カッタ君物語

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カッタ君物語
監督 吉田憲二
脚本 吉田憲二
関口三郎
ナレーター 宮﨑淑子
出演者 佐藤智恵林勇
西村知美大滝秀治
中友子
音楽 三間雅文渡辺俊幸
主題歌 西村知美 「きらめきの翼」
撮影 今泉秀樹
製作会社 「カッタ君物語」制作委員会製作委員会方式
宇部市
ナベスタジオ
アウベック
公開 日本の旗 1995年7月12日
上映時間 75分
製作国 日本の旗
言語 日本語
製作費 1億円
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カッタ君物語』(カッタくんものがたり)は、1995年7月12日公開の日本アニメーション映画。観客動員数は12万人[1]

概要[編集]

企画・製作は「カッタ君物語」製作委員会。山口県宇部市ときわ公園にいた実在のモモイロペリカンカッタくんをモチーフに少年とペリカンとの友情を描いた作品。制作費1億円は全額市民の寄付によるものである。

全国市長会日本鳥類保護連盟日本動物園水族館協会全国子ども会連合会全国保育協議会、山口県観光協会、山口県町村会、山口県市長会、河川整備基金助成作品推薦。

作品の舞台である宇部市出身の西村知美がヒロイン役で出演、主題歌も歌っている。

あらすじ[編集]

宇部市のときわ公園。ここにはペリカン島と呼ばれるペリカンが住む島があった。ある嵐の夜、公園で動物の世話をしていた柴田は流されそうになっていたモモイロペリカンの卵を救出し、人工孵化により生まれたペリカンにカッタ君と名づけた。カッタ君は公園で過ごし、子供たちの人気者となった。ある日、カッタ君はという少年と出会う。翔の両親はアラビアに出張に出ており、祖母と二人暮らしの寂しい毎日を送っていた。翔とカッタ君は友達となり、一緒にメリーゴーランドに乗ったり、二人三脚競争で一等賞を取ったりと楽しい日々を送った。

しかし翔の両親がいるアラビアで戦争が勃発。両親の安否は不明となる。両親を心配した翔は何とかアラビアに行こうとするが、普通の手段では無理だとわかった。カッタ君に「僕をアラビアへ連れてって」とお願いすると月から謎の怪光線が差し込み、翔とカッタ君は姿を消していた。祖母たちが心配するころ、翔はカッタ君の背に乗ってアラビアの空を飛んでいた。

何故か喋れるようになったカッタ君と翔が見たものは燃える町・流出した重油で真黒になった水鳥たち、そして逃げ惑う避難民たちであった。その中に翔の両親がいるのを発見し、無事に再会を果たした。それを見届けたカッタ君は避難民を救うために町へ戻り、翔もそれについていく。途中で流れ弾に当たって翼を負傷したカッタ君は偶然ペリーナというペリカンの女の子に助けられ、彼女の住処の湿地帯で傷を癒した。傷が癒えたカッタ君はペリーナと湿地帯のペリカンたち避難民を一緒に助けに行こうと誘う。ペリカンたちの長老は最初は渋るが、カッタ君の情熱に動かされ、避難民の救出に向かう。

ペリカンたちは言い伝えに従い、満月に向かい一斉に鳴き、そして飛び立つ。宙を舞っていたペリカンたちはやがて一つへとまとまっていき、月をも覆い隠さんばかりの巨大カッタ君へと変身した。戦場へと向かうカッタ君と翔、口からビームを吐き出して戦車・ミサイルを破壊、羽ばたきで戦車をひっくり返し、銃撃する兵士たちを追い散らしたカッタ君たちは無事に避難民を助け出し、背中に乗せてキャンプまで運んだ。

ペリーナと長老と別れ、翔とカッタ君も日本への帰途に着いた。その途中、翔はカッタ君の背中で寝てしまうが、目が覚めるとそこはときわ公園で、あの夜の翌日であった。アラビアでのことを周囲に語る翔だが当然信じてもらえず、カッタ君も喋れなくなっており、あれは夢だったのかと思われたが、ニュースには「避難民を助けた謎の鳥の影」を報じていた。

両親もアラビアから帰国し、再び平和な日々に戻った翔とカッタ君。しかし大人になったカッタ君は野生へ帰るべきと柴田さんはいう。翔もまた両親の転勤が決まり、翔とカッタ君の別れのときが近づいていた。最後の夜、翔とカッタ君は二人三脚やアラビアでの戦闘などの思い出を語り合い、別れを告げた。東京への飛行機の窓から外を見た翔、そこには飛行機を追いかけるように飛ぶカッタ君がいた。

声の出演[編集]

スタッフ[編集]

主題歌[編集]

エンディングテーマ「きらめきの翼」
作詞 - 西村知美 / 作曲 - 渡辺俊幸 / 歌 - 西村知美

脚注[編集]

  1. ^ 「宇部時報」1999年3月4日付記事参照。

関連項目[編集]