してあまりはっきり支持をしないユダヤ人に対する侮辱語として使われている。2017年、イスラエルのアメリカ大使になる目前だったデイヴィッド・フリードマンは、J Streetの運動団体の支持者を「カポよりずっと悪い」と言及したことを謝罪した[23][2]

全てのカポがユダヤ人であるという世間一般の認識があるが、そうではない。カポは様々な国籍の収容所にいた人のものであった[24][25]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g Kapos and Other Prisoner Functionaries in Nazi Concentration Camps” (英語). Holocaust Encyclopedia. 2025年11月24日閲覧。
  2. ^ a b Sugarman, Daniel. “What is a 'Kapo'? The history of the worst insult a Jew can give another Jew”. www.thejc.com. https://www.thejc.com/comment/analysis/what-is-a-kapo-the-history-of-the-worst-insult-a-jew-can-give-another-jew-1.482181 2020年11月9日閲覧。 ; “Trump's pick for ambassador to Israel 'regrets' Holocaust-related slur” (英語). The World from PRX. https://www.pri.org/stories/2017-02-17/trump-s-pick-ambassador-israel-regrets-holocaust-related-slur 2020年11月9日閲覧。 ; “The crime: Collaborating with the Nazis. The punishment: Excommunication from Judaism” (英語). Haaretz.com. https://www.haaretz.com/israel-news/.premium.MAGAZINE-the-crime-collaborating-with-nazis-the-punishment-excommunication-from-judaism-1.7732097 2020年11月9日閲覧。 ; Beauchamp, Zack (2016年12月16日). “Trump's pick for Israel ambassador thinks liberal Jews are "worse" than Nazi collaborators” (英語). Vox. https://www.vox.com/world/2016/12/16/13980806/david-friedman-trump-israel-ambassador-pick 2020年11月9日閲覧。 
  3. ^ Yizhak Ahren, "Überlebt weil schuldig - schuldig weil überlebt" Archived 5 February 2016 at the Wayback Machine. Review of book about Jewish kapos. Leo Baeck Bookshop, official website. Retrieved 8 May 2010 (ドイツ語)
  4. ^ Kogon, Eugen (1980). The theory and practice of hell: the German concentration camps and the system behind them. New York: Berkley Books. ISBN 0-425-16431-4  (Translated from: Kogon, Eugen (1946). Der SS-Staat: Das System der deutschen Konzentrationslager. München. https://archive.org/details/EugenKogonDerSSStaatDasSystemDerDeutschenKonzentrationslager )
  5. ^ de Jong, L. (1978). Het Koninkrijk der Nederlanden in de Tweede Wereldoorlog, deel 8, gevangenen en gedeporteerden, eerste helft. 's-Gravenhage: Staatsuitgeverij. ISBN 90-12-00829-8 , p. 481
  6. ^ Mcfadden, Robert D. (1988年2月5日). “A Jew Who Beat Jews in a Nazi Camp Is Stripped of His Citizenship”. The New York Times. ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/1988/02/05/nyregion/a-jew-who-beat-jews-in-a-nazi-camp-is-stripped-of-his-citizenship.html 2017年5月20日閲覧。 
  7. ^ Yizhak Ahren,Überlebt weil schuldig - schuldig weil überlebt, a review of the book Opfer und Täter zugleich? by Revital Ludewig-Kedmi
  8. ^ Knoch, Habbo, ed (2010). Bergen-Belsen: Historical Site and Memorial. Stiftung niedersächsische Gedenkstätten. ISBN 978-3-9811617-9-3 
  9. ^ Janina Grabowska (2009年1月22日). “Odpowiedzialność za zbrodnie popełnione w Stutthofie. Procesy” (Internet Archive) [Responsibility for the Atrocities Committed at Stutthof. The trials.]. KL Stutthof, Monografia. 2009年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月12日閲覧。
  10. ^ Bogdan Chrzanowski, Andrzej Gąsiorowski (Zeszyty Muzeum, 5), Załoga obozu Stutthof (Staff of Stutthof concentration camp) (PDF file, direct download 9.14 MB) p. 189 (13/40 in PDF). Muzeum Stutthof w Sztutowie. Zaklad Narodowy Imienia Ossolinskich, Wrocław, Warszawa, Krakow 1984. PL ISSN 0137-5377.
  11. ^ a b René Wolf (2007). “Judgement in the Grey Zone: the Third Auschwitz (Kapo) Trial in Frankfurt 1968”. Journal of Genocide Research 9 (4): 617–663. doi:10.1080/14623520701644432. 
  12. ^ Hanna Yablonka (2003). “The development of Holocaust consciousness in Israel: The Nuremberg, Kastner, and Eichmann trials”. Israel Studies 8: 1–24. doi:10.2979/isr.2003.8.3.1. 
  13. ^ a b c d Orna Ben-Naftali; Yogev Tuval (2006). “Punishing international crimes committed by the persecuted : The Kapo Trials in Israel (1950s–1960s)”. Journal of International Criminal Justice 4: 128–178. doi:10.1093/jicj/mqi022. 
  14. ^ Porat, Dan. “How Israel's Justice System Dealt With Alleged Jewish Collaborators in Concentration Camps—And Why That Still Matters Today”. Time. https://time.com/5710303/nazi-collaborator-trials/?linkId=75934646 2019年10月28日閲覧。 
  15. ^ Treiger, Karen (2020年1月22日). “Kapo Trials – Part II” (英語). So You Want To Write A Holocaust Book?. 2020年2月26日閲覧。
  16. ^ Aderet, Ofer. “The Nazi collaborator who served ice cream in Tel Aviv” (英語). Haaretz.com. https://www.haaretz.com/life/books/2015-12-20/ty-article/.premium/the-nazi-collaborator-who-served-ice-cream-in-tel-aviv/0000017f-f423-d487-abff-f7ff6a1a0000 2022年10月31日閲覧。 
  17. ^ a b c d Porat, Dan (2019). Bitter Reckoning: Israel Tries Holocaust Survivors as Nazi Collaborators. Harvard University Press 
  18. ^ Conductor of Israel National Opera Guilty of Nazi Collaboration”. Forward.com (2014年2月5日). 2019年10月28日閲覧。
  19. ^ “Israeli absolved of help to Nazis | Court reverses conviction of ex-Polish Gestapo aide”. The New York Times. New York Times. (1964年5月2日). https://www.nytimes.com/1964/05/02/archives/israeli-absolved-of-help-to-nazis-court-reverses-conviction-of.html 2019年10月28日閲覧。 
  20. ^ Porat, Dan (2015). Changing Legal Perceptions of 'Nazi Collaborators' in Israel 1950-1972. https://www.academia.edu/13279947 2019年10月28日閲覧。 
  21. ^ Karin Orth (2007). Norbert Frei. ed (ドイツ語). Gab es eine Lagergesellschaft? "Kriminelle" und politische Häftlinge im Konzentrationslager. Munich: Institut für Zeitgeschichte, de Gruyter. pp. 110, 111, 127, 131. ISBN 978-3-598-24033-1. https://books.google.com/books?id=xEhvT7gp_ksC&pg=PA109 
  22. ^ Guido Knopp (2013) (ドイツ語). Die SS. Eine Warnung der Geschichte. Munich: Bertelsmann Verlag. page 209 (193, reprint). ISBN 978-3641108410. https://books.google.com/books?id=WYONLouCPUgC&q=Kogon&pg=PT193 
  23. ^ Lebovic, Matt. “On David Friedman, the 'kapo' smear, and Jewish honor”. ISSN 0040-7909. http://www.timesofisrael.com/on-david-friedman-the-kapo-smear-and-jewish-honor/ 
  24. ^ The Moral “Grey Zone” of Nazi Collaboration” (英語). Reboot. 2025年11月4日閲覧。
  25. ^ USC Shoah Foundation Thesaurus (Abridged), p. 146

参考文献

[編集]
  • Revital Ludewig-Kedmi, Opfer und Täter zugleich? Moraldilemmata jüdischer Funktionshäftlinge in der Shoah. Psyche und Gesellschaft. Book expanded from a doctoral dissertation about the moral dilemma faced by Jewish kapos in the Holocaust. Psychosozial Verlag, Gießen (2001) ISBN 3-89806-104-3 (ドイツ語)

外部リンク

[編集]