オズボーン・レイノルズ

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オズボーン・レイノルズ
1903年のオズボーン・レイノルズ
人物情報
生誕 1842年8月23日
ベルファスト, アイルランド
死没 1912年2月21日(69歳)
国籍 イギリス
出身校 en:マンチェスターのヴィクトリア大学
学問
研究分野 物理学
主な業績 流体力学, レイノルズ数
主な受賞歴 1888年ロイヤル・メダル
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オズボーン・レイノルズ(Osborne Reynolds、1842年8月23日 - 1912年2月21日)は、流体力学を理解する上で重要な貢献をした。さらには、固体と流体間での熱伝導に関する研究ではボイラーコンデンサー設計において改善をもたらしている。

生涯[編集]

Osborne Reynolds

オズボーン・レイノルズはアイルランドベルファストで生まれ、イングランド東部のエセックスにあるデダム(Dedham)という村に出生直後に両親と共に移り住んだ。彼の父は学校長と牧師を兼務し、数学に造詣の深い有能な数学者でもあった。彼の父は、農機具の改良についての沢山の特許を取得し、息子である彼は少年ながら父のチーフティーチャーとなりながらも父を信頼していた。オズボーン・レイノルズはケンブリッジにあるクィーンズカレッジ(Queens' College)に入学し、数学において第7レイングラー(7番目の成績)で1867年に卒業している[1]。1868年に彼はマンチェスターにあるオーウェン大学(現在のマンチェスター大学)の工学教授に指名され、その年にイギリス大学史上初の工学教授のひとりとなり、工学教授の称号を得ることとなった。この教授職はマンチェスター地区の製造工業のグループにより新たに用意され、財政的に賄われた。そのグループが主要な役割を果たすことにより、25歳のレイノルズがその教授職を得ることとなった。

レイノルズは若いころから力学の研究に関して適性と好みを示していた。十代後半の大学入学前の年には、彼はストーニー・ストラットフォード(Stony Stratford)にある造船所として知られているエドワード・ヘイズの工房で見習いとして働いていた。ここで、彼は製造業での実用的な経験をすることで、流体力学の理解することの実用的な価値について早くから認識を得ていた。彼がケンブリッジのクィーンズカレッジを卒業した年には、ロンドンのクロイドン(Croydon)下水道の土木技師見習いとして再度土木会社に職を得ている。その後彼はケンブリッジで数学を研究することを選択し、その理由について1868年の教授職への応募の中で次のように記述している。『私の中の最古の記憶では私は科学を基礎とする力学物理学の法則への抑えきれない衝動を持っており、さまざまな機械的な現象に対する私の興味は、数学の理解が必要不可欠との認識へと至った。[2]

レイノルズは彼の職歴の残りをオーウェン大学にて在籍し、1880年にはヴィクトリア大学Victoria University)の構成大学になっている。彼は1877年に王立協会会員に選ばれ、1888年にロイヤル・メダルを授与された。彼は1905年に退職している。

流体力学[編集]

配管での流体力学についてのレイノルズの実験
レイノルズの実験での流れの性質についての観察

レイノルズは配管内の流体の流れが層流から乱流へと遷移する条件について研究したことで有名である。これらの実験から動的相似性についての無次元のレイノルズ数(慣性と粘性の比)への発見へとつながった。レイノルズはさらに乱流における、速度などの物理量を平均量と変動量の和として表現する、RANS(レイノルズ平均ナビエ-ストークス方程式英語版)として知られている手法を提案している。

彼の流体力学の論文発表は1870年代初期に始まっている。1890年代中ごろに提案された彼の最後の理論モデルは今日でもなお利用されている標準的な数学フレームワーク(mathematical framework)である。彼の革新的なレポートのタイトル例として次のようなものがある。

  • 流体から動力を得る、流体を持ち上げる、流体を押し出すための装置についての改良 (Improvements in Apparatus for Obtaining Motive Power from Fluids and also for Raising or Forcing Fluids.) (1875)
  • 並列水路内の水の動きが直接的か、しなやかなものか、抵抗の法則があるのかを判断するための環境下での実験的調査 (An experimental investigation of the circumstances which determine whether the motion of water in parallel channels shall be direct or sinuous and of the law of resistance in parallel channels.) (1883)
  • 非圧縮粘性流体の動的理論及び限界値の決定について (On the dynamical theory of incompressible viscous fluids and the determination of the criterion.) (1895)

流体力学へのレイノルズの寄稿は船舶設計(“造船”)に関してはなおも続いた。船の小さなスケールモデルを作成し、実サイズの船への有用な予測データを抽出する機能は、重力波のエネルギーと伝播についてのウィリアム・フルードの理論とともに、レイノルズの乱流原理を摩擦抵抗計算へ応用している実験者に直接的に依存する。レイノルズ自身は船舶設計に関する多くの論文を保有しており、造船協会論文集(Transactions of the Institution of Naval Architects)に発表されている。

その他の業績[編集]

レイノルズは約70もの科学・工学研究紙に寄稿している。彼の研究の総仕上げとして、彼の研究は3巻からなる論文集という形で再発表されることとなった。カタログと概要については、[3]及び[4] を参照。論文に記載されている研究範囲は、熱力学を含む流体力学、気体の分子運動論蒸気の濃縮、スクリュープロペラ型船舶推進、タービンタイプ船舶推進油圧ブレーキ、流体潤滑ジュール熱の仕事当量の測定を改善する実験装置が含まれていた。

レイノルズは1880年代に研究した課題の一つはダイラタンシー材料を含む粒状材料の特性だった。 1903年に宇宙のサブ力学(The Sub-Mechanics of the Universe)という250ページもの本が紹介され、既知のとおりその本の中で彼はすべての物理的形跡を説明できるように粒状体の力学を一般化しようと試みた。彼のアイデアは理解したり、評価することが極めて困難であり、ほとんどの場合には同時期に他の物理学の発展に取って代わられた。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Venn, J.; Venn, J. A., eds (1922–1958). “Reynolds, Osborne”. Alumni Cantabrigienses (online ed.). Cambridge University Press. 
  2. ^ Osborne Reynolds--Scientist, Engineer and Pioneer at johnbyrne.fireflyinternet.co.uk
  3. ^ Osborne Reynolds- Engineer at johnbyrne.fireflyinternet.co.uk
  4. ^ Osborne Reynolds- Scientist at johnbyrne.fireflyinternet.co.uk

外部リンク[編集]

英語の外部リンク[編集]

  • Osborne Reynolds, Collected Papers on Mechanical and Physical Subjects, in three volumes, published circa 1903, now fully and freely available in digital format:
Volume 1
Volume 2
Volume 3