オロチ (民族)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
オロチ
орочисэл
総人口
約900人(1989年)
居住地域
ロシア連邦ハバロフスク地方
言語
オロチ語
宗教
シャーマニズム
関連する民族
満州族
ナナイ
ウィルタ
ウリチ
エヴェンキ
エヴェン
ウデヘ

オロチО́рочи、自称:ロシア語: орочисэл、古称:ロシア語: нани(アムールのナナイからの借用で、наは大地、ниが人で、「土地の住民」の意)は、ロシア少数民族の一つ。人口は約900人でハバロフスク地方アムール川支流トゥムニナ川(Тумнина)下流およびその支流およびフンガリ川、アムール川、キジ湖他に居住している。

概要[編集]

オロチ語ツングース諸語に属しており、トゥムニナ方言(тумнинский)、ハジ方言(хадинский)、フンガリ方言(хунгарийский)に分かれる。ツングース諸語の中ではウデヘ語と最も近いとされるが、ナナイ語及びウリチ語からも影響を受けていると考えられる。1989年時点のオロチ語を母語とする割合は17.8%で残り82.2%がロシア語である。書記法は2000年代初頭に確立された。

オロチの名称は、ラ・ペルーズの探検後、1787年以降には国外においても認容されていた。しかし、サマルガ・ビキン・ホル・オニュイ・エンガリ等の諸川沿岸では様々な呼称があり、一定の呼称が定まっていなかった。そこでパリチェフツキイとブライレフスキイは、身体特徴が川沿岸の南部と北部で著しく違うことに着目し、南部のオロチ人を「ウデヘ人」と呼称した。 また、1897年に公式な報告書を発表したシテルンベルグは、同じくオロチ人はアムール下流から到来した人々であるとして、オロチ人の牧歌的な生活を示し、その特徴から南部に由来する人々ではないことを指摘した[1]。同年の国勢調査で確認されたオロチ人は約2407名であり、また1909年のウデヘ人は959人確認されている。

ウリチナナイは長らく、ロシア人は19世紀よりアムールの原住民をオロチを呼んできた。この民族名は1930年代に公式のパスポートへ採用された。その後「土地の住民」を意味するнаниが民族自称として普及したが、ナナイとウリチにとってはこの民族名は長年アムールと共に暮らしてきた原住民を指していた。

オロチ発祥の地はシホテ=アリニ山脈の山中、北はデ=カストリ湾、南はボチヤ川までの領域である。地元のニヴヒアイヌなど、さらにエヴェンキといった民族的背景の影響で、アムール(амурская)、フンガリ(хунгарийская)、トゥムニナ(тумнинская)、沿海(ハジ)(приморская (хадинская))、コッピ(коппинская)の5部族に分かれる。

1926年の統計では、オロチ人とウデヘ人あわせて約2000人であった。しかし、満州建国後の1940年に至ると、南部オロチ人(ウデヘ人)らの中に急速に中華文化が強まり、中国人は様々な種族に用いる中国語の「ターズ」でウデヘ人を呼び慣わすようになった。

清朝が記録した「キヤカラ」という集団は現代のウデヘ人・オロチ人の祖先と推定されている[2]。キヤカラはキヤカラとバンジルガンの二つの氏族で構成されており、康熙52年(1713年)から清朝に属して貂皮の貢納を行った。

生業[編集]

主な伝統的産業は狩りジャコウジカヘラジカクマ毛皮)、沿岸部では漁業も行う。武器は弓矢、槍、仕掛け罠、くくり罠、自動弓が使われる。火器は19世紀に導入された。漁労は一年中行われる。木彫りまたは大きな板張りのボートで川へ出て、アザラシトドを求めて間宮海峡やその湾へ出る。海獣は銛、銃、流氷の欠片、海岸においては槌によって仕留められる。サケカラフトマスアムールイトウといった魚を漁網定置網、銛で獲る。

2002年全ロシア国勢調査によるロシアに居住するオロチの人口は686人で、ごく一部がロシア人と混血が進んで、生活様式がロシア化している。

脚注[編集]

  1. ^ シテルンベルグ『インペラートルスカヤ湾のオロチ人について』、1897年
  2. ^ 松浦茂『清朝のアムール政策と少数民族』京都大学学術出版会、2006年

参考文献[編集]

  • Березницкий С.В. Мифология и верования орочей. СПб, 1999. 188 С.
  • Маргаритов В.П. Об орочах Императорской гавани. СПб., 1988. 56 С.

外部リンク[編集]