オーロラUFO墜落事件

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事件を描写している新聞記事 S. E. ヘードン(S. E. Haydon)による 「風車がそれを取り壊す」("A Windmill Demolishes It,") 『The Dallas Morning News』1897年4月19日 第5面

オーロラUFO墜落事件(Aurora, Texas, UFO incident、おーろらゆーふぉーついらくじけん)は、伝えられるところによれば、1897年4月17日に起きた、地元の人によれば、アメリカ合衆国テキサス州オーロラ(Aurora)の近くで農場でUFOが墜落した事件である。[1] 事件(もっと有名な50年後のロズウェル事件に似る)は、墜落による死亡に終わり、そして宇宙人の遺体とされるものは地元の墓地の標識の無い墓に埋葬されたと主張されている。

伝えられるところによる事件[編集]

オーロラ墓地の外のテキサス歴史委員会(Texas Historical Commission)の標識 UFOパイロットの埋葬地点とされる地点 事件に短く言及する

1896年 - 1897年の間、葉巻型の謎の宇宙船の目撃は、合衆国中で報告された。

これらのうちのひとつの記事は、1897年4月17日、『Dallas Morning News』に現われた。 オーロラの住民S.E. ヘードン(S.E. Haydon)[2]によって書かれて、UFOとされるものは、地元(中央)時間で2日前、午前6時ごろ、ジャッジ J.S. プロクター(Judge J.S. Proctor)というひとの財産の風車に当たり、[3]墜落に終わったと言われている。

パイロット(「この世界のものでない」("not of this world")と報告され、そして近くのフォート・ワース(Fort Worth)の陸軍士官によれば「火星人」("Martian"))は、[4]墜落後に生き延びず、そして近くのオーロラ墓地(Aurora Cemetery)に「キリスト教の儀式で」("with Christian rites")埋葬された。 (墓地は、テキサス歴史委員会(Texas Historical Commission)の、事件に言及している標識をふくんでいる。[5]) 伝えられるところによれば、墜落地点の残骸は、損傷された風車の下に在る、近くの井戸に投げ入れられ、いっぽう、いくつかは墓の宇宙人で終わった。 謎に、ミスタ・ブローリー・オーツ(Mr. Brawley Oates)の話が加えられてたが、彼は1935年ころにジャッジ・プロクター(Judge Proctor)の財産を購入した。 オーツは井戸を水源として利用する目的で井戸から残骸を掃除したが、しかしのちにきわめて重篤な関節炎の症状を示し、彼は、井戸に投げ入れられた残骸から汚染された水の結果であると主張した。 その結果、オーツは、コンクリートのスラブで井戸に封をし、そしてスラブの上に離れ屋を置いた。(スラブの書き付けによれば、これは1957年になされた。)

捏造説[編集]

オーロラUFO墜落事件の位置(テキサス州内)
オーロラUFO墜落事件
テキサス州、ダラス近くのオーロラの位置

捏造説は、バーバラ・ブラマー(Barbara Brammer)によって行なわれた歴史的調査にだいいちに基づいている。 彼女の調査(事件に関する『UFO Files』エピソードの一部として特集された)は、墜落とされることに先立つ複数月の間で、オーロラは一連の悲劇的な事件に襲われていたことを明らかにした:

  • まず、地元のワタ畑(町の大きな収入源)は、ワタミハナゾウムシの群がりによって破壊された。
  • 第2に、町の西部の火災は、いくつかの建物と生命を奪った。
  • 火災の後まもなく、斑点熱(spotted fever)の流行が町を襲い、残っている市民をほとんど一掃し、町を隔離下に置いた。
  • 最後に、計画された鉄道はオーロラから27マイル以内にきたが、しかし町のなかに入らなかった。

本質的に、オーロラ(当時3000近くの住民を主張した)は、死に絶える重大な危険にさらされていた。 ブラマーの調査はまた、ヘードンが町ではちょっとしたジョーク好きと知られていたことを示し、彼女の結論は、ヘードンの記事はオーロラを生かしておこうとする絶体絶命の努力であったということである。

この説は、ヘードンは記事の後報を、事件の重要性を与えられている、すぐれて異例な、宇宙人の埋葬について報告さえ、けっしてしなかったという事実によってさらに支持された。

さらに、1979年に、雑誌『Time』は、86歳のオーロラの住民エッタ・ペギーズ(Etta Pegues)にインタヴューしたが、彼女は、ヘードンは、話全体をでっち上げたと主張し、次のように述べた、ヘードンは「それを、ジョークとして、オーロラに関心を引き付けるために書いたのです。 鉄道はわたしたちを迂回し、町は死にかけていました。」("wrote it as a joke and to bring interest to Aurora.The railroad bypassed us, and the town was dying.")[3] ペギーズはさらに、ジャッジ・プロクターは財産の風車を決して操作しなかったと主張し、、  『UFO Hunters』の一部としてのちに反駁された声明であるが、これは木造水ポンプ塔の基礎が井戸の回りに構築されているのを見つけた。

有名なジム・マーズ(Jim Marrs)は、UFOの墜落を見たとされる或る目撃証人にインタヴューした。 また、ジャッジの風車は技術的には、風車ではなくて3階建ての木造水ポンプ塔であった。

調査[編集]

事件は、無数の機会に調査されてきた。 ひとつは、地元のテレビ局KDFW FOX 4によって放送され、ふたつはケーブル・テレビで放映された。

KDFW 報告[編集]

1998年に、ダラスを基盤とするテレビ局KDFWは、オーロラ事件に関する長い報告を放映した。 リポーター リチャード・レー(Richard Ray)は、前『Fort Worth Star Telegram』リポーター ジム・マーズとその他地元の人々にインタヴューしたが、彼らはオーロラで何かが墜落したと言った。 しかしながら、レーの報告は、地球外生命あるいは技術の決定的な証拠を見つけることはできなかった。 レーは、テキサス州は、話の輪郭を描き、それに「伝説」("legend")とラベルを付ける、歴史的標識板を建てたと報告した。

UFO Files』 調査[編集]

2005年12月2日に、『UFO Files』は、「テキサスのロズウェル」("Texas' Roswell")というタイトルで、この事件に関係するエピソードを放映した。英語版[要出典] エピソードは、1973年のビル・ケース(Bill Case)によって導かれた調査を特集し、彼は『Dallas Times Herald』の飛行機記者で[6]、ミューチュアル・UFO・ネットワーク(MUFON)のテキサス・ステート・ディレクターである。

MUFONは、墜落の、新たな目撃証人2人を発見した。 メアリー・エヴァンス(Mary Evans)は、当時15歳であったが、両親が墜落地点に行ったこと(彼らは彼女が行くことを禁じた)と宇宙人の遺体の発見を話した。 チャーリー・スティーヴンス(Charlie Stephens)は、10歳であったが、自分が宇宙船が煙をたなびかせてオーロラの方へ北へ進むのを見たことを話した。 彼は何が起きたのか見たがったが、しかし父親は彼に雑用を終わらせさせた。 のちに、彼は、父親が翌日、町に行き、墜落の残骸を見たことを話した。

MUFONはそれからオーロラ墓地を調査し、そして墓の標識をあらわにして、その金属発見器からの読み取りのみならず、なんらかの空飛ぶ円盤を示した。 MUFONは地点を発掘する許可を求めたが、しかし墓地協会は実行を断った。 MUFONの調査ののち、標識は不可思議にも墓地から消え、3インチのパイプが地面のなかに置かれた。 MUFONの金属発見器はもはや墓から金属の読み出しを拾い上げなかった、かくして金属は墓から除去されていることが推定された。

MUFONの報告は結局、証言は説得力は無いことを述べたが、しかし捏造の可能性を除外しなかった。 エピソードは、町の悲劇的な歴史を議論する市長ブラマーとのインタヴューを特集した。

UFO Hunters』の調査[編集]

2008年11月19日、『UFO Hunters』は、「ファースト・コンタクト」("First Contact")と題して、オーロラ事件に関する別のテレヴィジョン・ドキュメンタリーを放映した。

ドキュメンタリーは、『UFO Files』からの著しい変化を特集した - ティム・オーツ(Tim Oates)は、ブローリー・オーツの孫息子で、UFOの残骸が埋葬されたとされる封された井戸の財産の現所有者であるが、あるかもしれない残骸をもとめて調査する目的で、井戸の封を切ることを許した。 水は井戸から取られ、大量のアルミニウムの存在をのぞけば試験は正常であった。 井戸には、重要な内容はなかった。 大きい金属片は財産の過去の所有者によって井戸から除去されていたことが、エピソードで述べられた。 さらに、風車の基礎の遺物は、井戸の地点の近くで見つけられ、それは、ジャッジ・プロクターは財産の風車を決して動かしていなかったという(1979年の『Time』雑誌記事の)ミズ・ペギーズの声明を論駁した。

そのうえに、オーロラ墓地はふたたび調査された。 墓地協会はなおも発掘を許可しなかったけれども、地中レーダー探査と以前の訪問の写真を利用して、標識の無い墓は他の1890年代の墓の近くの区域で見つかった。[7][8] しかしながら、墓の状態は、ひどく悪化させられていて、そしてレーダーは、どのようなタイプの遺物が存在しているのかを証明することはできなかった。

注釈[編集]

  1. ^ Aurora Texas Crash Part 1”. MUFON. 2007年4月12日閲覧。
  2. ^ ヘードンの名前はまた、他の記述では「S.E. ヘーデン」("S.E. Hayden")と言及される。
  3. ^ a b Close Encounters of a Kind”. Time (1979年3月12日). 2007年4月12日閲覧。
  4. ^ Aliens: a conspiracy out of this world”. BBC News (1998年10月2日). 2007年4月12日閲覧。
  5. ^ Fink, Mike (2004年2月17日). “Alien country: Earthlings welcome”. CNN. 2007年4月12日閲覧。
  6. ^ The MUFON 事件ファイルはケースを『Herald』のライターとしてリストしている。しかしながらエピソードは彼を『Morning News』のライターとして間違って言及している。
  7. ^ (UFO.WHIPNET.ORG) "The Aurora Encounter. UFO Crashes in early morning hours April, 1897."”. 2008年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年1月28日閲覧。
  8. ^ (The Houston Chronicle) "Can a space alien rest in peace? "”. 2008年1月28日閲覧。

外部リンク[編集]