カピトリーノのウェヌス
イタリア語: Venere capitolina | |
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製作年 | ギリシアのオリジナルを基にした紀元前2世紀ごろのローマン・コピー |
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種類 | 彫刻 |
素材 | 大理石 |
寸法 | 193 cm (76 in) |
所蔵 | カピトリーノ美術館、ローマ |
『カピトリーノのウェヌス』(伊: Venere capitolina, 英: Capitoline Venus)は、ウェヌスの彫像のひとつの型であり、特に「恥じらいのウェヌス」(Venus Pudica)の諸型のひとつであり(残りのなかには『メディチのウェヌス』型もある)、そのいくつかの例が存在している。この型は、『クニドスのアプロディーテー』に根本的に由来している。『カピトリーノのウェヌス』とその諸ヴァリアンツは、両腕のポジションで見分けられ得る - ウェヌスは、バスののちに立って、右手で両乳房を、左手で鼠径を、覆いはじめている。
この型のオリジナル(以後の諸コピーは、これに由来している)は、小アジアからの失われた紀元前3世紀ないし2世紀のプラクシテレスの作品のヴァリエーションであると考えられているが、これは、題材の肉的なそして官能的な取扱いと女神の慎み深い「両」(both)手のジェスチャー - プラクシテレスのオリジナルにおいては鼠径の前に片手のみ - によってプラクシテレス的な伝統を変更している。
主な例[編集]
『カピトリーノのウェヌス』は、等身大より少し大きい[1]ウェヌスの大理石彫像で、プラクシテレスに究極的に由来する後期ヘレニスティック彫像のアントニヌス時代のコピーである(Helbig 1972:128–30)。
これはクレメンス10世の在位中(1670年-1676年)にヴィミナーレの丘で、サン・ヴィターレ(San Vitale)の近くのスタッツィ(Stazi)に属する庭園で見つかった[2]。ベネディクトゥス14世はそれをスタッツィ家から購入して、カピトリーノ博物館に与え[3]、博物館はそれを、カンピドリオのパラッツォ・ノーボ(Palazzo Nuovo)の1階の自己所有の壁龕(niche) - 「ウェヌスのキャビネット」("the cabinet of Venus")と称する - に収めた。
この彫像はアメリカ合衆国に貸し出され、2011年6月8日から9月18日までワシントンD.C.のナショナル・ギャラリーのウエスト・ビルディング(West Building)のロータンダ(rotunda)で展示された。
フィレンツェにおける『メディチのウェヌス』に対するそれの評判は、ハスケル(Haskell)およびペニー(Penny)によれば、ゆっくりとしか高まらなかったが、これは、いくらかは修復に対する否定的な感性がフィレンツェのウェヌスの土台を掘り崩しはじめたからである。ナポレオン1世はトレンティーノ条約の条項のもと、意気揚々とこれをパリに移した。皇帝は大理石のレプリカの製作をジョゼフ・シナールに依頼し、そしてそれは今はコンピエーニュ城にある。1816年にオリジナルがヴァチカンに返還されたとき、ナポレオン時代にそれにとってかわっていた石膏模作像は、英国に船で送られたし、英国でジョン・フラックスマンはそれを学生らに賞賛した(Haskell and Penny 1981:319)。

ほかの諸型[編集]
『メノファントスのアプロディーテー』は、サン・グレゴーリオ・マーニョ・アル・チェリオのカマルドレセ修道院で見つかった。それには、メノファントスの署名[4]があり、彼はギリシアの彫刻家で、見たところでは紀元前1世紀のであるらしく、彼についてそれ以外には何も知られていない。カマルドレセの共住修道士らは、クリヴォ・スカウリ(Clivo Scauri)における古代の教会と修道院を占めていたが、これは大聖グレゴリウス1世によって、彼自身の家の財産に、580年ころチェリオの丘の斜面(clivus)に創建された。10世紀までにグレゴリウスの名前は、使徒のそれに付けられていたし、使徒を彼は最後には押しのけた[5]。彫像は、キージ家のプリンスの所有になった。ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンは『古代美術史』(第5巻第2章)においてこの彫像を記述した[6]。
同じモデルのもうひとつの彫像、『カンポ・イェミニのウェヌス』は、1792年春にラツィオの、トルヴァイアニカ近くの、カンポ・イェミニのローマのヴィラの発掘で、ほかの彫像とともに掘り出された。発掘はイングランドの、ローマの遺物の業者ロバート・ファガンによって指揮され、大英博物館のサー・コーベット・コーベット(Sir Corbet Corbet)と共同でサセックス公爵オーガスタス・フレデリック王子の援護を受けた。発見当時、イングランド人は特に『カピトリーノのウェヌス』より優れているとした。ローマでの修復ののち、ロンドンに船で送られ、サセックス公爵は兄である摂政皇太子ジョージ(後の国王ジョージ4世)にそれを与え、摂政皇太子はそれをカールトン・ハウスに設置した。彼の死後、カールトン・ハウスは取り壊されてカールトン・ハウス・テラスに建て替えられ、ウィリアム4世はこれを大英博物館に寄贈した [7] 。 バイアで見つかったのは、パロス島大理石の2世紀のローマのコピーである。

恥じらいのヴィーナス(Venus Pudica)の1ヴァージョンもまた、レプティス・マグナのハドリアヌスの浴場で見つかった。ハドリアヌスの浴場は1920年代に発掘されたし、そして『カピトリーノのウェヌス』のレプティスのコピーは、ベニート・ムッソリーニによってヨーロッパに持ち去られ、ムッソリーニはそれをナチの指導者ヘルマン・ゲーリングに与えた。彫像はベルリン近郊の彼の田園の大邸宅カリンハルのベッドルームを美しく飾った。これは1999年に最終的にリビアに返還され、現在はトリポリのジャマヒリーヤ博物館(国立考古学博物館)に所蔵されている。
これ以外のヴァリアントは、同様な『タヴリーダのウェヌス』のみならず[8][9]、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館にある[10]。
ギャラリー[編集]
注釈[編集]
- ^ 1.93 m (6 ft. 3 ¾ in.).
- ^ According to the memoirs of the antiquarian Pietro Santi Bartoli noted in Haskell and Penny 1981:318).
- ^ Accession number MC 0409
- ^ "Apo tis en troadi afroditis minofantos epoiei"
- ^ http://penelope.uchicago.edu/Thayer/I/Gazetteer/Places/Europe/Italy/Lazio/Roma/Rome/churches/_Texts/Huelsen/HUECHI*/2/DH.html#G7 Christian Hülsen, Le Chiese di Roma nel Medio Evo: S. Gregorii in Clivo Scauri]
- ^ William Smith, , A Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology, (1870) vol. II.1044.
- ^ Illustration, National Archaeological Museum, Athens, gift of M. Embeirikos, 1924, acc. no. 3524; it is sometimes confused with a version of Antonio Canova's Venere Italica completed by Canova on behalf of the British connoisseur Thomas Hope (1769–1831), whose heirs sold it in 1917; Hope's Venus is conserved at the Leeds Art Gallery (Hugh Honour, "Canova's Statues of Venus", The Burlington Magazine, 114 No. 835 (October 1972), pp. 658-671, esp. p. 667).
- ^ Atsma, Aaron. "Tauride Venus". Theoi Project. Retrieved on May 13, 2008.
- ^ "Aphrodite: Tauride Venus". State Hermitage Museum. Retrieved on May 13, 2008.
- ^ Atsma, Aaron.Of Type Capitoline Venus Theoi Project. Retrieved on May 13, 2008.
参考文献[編集]
- Haskell, Francis and Nicholas Penny, 1981. Taste and the Antique: The Lure of Classical Sculpture 1500-1900. Yale University Press. Cat. no. 84.
- Helbig, Wolfgang. Führer durch die öffentlichen Sammlungen klassischer Altertümer in Rome. 4th edition, 1963–72, vol. II.
- Wilton, A. and I. Bignamini (editors.). Grand Tour: the lure of Italy in the eighteenth century London, Tate Gallery Publishing, 1996. no. 228, pp. 269–270. (the Campo Iemini Venus).