オーヴェルの教会

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『オーヴェルの教会』
オランダ語: De kerk van Auvers
フランス語: L'église d'Auvers-sur-Oise
L'église d'Auvers-sur-Oise.jpg
作者 フィンセント・ファン・ゴッホ
製作年 1890年
種類 油彩
寸法 74 cm × 94 cm (29 in × 37 in)
所蔵 オルセー美術館、パリ

オーヴェルの教会』(オランダ語: De kerk van Auversフランス語: L'église d'Auvers-sur-Oise)は、オランダポスト印象派の画家フィンセント・ファン・ゴッホにより、1890年に描かれた油彩画。 高さ74センチ、幅94センチ。パリにあるオルセー美術館が所蔵する。

来歴[編集]

ゴッホは1890年5月16日、サン=レミ=ド=プロヴァンスの精神病院を出た後、南フランスを去り北へと旅に出た。彼はパリにいた弟テオを訪れてから、オーヴェル=シュル=オワーズへと移動して、医師ポール・ガシェの患者となった。彼はここで人生最後の10週間を過ごし、その短い期間に『オーヴェルの教会』を含む作品100点以上を制作した。

本作は『7月14日の町役場』や藁ぶき屋根の小屋を描いた他のいくつかの作品同様、ゴッホが幼少期から青年期を過ごした北の風土を思い起こさせる[1]。北に対するノスタルジーは、すでにサン=レミ=ド=プロヴァンス滞在の最終週には表面化していた。出発2週間前に書いた手紙には「私は病気だったが、それでも油絵をいくつか描いた。後で見てほしい、北の記憶を頼りに描いた。」と記している[2]

ゴッホは妹ウィルヘルミナに宛てた手紙の中で、ニューネンで描いた同様の作品について、次のように触れている[3]

村の教会の、より大きな絵を私は持っている。建物はスミレ色に染まり、空のシンプルな深い青の色、純粋なコバルト色によく映えている。窓のステンドグラスは群青色のシミのように見え、屋根は紫色で一部がオレンジ色をしている。前景には、緑色の植物少々が花開き、砂は、ピンク色の日光を浴びている。私がニューネンで、古い塔と墓地を描いた習作とほぼ同じ内容で、ただほんの少し色彩豊かで金がかかっているというだけである。

シンプルな深い青はまた、オーヴェル=シュル=オワーズで短期間に描かれた『アデリーヌ・ラボー』でも使われている。

本作の前景は太陽に明るく照らされているが、教会は自身の影の中にたたずみ、「光を反射することも放射することもなかった」[4]。ゴッホはその意思に反してボリナージュ伝道師委員会から解雇され、1880年7月、弟のテオにキュエム村から手紙を書いた。その中でシェイクスピアの『ヘンリー四世 第1部』から[5]、暗くうつろな教会の内部のイメージを引き合いに出して、「空っぽで偏見に満ちた説教」[6]の象徴として「彼らの神は、シェイクスピアに出てきた、酔っぱらったフォルスタッフの神、教会の内部に似ている」[7]と述べている。

別れ道のモチーフは『カラスのいる麦畑』にも現れている。

脚注[編集]

  1. ^ Lubin, Stranger on the earth: A psychological biography of Vincent van Gogh, Holt, Rinehart, and Winston, 1972年。 ISBN 0-03-091352-7 、230ページ。
  2. ^ 手紙 629, 1890年4月30日。
  3. ^ 手紙 W22 ウィルヘルミナ・ファン・ゴッホに宛てて、1890年6月5日。
  4. ^ Erickson, Kathleen Powers. At Eternity's Gate: The Spiritual Vision of Vincent van Gogh, 1998年, ISBN 0-8028-4978-4. 171ページ
  5. ^ "And I have not forgotten what the inside of a church is made of, I am a peppercorn, a brewer’s horse: the inside of a church!" — Act 3, Scene iii.
  6. ^ Erickson, 172ページ
  7. ^ 手紙 133