カトリック神ノ島教会
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| カトリック神ノ島教会 | |
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| 北緯32度43分06.60秒 東経129度49分35.09秒 / 北緯32.7185000度 東経129.8264139度座標: 北緯32度43分06.60秒 東経129度49分35.09秒 / 北緯32.7185000度 東経129.8264139度 | |
| 所在地 | 長崎県長崎市神ノ島町2丁目148番 |
| 国 |
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| 教派 | カトリック教会 |
| 歴史 | |
| 守護聖人 | 聖フランシスコ・ザビエル |
| 管轄 | |
| 教区 | カトリック長崎大司教区 |
| 教会管区 | カトリック長崎教会管区 |
| 聖職者 | |
| 大主教 (大司教) | ペトロ中村倫明 |
| 主任司祭 | パウロ山内啓輔 |

カトリック神ノ島教会(カトリックかみのしまきょうかい)は、長崎県長崎市神ノ島町に所在するキリスト教(カトリック)の教会堂である。
沿革
[編集]長崎港の入口にあたる神ノ島は1960年代に海面埋め立てで九州本土と繋がるまでは離島であった。
幕末のプティジャン神父による「隠れキリシタンの発見」の後、神の島で水方[注 1]を務めていた西政吉が大浦のプティジャン神父を訪ね、神の島にも潜伏キリシタンが多くいることを打ち明け、その後神の島の隠れキリシタンはカトリック教会に復帰していく。当時、全島民が潜伏キリシタンであったとする説もある[1]。
1876年(明治9年)に、パリ外国宣教会のブレール神父が神ノ島に着任し、仮教会が設けられ、1881年(明治14年)に、後任のラゲ神父により現在地に木造の教会堂が建築された。現存の煉瓦造りの教会堂は、1892年(明治25年)に当地に来住したデュラン神父が私財を投じ設計・建築したもので、1897年(明治30年)に竣工した[2] 。当初は漆喰塗りであったが、のち石灰・セメント塗りに改装され、現在の白い外観になっている。
長崎港を発着する船から教会の姿を見ることができるため、長崎港のランドマークの1つとなっている。
岬の聖母像
[編集]教会の近くにある、陸続きになった岬の小島には恵比須神社とマリア像が建てられている。恵比須神社は古来より祀られていたもので、マリア像は1949年にフランシスコ・ザビエル渡来400周年を記念して建てられた[3]。現在あるものは1984年に建て替えられた二代目で高さ4.7メートルとなっている[4][5]。2026年3月に聖母像の建つ地盤が崩落が発生、更なる崩落の危険があるとして移転が検討されている[4][5]。
所在地
[編集]- 850-0078 長崎県長崎市神ノ島町2-148
アクセス
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ 隠れキリシタンの組織で洗礼を授ける役
出典
[編集]- ↑ 井出道雄 2006, p. 67.
- ↑ 井出道雄 2006, p. 68.
- ↑ “二人の神様がいっしょに暮らす、神ノ島。”. 長崎市観光マスターブランド. 長崎市. 2026年8月7日閲覧。
- 1 2 “長崎港入口の「岬の聖母像」が存続の危機…信徒らは移設を検討、費用は数千万円かかる見込み”. 長崎新聞. 2026年7月16日. 2026年8月7日閲覧.
- 1 2 “「祈って耐えてもらうしか」“岬の聖母像”に崩落危機 風雨や波で浸食…立ち入り禁止に 教会が移転先絞る 長崎市”. FNNプライムオンライン. テレビ長崎 (2026年7月17日). 2026年8月7日閲覧。
参考文献
[編集]- 井出道雄『西海の天主堂路』新風舎、2006年。ISBN 4289003370。
- 「九州遺産 近現代遺産編101」(文・写真:砂田光紀、国土交通省九州運輸局・九州産業・生活遺産調査委員会監修、弦書房刊)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 神ノ島教会堂(長崎旅ネット) - 長崎県観光連盟
