カイクバード1世
| カイクバード1世 كيقباد الأول I.Alâeddin Keykûbad | |
|---|---|
| ルーム・セルジューク朝第11代スルターン | |
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カイクバード1世像(アランヤ) | |
| 在位 | 1220年1月7日 - 1237年5月31日 |
| 別号 | シャー |
| 全名 |
علاء الدين كيقباد بن كيكاوس アラーウッディーン・カイクバード・ビン・カイホスロー |
| 出生 |
1187年? |
| 死去 |
1237年5月31日 |
| 埋葬 |
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| 子女 | カイホスロー2世 |
| 家名 | セルジューク家 |
| 王朝 | ルーム・セルジューク朝 |
| 父親 | カイホスロー1世 |
| 母親 | ラズィヤ・ハトゥン |
| 宗教 | イスラム教スンナ派 |
アラーウッディーン・カイクバード1世(ペルシア語: علاءالدین کیقباد اول、ʿAlāʾ al-Dīn Kayqubād-e Avval、生没年:1187年 - 1237年5月31日)は、ルーム・セルジューク朝の第11代スルターン(在位:1220年 - 1237年)。先代カイカーウス1世の弟である。トルコ語由来だとアラーエッディン・ケイクバド1世(I. Alâeddin Keykubad)と表記される。
生涯
[編集]生まれ
[編集]カイホスロー1世の子として生まれる。
父の死と監禁
[編集]1211年、父のカイホスロー1世が死去すると、兄のカイカーウス1世が即位したが、カイクバードは後継者争いに負けてマラトヤ近郊の城塞に監禁された[1]。
即位
[編集]1219年、カイカーウス1世がシリア遠征後に病死したため、カイクバード1世は釈放されて第11代スルターンに迎えられた[1]。カイクバード1世の治世はルーム・セルジューク朝の全盛期で、この時代にアナトリアのイスラーム社会は政治・経済・文化の各方面で絶頂期を迎えた[1]。カイクバード1世は即位すると、国政に携わる有力者の陣容を一新し、自らの思いのままに政権が運営できるようにグラーム層出身の軍人や、新米の書記たちを取り立てた[1]。そのなかにはテュルク系の他にルーム人と呼ばれたギリシア系、西欧系のフランク人、中央アジアから避難してきたイラン系の人々が多数含まれていた[2]。歴史家のイブン・ビービーの両親もその一人だった[2]。
初政
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カイクバード1世はコンヤ、カイセリ、スィヴァスなどの主要都市に大規模な城壁を建設し、防衛拠点とした[2]。アナトリア半島を東西南北に貫く通商貿易路の安全を重視し、現在もアナトリア各地に残るキャラバン・サライや橋梁を新設し、既存のものは整備拡充した[2]。主要な都市の内部にはモスク、病院、ハンマーム(公衆浴場)などの公共施設を建設させ、ワクフ制度によってこれらを維持した[2]。すでに兄カイカーウス1世の時代にルーム・セルジューク朝はアナトリアの南北に港湾拠点を確保していたが、カイクバード1世は海に進出する出口の数をさらに増やした[3]。地中海沿岸ではアンタリヤの他、1223年にアランヤが征服された[3]。この町はアンタリヤ東方にあり、カロノロスと呼ばれる港であったが、カイクバードは自ら軍を率いてこの町を包囲攻撃して征服した[3]。この町はカイクバード1世のラカブである「アラーウッディーン」にちなんで「アラーイーヤ」と呼ばれるようになり、現在では訛ってアランヤと呼ばれている。
対外戦争
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1227年、カイクバード1世は黒海沿岸のスィノプから黒海を越えてクリミア半島に遠征軍を送って港湾都市スグダクを占領し、キプチャク部族を服属させた[3]。同じ年、カイクバード1世はアイユーブ朝のスルターン・アル=アーディルの娘と結婚し、同盟関係を強化した[3]。
1228年、アナトリア東部のエルズィンジャンを支配してきたトゥルクマーン系のメンギュジク朝を服属させ、東方へ領土を広げた[3]。
1230年8月、アイユーブ朝と連合して、当時アーザルバーイジャーンを中心に勢力の復活を計っていたホラズム・シャー朝のジャラールッディーン・メングベルディーの軍をエルズィンジャン西方のヤッス・チメンの戦いで撃破し、1194年にイラク・セルジューク朝のスルターン・トゥグリル2世が敗死した仇を討った[3]。
1234年~1235年にはシリアの北部をめぐってアイユーブ朝と対立し、シリアの遠征軍をアナトリアの南部で撃破した[3]。
死去
[編集]1237年5月、50歳になったカイクバード1世は新たな遠征を計画してカイセリに軍隊を集めていたところで急逝した[3]。おそらくは長男のカイホスロー2世が父を毒殺して権力を握ろうとしたものと思われる[3]。
子
[編集]カイクバード1世のコイン
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考資料
[編集]- 永田雄三『西アジア史 2 イラン・トルコ』山川出版社〈世界各国史 新版 9〉、2002年8月25日。ISBN 978-4634413900。
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