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オットー・マルセウス・ファン・スリーク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オットー・マルセウス・ファン・スリーク
Otto Marseus van Schrieck
ファン・スリーク(下)
アルノルト・ホウブラーケンの『大劇場』から
生誕 1619年頃
ナイメーヘン
死没 1678年6月
アムステルダム
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オットー・マルセウス・ファン・スリークOtto Marseus van Schrieck, 1619年頃? – 1678年6月22日埋葬)は、オランダ画家。ファン・スリークの作品の多くはに自生している植物を描いたもので、地面の部分にトカゲ等の爬虫類が、葉や枝には昆虫が描かれている。

生涯

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ナイメーヘンで生まれた。兄に風景画家のエーフェルト・マルセウス・ファン・スリーク(Evert Marseus van Schrieck: c.1614-1681)がいる。1648年から1657年の間をマティアス・ウィトゥースウィレム・ファン・アールストと共にローマフィレンツェで過ごし、その後アムステルダムに落ち着いた。18世紀初めに画家の伝記を出版したアルノルト・ホウブラーケンによれば、ファン・スリークはイタリアの旅の途中でパリを訪れたとし、1659年にはイギリスも旅したとしている。

ファン・スリークは特に森に生えている植物と動物を描いた作品で知られていて、ホウブラーケンによると、ローマ滞在時にはsnuffelaerもしくは"sniffer"というあだ名で呼ばれたが、それは彼がいつも変った爬虫類や植物を探しまわって(sniffing)いたからだという。また、ファン・スリークの妻は、彼がヘビやトカゲを家の裏の納屋で飼っていて、また郊外にもそのための土地を持っていたと語っている。[1]

ギャラリー

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参照

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  1. ^ Otto Marcelis biography in De groote schouburgh der Nederlantsche konstschilders en schilderessen (1718) by Arnold Houbraken, courtesy of the w:Digital library for Dutch literature