Osho

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Osho
Osho
生誕チャンドラ・モハン・ジャイン
1931年12月11日
インド・マディア・プラデシュ州
死没1990年1月19日
インド・プネー
国籍インド
職業神秘家・瞑想指導者
活動期間 1972年~1990年
公式サイトhttps://www.osho.com/ja

Osho(本名:チャンドラ・モハン・ジャイン、1931年12月11日 - 1990年1月19日)は、現代インドに生まれた20世紀の瞑想指導者、精神指導者、神秘家。21歳の大学生の時、人間意識の究極の段階に達して光明を得たという[1]。Osho自身は、宗教的ではあるが宗教の創始者ではない[2]、という。宗教的とは信仰を土台としない内面的探究や精神世界の求道であり、個人の次元でしかないから宗教組織からは全くの圏外におかれるという[2]。 真理の探究こそ第一の優先事項である、人間は全実存をかけて、まず第一に自らの生の源泉を探究することにその関心を寄せねばならない[3]という。 死の1年程前に自らの尊称を数回変えており、最終的にはOshoに定めたという。1971年3月から1988年12月までは、Bhagwan Shree Rajneesh(バグワン・シュリ・ラジニーシ)として知られていた。

Oshoは大学で哲学を学び、1960年にはジャバルプール大学教授となった[4]。1966年になると、大学を辞職し、インド各地で講話を始めた[4]。ジャイナ教、ヒンドゥー教、(ユダヤ教の)ハシディズム、タントラ、タオイズム(道教)、スーフィズム、キリスト教、仏教などの主要な伝統宗教、多様な東洋や西洋の神秘家、ウパニシャッドやシーク教等の聖典について語り[5]、すべての組織宗教の形骸化を痛烈に攻撃し、宗教的戒律は人間を鋳型にはめてしまうものだと非難した[4]。西洋の先進的なセラピーと東洋の修行法を並列的に扱って統合し、数多くのセラピーや瞑想法を創始し、精神世界のカリスマ的存在として多くの西洋人・先進資本主義国の人間を引き付けた[6][7]。仏陀からインドの諸宗教家たち、老子や荘子、達磨から臨済らの禅者、いわゆる宗教家とされる人々のテキストを題材に上げて多くの人々を魅了してきたが、晩年は禅に関する講話を集中的に行なった。[8]

思想と活動[編集]

ロールス・ロイスを運転するOsho

Oshoは21歳の時に悟りに至ったという[9]。彼は第二次世界大戦後、独立した20世紀インドにおいて、最も論争の的になった人物であるという[10]スピリチュアリティの本質を統合する哲学を雄弁に語り、世界の諸宗教の神秘主義的伝統を紹介し、広く称賛されたという[11]。世界中からやってきた弟子や求道者たちに対して語られた彼の講話は650冊以上も出版され、翻訳は32カ国語以上にものぼるという。

Oshoによれば、人間の究極的な目的は光明(enlightenment)を得ることであるという[12]。それが人々の真の個性を全面的に開花させ、自己が宇宙全体から分離していない意識状態をもたらすのだという[12]。光明を得るための最大の障害となるのが人間の自我(ego)であり、これが人々を「本来の自分」から分離させてしまう虚偽の実存であるとOshoは捉える[12]。自我は、社会的条件付けによって増進していくという[12]。Oshoは、親の教育や学校教育、また道徳的、宗教的な教えなどすべての社会化を痛烈に批判する[12]。なぜなら、いわゆる教育が特定の信念体系や社会的役割を教え込み、人間を鋳型にはめこんでしまうと考えるからであるという[12]

Oshoはなかでも、組織宗教やその指導者を痛烈に攻撃したという[12]。というのも、第1に、従来の組織宗教の多くが彼岸での目的達成を掲げるため、人々が世俗的生活をトータルに亭受し、それをスピリチュアルな成長のための機会とすることを妨げてしまうからである[12]。第2に、伝統的な宗教的指導者が、本来なら自己変容の機会となるべき性的エネルギーを否定し、性に関わるタブーを生み出した[12]。そして第3には、組織宗教という権威主義的な制度によって、内的体験のうちで見いだされるはずの宗教的エッセンスを見失わせてしまっていることである[12]。つまり、Oshoは組織宗教を社会的条件づけの最たるものの1つと捉える[12]

自我を落とすために必要となるのは、いかなる価値判断もせずに自己の信念や思想、感情のパターンを見守り続けていくことであるといい[12]、過去や未来に煩わされることなく「いま、ここ」で完全に覚醒することを強調した[12]

悟りと瞑想・セラピー[編集]

瞑想とは何か? という問いにOshoは、『瞑想とは無心の状態だ それは、中身のいっさいない純粋な意識の状態だ あなたたちの意識は、たいがい、あまりにもがらくたでいっぱいだ それはちょうど鏡がほこりでおおわれているようなものだ マインドはとだえることのない交通だ 思考が動き、欲望が動き、記憶が動き、野望が動いている それはとぎれなき交通だ! 明けても、暮れても、眠りについているときまでもマインドは動いている、それは夢みている 相も変わらず考え、相も変わらず心配事や心労のなかにいる あしたのために準備し、秘密裡に準備し続けている これは瞑想なき状態だ 瞑想は、これとまるで反対のものだ 従来がとだえ、考えが止み 思考が動かず、欲望がうごめかず、あなたがまったく沈黙しているとき その沈黙こそ瞑想だ その沈黙のなかでこそ、真実は知られる[13]』と答える。

瞑想に入りやすくする為に、セラピーも積極的に取り入れた。多くのセラピストたちが、その新しい可能性を求めてOshoのもとに集まり、セラピーを行うようになった[1]。セラピーの目的は主に2つある。第1は怒りや恐怖、嫉妬など抑圧された感情を見つめ、感情のブロックを取り除いてエネルギーが流れるようにすることである[1]。第2は「ありのままの自分」を受け入いれ、気づきを高めていくことである[1]

意識変容を促進する手段として、Oshoは様々な瞑想テクニックを開発した[1]。東洋の伝統では、静かに座って思考を観照することが瞑想であったが、Oshoは思考や感情をより観察しやすいように体の動きを瞑想の中に取り入れた[1]。動の瞑想である。代表的な動の瞑想に、OSHO Dynamic Meditation®(ダイナミック・メディテーション)、OSHO Kundalini Meditation®(クンダリーニ・メディテーション) 、OSHO Nadabrahma Meditation®(ナーダブラーマ・メディテーション)、OSHO Nataraj Meditation®(ナタラジ・メディテーション)、OSHO Devavani Meditation™(デババニ・メディテーション)[14]、などがある。

”瞑想 meditation”という言葉は、“薬 medicine”、“医学的な medical” などと同じ語源から来ていて、医学というのが医療的なものであるのと同じように瞑想もやはり医療的なものであり、それは瞑想者を<全体>にし、統合し、健康にしてくれる[15]。とOshoは言う。

精神医療現場で導入されている瞑想法[編集]

米国ダラスに在住する精神科医Vyas, A博士は、Oshoが編み出したダイナミック瞑想の臨床効果を調査するために、パイロットスタディを行い論文にまとめた。本研究は治験者が実際に瞑想を行い、ペアワイズ比較を用いて行われた。結論として、攻撃的行動、抑うつ状態、形質的危険性、感情的な疲労、役割の過負荷、心理的な緊張の大幅な減少が見られたと実証した。そして、心理療法として使用することができると示している。[16]

OSHO公式サイトの記事からの抜粋「ドイツのファフクリニーク・ハイリゲンフェルトという、精神療養所を運営しているヨアヒム・ガルスカ博士は、『ダイナミックは、私が知っているうちでももっともパワフルなテクニックのひとつです』と彼は言う。 精神医学者であるライナ・ファルク博士は、OSHO Dynamic Meditation®を、毎月21日間、患者たちに提供している」[17]

2015年3月1日から2015年3月21日までの21日間、OSHO Dynamic Meditation®の実験研究が行なわれた。インド、ラックナウで行われたこの研究は、20~50歳の健康なボランティア20名(男性14名、女性6名)が参加し(4名は健康上や一身上の理由で脱落)血漿コルチゾール値(ストレスに関与し、過度なストレスを受けると分泌量が増加し、抗ストレスホルモンとして恒常性の維持に不可欠な物質)を測定し、このアクティブ瞑想が抗ストレス効果を生み出すと結論づけた。この結果は、National Center for Biotechnology Information, U.S. National Library of Medicineのサイトにアーカイブされている。[18]

タントラとセクシャリティ[編集]

Oshoはインドの因習的伝統や組織宗教に対する批判を行い、セックスが超意識に至る手段になりえると説いて議論を巻き起こし、身体を重視するホリスティックな教え、タントラ的な「悟り」とそこに至る方法を教えた[6][19]。 セックスは石炭であり、一方ブラフマチャリア〈性超越〉はダイヤモンドだと言いたい、性超越はセックスの変容だ[20]、と言い、もし人間がセクシャリティを正しく理解するなら人間はセックスを超える事ができる、人間はセックスを超えるべきだ[20]、と説いた。 セックスにいつまでもとどまっているべきではないが、セックスを踏み台として用いることができる。それがタントラの意図するところだ、と彼は言う[20]。瞑想に入るための準備としての多様なセラピーや、悟りを目指す多様な瞑想を開発して指導した。

「人間には多くのエネルギーがあるのではない、たった一つのエネルギーしかない[21]。最も低いところではそれは「性エネルギー」と呼ばれる。それを瞑想を通じて、瞑想の錬金術を通じてさらに純粋なものにし、さらに変容させ続けていくと、その同じエネルギーが上に向かって動き始める[21]。セックスは粗野な、なまのものであり、鉱床のなかで見つかるダイヤモンドのようなものだ[21]。それはカットされ、磨かなければならない[21]。そうして初めてそれはダイヤモンドと認められるようになる[21]。性はなまのエネルギーだ。それは変容されねばならない、そして変容を通じて超越が起こる[21]。性は自然な現象だが、宗教はそれを変容するどころか抑圧してきた[21]。それを抑圧すれば、自然な結果として倒錯的な人間が生まれてくる[21]。彼はセックスにとりつかれるようになる[21]。性は最も重要な現象のひとつであり、実際には、人間の生でいちばん重要な現象だ[21]。セックスはあなたの最も低い中枢であり、サマーディ―は至高の、第七の中枢だ[22]。それは七段のはしごだ[22]。性エネルギーは一段また一段と第七段階まで昇ってゆかなければならない[22]。そこでそれは一千の花弁を持つハスのように花開く[22]。性が変容されて初めて人はブッダになる[22]」と、Oshoは言う。

師弟関係としてのサニヤス[編集]

Oshoは、師弟関係を肯定し、それが光明を得る手助けになると主張する[23]。Oshoは「光明を得た」存在が人々の意識変容を促すというのだ[23]。彼の弟子たちはサニヤシン(sannyasin)と呼ばれている[23]。「サニヤシン」という語はもともと、宗教的慣例に従って家庭と物質世界を棄て、僧侶になった者を指したが、Oshoは現世肯定的なサニヤシンのあり方を強調した[23]。サニヤシンになるということは、何か新たな信念体系を獲得することでもなければ、個人的な所有物を放棄することでも、また特定の人物に追従することでもないという[23]。サニヤス(探求)とは、運動でもなければ、組織でもない。その逆に、あらゆる組織、あらゆる集団、あらゆる教会からの、独立の宣言だ[24]、と言う。

Oshoは「明け渡し」について語っている。「私に関する限り、マスターのどの古いカテゴリーにも属さない。私は新しい始まりだ。古いマスターたちは明け渡すことを要求したという意味で――。私はあなたがたに何も要求しない。私にとっては、明け渡すことは微妙な精神的隷属だからだ。私は、私の仲間たちが自由に生きる個人であってほしい。愛はどんな明け渡しよりもはるかに大きな現象だ。明け渡しはマインドのもの、明け渡しはひとつの努力だ。愛はハートのもので、努力ではない。私はあなたが個人であることを消すためにここにいるのではない。あなたのエゴを消すためにここにいる。それにはどんな明け渡しも必要ない。必要なのは、あなたの側での深い瞑想的理解だ」[25]。サニヤシンたちはOshoの思想に服従する必要はない[23]。自らが経験したことは自己の現実となるのであり、そこには信じたり従ったりするべきものではないからだ[23]

女性の特質[編集]

「直観力、受容力、献身などの美徳ゆえに、女性はより容易にグルに従い、瞑想の微妙なエネルギーに対して自らを開くことができる」とし、インドでは無知で不浄とされ、社会的にも霊的にも劣位に扱われる傾向のある女性を霊的に評価し、管理者として実務面もすぐれていると考えた[26]。Oshoは講話で、「母親になるということは、この上もなく価値あるものを作り出している。あなたは生命を彫刻し、生命に形を与えている。子育ては深刻にならず陽気に受け止めること。あなたが深刻になってしまったら子どもはあなたの深刻さを感じ、押しつぶされてダメになってしまう、子どもに重荷を負わせてはならない。子どもがあなたを母親として選んでくれたことに感謝し、子どもを通して自分の母性を開花させなさい。母親になることは祝福だ」と語っている[27]

来歴[編集]

初期[編集]

Oshoは、1931年12月11日に中央インドのマディア・プラデシュ州でジャイナ教の商人の長男として生まれた[1]。ジャバプール大学では哲学を専攻した[19]。大学生だった1953年3月21日に、人間の意識の最終的な段階に達し、光明を得たという[19]。その後、ジャバルプール大学の哲学教授となり、1960年代にはインド各地で講演し、「すべての行為や感情を抑圧することなく、ありのままの自分を受け入れ、瞬間、瞬間をトータルに覚醒することが必要である」と説き、宗教批判とともに、インドの因習的伝統や組織宗教に対する批判を行い、セックスが超意識に至る手段になりえると主張した[19]。66年には大学を辞職し,すべての時間をインド各地での講演に注ぐようになる[1]

ムンバイ時代の誕生祭を記録した動画

1970年代より講演者からマスターへと移行し、弟子を受け入れるようになった[19]。正式にイニシエーションを授けるようになる[1]。イニシエーションを受けた人たちは、新しいサンスクリット語の名前が授けられ、また弟子の条件として伝統的なオレンジ色のローブ(のちに赤系統の服となる)とマラを絶えず身につけるようになった[1]。また呼吸への働きかけや身体の自由な動き、発声などを伴い、心理的な解放を志向した動的な技法(アクティブ・メディテーション)を編み出し、71年からの4年間は定期的に公共施設で瞑想キャンプを開いている[19]

インド 第1期プネー[編集]

ムンバイでの一時期を経て、1972年にバグワン・シュリ・ラジニーシと改名、その直後にプネーにアシュラムを設立し、拠点に定めた[6]。1971年、ムンバイの南東130キロに位置する高原都市プネーの郊外に2万平方メートルの敷地をもつアシュラムが開かれた[1]。この頃から、サニヤシンのなかで欧米人が圧倒的な割合を占めるようになっていく[1]。国外からの25万人ものメンバー(うち3000人ほどが定住)を集め、Oshoの周辺にはコミューン的な状況が生まれた[6]。当時は、インドを旅していた欧米のヒッピーや精神世界の探究者たちが旅の途上でOshoと出会い、惹かれていった[1]。それに続いて、ヒューマン・ポテンシャル運動にかかわっていた相当数のセラピストたちが、スピリチュアリティの新たな発展の可能性を求めてOshoのもとに集まりだした[1]。彼のもとを訪れるセラピストの数が増えるにつれて、今度は新しい心理学の流れに興味を持つ人がたちがアシュラムを訪れるようになった[1]

プネーにて、1977年

1975年に日本でも講話録ニューズレターが発行され[28]、日本でも知られるようになり、1977年に最初の邦訳講話録である『存在の詩(うた)』が精神世界系の出版社めるくまーるより出版された。本書は1997年までの20年間だけでも、4万9千部売れた[29]という。なお翻訳家・著作家の吉福伸逸は、Oshoの思想は当初アメリカなどより日本の方が先行して広まっていたと述べており[30]、それがニューエイジ/トランスパーソナルムーブメントにおけるOshoの引用の少なさを説明している、と考えている[31]吉福伸逸は、Oshoのグループは、トランスパーソナル心理学、ニューサイエンス、ヒューマン・ポテンシャル・ムーブメント、ホリステッィク・ヘルス・ムーブメントに関連した宗教のなかで、唯一、もっともニューエイジ的な感性に近いグループであった、あれだけの実験を提供してくれたグループはどこにもなく、初期のエサレンのような活気が、プネーのOshoアシュラムにはあった、と述べている[32]

Oshoのラディカルな思想や実験的なアシュラムは、多くの人々、とりわけ先進資本主義国からの若者を惹きつけたが、インド社会との摩擦は激化していった[1]

アメリカ オレゴン州ラジニーシプーラム[編集]

1981年の春、Oshoは長年患った喘息と糖尿病のため、講話を含む公共の場での発言を一切しなくなった[1]。アシュラムの実権は、Oshoの個人秘書であったインド人女性マ・アナンド・シーラに委ねられることになった[1]。シーラを中心とする運営スタッフは、中央オレゴンに6万4000エーカー(東京23区の面積に相当)の荒涼とした土地を購入し、81年8月にはOshoをそこへ招待した[1]。サニヤシンたちは、その中にラジニーシプーラム市を建設した[1]

ラジニーシプーラムの入り口
Oshoに奉げられた石碑

警察活動を含む自治体の様々な行政活動は、コーディネーターによって実質的に管理・運営されていた[33]。ラジニーシプーラム市の市長はコミューン事務長、助役・出納長はコミューンの出納係、市議会議員は5名すべてサニヤシンであった[33]

Oshoが運転するロールス・ロイス
ラジニーシプーラムに作られた空港。「エア・ラジニーシ」と書かれた自家用ジェット。
「ラジニーシ・ブッダフィールド・トランスポート」と書かれた黄色いバスの数々
ラジニーシプーラム(1982年)
ラジニーシプーラムでの祭りの様子(1983年)
ラジニーシプーラムに建設されたゲストハウス

ラジニーシプーラム最盛期、弟子たちと接触の機会を持つために、Oshoはロールス・ロイスに乗って、視察の名目でラジニーシプーラム内を一周するようになった。Oshoは、「96台のロールス・ロイスが必要な理由などまったくない。アメリカ全体に、あらゆる超大金持ちのあいだに嫉妬をかきたて、もし彼らに十分な知性があったなら、私の敵になるよりはむしろ、私のところに来て自分の嫉妬を落とす方法を見つけようとしただろう。嫉妬こそが彼らの問題だ」と語った[34]

約2000人のサニヤシンが、近隣の人々と日常的交流のない孤立した生活を送っていたが、彼らは1)永住者、2)長期滞在者、3)訪問者のカテゴリーに分類された[1]伊藤雅之は、Osho自身も閉鎖性・統制性が強まる流れを半ば容認する形で、運動が展開していったと述べている[35]

「ラジニーシ市」の看板(1985年)

1982年3月に一部の弟子が隣接するアンテロープ町に移り、シーラたちによる乗っ取りを恐れた町民たちは町を廃止してワスコ郡の直轄地にしようと住民投票を行ったが、すでに弟子たちの数が元々の住民の数を上回ってしまっており、乗っ取りを防ぐことはできなかった[36]。町名は「ラジニーシ市」に変わり、ラジニーシプーラム市の姉妹都市とされ、首長・教育委員長などの要職が次々に弟子たちに変わり、町全体で徹底した「ラジニーシ化」が進められた[36]。コミューンの活動は注目を集めて新聞やテレビで大きく取り上げられ、世論の反発は激しさを増した。ニュースが全米で放送され、オレゴン州政府の対応に注目が集まり、しだいに州政府が対応せざるを得ない状況になっていった[37]。アメリカの憲法では、「宗教団体が自治体の形態をとる」ことは認められず、このような自治体に交付税、贈与税の交付を含む財政上の助成や補助を行うことは、納税者にとって信徒でもないのに献金を強要されるに等しく、違憲である[38]。1984年3月、オレゴン州法務長官デイビット・B・フローンマイヤー(David B. Frohnmayer)は州を代表し、ラジニーシプーラム市及び同市の公務員及び住民等を被告とし、Oshoの宗教的基盤と市の運営の関係がアメリカ合衆国憲法修正第1条の国教樹立の禁止条例、政教分離原則に反しており、ラジニーシプーラム市の設立は無効であるとして訴えた[39][40][41][37]

1984年10月、3年半の沈黙を終えOsho は再び講話を行うようになった[42]。レーガンやキリスト教原理主義者の権力と威信にとって、Oshoの存在は脅威的だった[42]。なぜなら、Oshoは彼らの権威の基盤を執拗に攻撃したからだ[42]。Oshoは聖職者と政治家たちを「魂のマフィア」と呼び、彼らは一般の人々を搾取するために深い共謀関係にあると言った[42]

1985年9月になると、シーラと10数人のスタッフが突然コミューンを去り、FBIが介入した捜査の結果、彼女らが行ってきたコミューン内外での不法行為が明らかになる[1]。そのなかには、Oshoとその世話人の部屋の盗聴、資産5500万ドルの横領、Oshoの主治医デバラジへのヒ素による殺人未遂、近隣レストランでの有害物質サルモネラ菌の混入とそれによる住民約750名の食中毒(うち45名が入院)、公共施設の放火などが含まれていた[1]。シーラとその仲間は逃亡先の旧西ドイツで逮捕され、カリフォルニア州の刑務所に服役した[1]。この事件は近年のアメリカ史上最大の生物兵器による攻撃だと言われる[43]

州軍がコミューンの周囲で待機状態にあり、コミューンに侵攻しようとしてたことをOshoは勘づき、5000人のサニヤシンの流血の惨事を避けるためにシャーロットへ向かった[42]。インド脱出同様、同行する側近以外の弟子たちには何も知らされなかった[44]。燃料補給に立ち寄ったノース・カロライナ州の空港で、1985年10月28日Oshoは逮捕状なしに逮捕された[44]

逮捕後、最終的に司法取引が行われた[44]。司法取引の結果として、Oshoは告訴されていた34の罪状のうち移民管理局への偽証に関する2つの罪を認めることや、今後5年間アメリカに入国しないことを条件に釈放され、11月14日アメリカを去った[1]。Oshoの弁護士は、窮余の策として、次のように考えたのだった、Osho本人が望んでいるように、偽装結婚教唆の無罪を証明しようとすれば、法的な手続きが長引いて、彼の生命と健康は脅かされるだろう、それより一部の罪状を認めて、国外退去になったほうが、彼の安全のためにはよい、と[45]。チャールズ・ターナ―(ポートランドの連邦検事)、起訴の遂行に対する責任者は、逮捕状なしでOshoを逮捕した後、記者会見を開催した[46]。記者会見でターナーは、「Oshoの告発の目的は、Oshoを米国から追い払うためだった」と述べ、法的手続きは、政治的な目的にかなうように利用されてきたことを認めた[46]。目的は刑罰ではなく、コミュニティの破壊とOshoの追放だった[46]。ターナーたちはすっかり歴史を書き換えようとしていた[42]。彼らは法廷で宣言のもとに意図的に嘘をつき、報道陣に対し事実を歪曲しすり替え、実際には起こらなかったことを巧みに起こったこととして通用させた[42]。彼らの意図はOshoの名前を完全に失墜せしめること、彼の名望を抹消することだった[42]

後になって、Oshoと彼の主治医はオクラホマ郡拘留所で、アメリカ政府から殺鼠剤として用いられる重金属のタリウムを盛られた可能性を疑った[42]。このあたりの事情は2冊の著作の中で徹底的かつ詳細に検証されている[42]。ジュリエット・フォアマンの『バグワン・世界を揺るがした12日間』“Bhagwan:Twelve Days that Shook the World” と、オーストラリア人弁護士スー・アップルトン著『バグワン・シュリ・ラジニーシはレーガン政府のアメリカに毒を盛られたのか?』“Was Bhagwan Shree Rajneesh Poisoned by Ronald Reagan's America?”だ[42]。いずれの本も具体的な証拠や状況証拠を示して、Oshoがオクラホマシティで毒を盛られたと主張している[42]

1985年にアメリカから国外追放されたあと、Oshoは新しい拠点を求めたが、世界各国の政府から危険人物と見なされ、20数か国で入国あるいは長期滞在を拒まれ、世界を転々とした[7]。1986年3月19日ウルグアイが思いがけなく招待状を持って現れたが、ウルグアイ大統領サンギネッティは、もしOshoをウルグアイに滞在させるなら、アメリカからの60億ドルの借款は打ち切られ、将来いかなる借款も与えられないであろう、というワシントンDCからの電話を受け取り、Osho一行はウルグアイを去らなければならなかった[47]

インド 第2期プネー[編集]

86年7月にはムンバイに、そして87年1月にはプネーに戻る[1]。インド・プネーに運動の本拠地が復帰した[48]。次の3年間、彼はほぼ毎日の講話を行い、年間約1万人の訪問者がアシュラムを訪れた[1]。87年以降、Oshoの講話の題材はすべて禅語録から選ばれるようになる[1]。その影響もあるのであろうか、この時期日本人の訪問者が増加した[1]

1987年、Oshoはエイズを危険な病気とみなし、アシュラム来訪者の全てにエイズの陰性証明書が求められるようになった[47]

1988年7月、この14年で初めて、それぞれの夕方の講話の終わりに、自ら瞑想を指導し始める[49]。〝ミスティック・ローズ〟と呼ばれる、革命的に新しい瞑想テクニックも導入される[49]。笑い、涙、沈黙の観照の3つのステージからなる瞑想法[47]である。同年5月26日、〝ミスティック・ローズ〟に続き、ジベリッシュと沈黙のステージからなる新しい瞑想法〝ノー・マインド〟を導入する[47]

1989年2月から再び病気になり、弟子たちは彼をOshoラジニーシと呼ぶようになった[50]。さらに尊称をOshoに変えた。それまでラジニーシの名でブランド化されていた全てをOshoに変えるよう求め、ラジニーシ・インターナショナル・ファウンデーション改めオショー・インターナショナル・ファウンデーション(OSHO International Foundation)が、Oshoやセラピー等を商標登録し直し、管理を行った[51]

1990年1月2週目に入ると、Oshoの身体は著しく弱まる[49]。1月18日、彼はブッダ・ホールに来れなくなるほど肉体的に弱まる[49]。1月19日彼の脈拍が不規則になる[49]。医師が心臓蘇生術を準備するべきかどうかと尋ねると、Oshoは「いや、ただ私を逝かせてほしい。存在がその時期を決める」と答える[49]。彼は午後五時に肉体を離れる[49]1990年1月19日、Oshoは心臓発作のため59歳で死去した[1]。身体は1時間以内にブッダホールに運ばれ、檀上に10分間置かれた後、長い行列を従えて火葬場へと運ばれた[47]

死後[編集]

OSHO インターナショナル・メディテーション・リゾート

Oshoに特定の後継者はなく、すべてのサニヤシンが後継者であるとされ、プネーや世界各地の瞑想センターは弟子達が独自に運営している[48]。OSHO インターナショナル・メディテーション・リゾートは、より油断なく、リラックスして、楽しく生きる方法を、直接、個人的に体験できる場所である[52]。インドのムンバイから南東に百マイルほどのプネーにあり、毎年世界の百カ国以上から訪れる数千の人々に、バラエティーに富んだプログラムを提供している[52]

Oshoの語った何千もの講話は、個人レベルの問題から今日の社会が直面する最も緊急の社会・政治問題まで様々なジャンルに渡っていて、もはや分類の域を超えている[53]。毎日語られていたOshoの即興の講話はオーディオおよびビデオに録られ、何か国もの言語に訳され、世界中の人々に届けられている[53]。Oshoの死去後も講話の本は売れ続け、多くのファンがいる。書店では現在も、Osho名義の講話の本や、彼の講話をコンセプトにしたタロットカードのデッキ「OSHO 禅タロット」を買うことができる[39]。Oshoの講話や生み出された瞑想のベースに糸のように張り巡らされているのは、時と年代を超えた永遠の知恵が包含された高い可能性を秘めた、今日のまたはこの先の科学技術である[53]。Oshoの生み出した革新的な瞑想の数々は、加速されたペース生きる現代人に対する内なる変容の科学として広く知られている[53]

Oshoは言う、「次のことを覚えておくように。私はあなたについて話しているだけでなく、次の世代のために話しているのだということを[53]

呼称の変遷[編集]

幼名はラジニーシ・チャンドラ・モハンというが、これは「闇を照らす満月の王者」を意味する[47]

1971年、アチャリア(教師)と呼ばれていた時代が終わり、彼はバグワン(祝福されし者)と呼ばれ始める[47]

1989年、彼は「私を指すには〝シュリ・ラジニーシ〟で充分だ」と語る[47]

同年2月29日、サニヤシンたちはシュリ・ラジニーシを呼ぶ新しい尊称として〝Osho〟という言葉を選ぶ[47]。Oshoはこれを受け容れ、以後しばらくのあいだ、〝Oshoラジニーシ〟として知られる[47]

同年9月12日、「新しい人間がみんなの前に姿を現す。彼はもはやラジニーシとして知られることはない。彼はただOshoと呼ばれることになる」という本人の声明が発表され、世界中のコミューンや瞑想センターからラジニーシという名前が落とされる[47]

加えてその名前は19世紀のアメリカ詩人ウィリアム・ジェームズの言葉「オーシャニック」に由来し、大海に溶け込むことを意味するとも説明した。

1989年末、商標名は”Rajneesh”から”OSHO”に変更され、現在では日本を含め50カ国近い国で商標登録されている。日本では邦訳書や公式サイトなどが、2001年末半ばから”OSHO”、本人を示す場合は、”Osho”と英字表記されている。[54]

[編集]

1988年4月22日、翌年の4月まで続けられる禅シリーズが始まる[47]。以降、Oshoは〝無門関〟〝碧巌録〟を初め、馬祖、臨済南泉など歴代の主要な禅者の語録を題材にした一連の講話を展開してゆく[47]

Oshoは、「無思考に敬意を払うのはだけだ。あらゆる場所で、思考は最高位のものとして君臨している。思考を束縛だとするのは、禅の世界だけだ。無思考は自由だ[55]」と、言う。そして、「究極の自由は禅、自分自身からの自由だ。それは信仰として受け取るものではなく、体得するべきものだ[24]。」と言う。「禅とは、非常に単純で、無垢で、楽しい方法だ。苦行的なもの、生ー否定的なものは何もない。世俗を放棄する必要はなく、僧になる必要もなく、修道院に入る必要もない。必要なのは自分自身に入ることだ。それはどこでもできる[24]。」と、仏性を、あくまで普通で、平凡で、単純で、人間的な事柄とすること[24]を伝えた。Oshoの講話は1989年4月10日にされた、「禅宣言」(原題 The Zen Manifesto)であり、その後2度と講話をすることはなかった[56]

彼のその講話での最後の言葉は、「仏陀の最後の言葉は、サマサティだった… 自分がブッダであることを覚えていなさい… サマサティ(正念)」

「サマサティ」がOshoの最後の言葉となり、「禅」がOshoの最後のメッセージとなった[56]

同年11月16日Oshoがコミューンのプレス・リリースより、日本に関する以下の声明が発表される[47]

「私がロナルド・レーガン政権下のアメリカで不当に逮捕され、毒を盛られた時、最初の抗議は日本の禅院から出された。これは私に、日本の生きている禅の真のハートはまだ命脈を保っていて、再び鼓動し、人類の新しい夜明けの先駆けとなることができる、ということを示してくれた[47]

ドキュメンタリー[編集]

Osho達の驚異的な成功と破滅を追ったNetflixのドキュメンタリー・シリーズ「ワイルド・ワイルド・カントリー(Wild Wild Country)」(全6話)が、2018年に第70回エミー賞5部門にノミネートされ、米国内で注目を集めた[57]Oshoの思想や教えには踏み込まず、関係者を追う形をとっている[57]。映画とテレビを評価統計するサイト「Rotten Tomatoes」では、公開半年時点でのスコアは98%と高い[57]。RogerEbert.comの評論家のニック・アレンは、本作を「善と悪の複雑な定義を観客に問いかける、奥深く魅惑的な作品」と絶賛した[57]

Osho International Foundationは、残念なことに、ドキュシリーズは中心的な局面を究明していないために、ストーリーの背後にある真実のストーリーを明確に報告していません[58]。本質的には、これはホワイトハウスから下された米国政府の謀略であって、意識的な生き方に基づく共同体という Osho のヴィジョンの妨害を目指すものでした[58]。どこまで政府が影響を行使していたのかについては、情報公開法を通じた再三の申請によって初めて明らかになったのです[58]。ホワイトハウスの関与には、レーガン政権の司法長官だったエドウィン・ミースが含まれていました[58]。連邦議会では、オレゴン州選出のハットフィールドとパックウッド上院議員、そしてカンザス州のドール上院議員でした[58]。さらには移民帰化局(INS)の上級職員から地方の捜査官まで[58]。そして州レベルではオレゴン州知事アタイヤー、共和党員ロバート・スミス、オレゴン州法務長官フローンマイヤー、オレゴン州の連邦検事チャールズ・ターナー、数多くの州議会議員やその他大勢です[58]、とコメントしている。

ニューヨーク・タイムズは、シーラについてこう評している。「シーラ――5年間、紛争の中心であった彼女は現在スイスで老人ホームを所有、運営している――彼女は当時とほぼ同じように不遜で、せっかちで、軽蔑的で、おそらく妄想(または、おそらく誇大妄想)を持っているようだ。彼女はまた、巧みなパフォーマーであり、人を操るのに長けた人物であることに変わりはない。ウェイズ(兄弟ディレクター)は彼女に最初で最後の言葉を与えている。『オレゴン州の人びとはRajneesheesを隣人としていたことを幸運だと思うべきだ』と彼女は言う。このストーリーは、いっときも目が離せない」[59]



日本語書籍[編集]

講話録[編集]

バグワン・シュリ・ラジニーシ
  • 『存在の詩―バグワン・シュリ・ラジニーシ、タントラを語る』スワミ・プレム・プラブッダ訳(星川淳)訳 (めるくまーる、1977年、ISBN 4-8397-0001-X)
  • 『究極の旅―バグワン・シュリ・ラジネーシ、禅の十牛図を語る』スワミ・プレム・プラブッダ訳 (めるくまーる、1978年、ISBN 4-8397-0002-8)
  • 『草はひとりでに生える』マ・アナンド・ナルタン(中沢藤胡)訳(ふみくら書房、1978年)
  • 『Tao 永遠の大河―バグワン・シュリ・ラジニーシ、老子を語る(1,2,3,4)』 スワミ・プレム・プラブッダ訳、めるくまーる、1979-1982年)
  • 『生命の歓喜―バグワン・シュリ・ラジニーシとの対話 ダルシャン日誌』(ラジニーシ・パブリケーション・ジャパン、1980年)
  • 『あなたが死ぬまでは』マ・アナンド・ナルタン訳 (ふみくら書房、1980年)
  • 般若心経―バグワン・シュリ・ラジ二ーシ、色即是空を語る』スワミ・プレム・プラブッダ訳 (めるくまーる、1980年)
  • 『マイウェイ―流れ行く白雲の道』マ・アナンド・ナルタン訳 (ラジニーシ・パブリケーション・ジャパン、1980年)
  • 『瞑想―祝祭の芸術』 スワミ・アナンド・ヴィラーゴ訳 (めるくまーる、1981年、ISBN 4-8397-0009-5)
  • 『愛の錬金術―隠されてきたキリスト(上・下)』マ・アナンド・ナルタン訳(めるくまーる、1981年)
  • 『セックスから超意識へ』スワミ・アナンド・ニラーラ訳 (ラジニーシ・パブリケーションズ・ジャパン 1982年)
  • 『虚空の舟―荘子 (上・下)』マ・アナンド・ナルタン訳 (ラジニーシ・エンタープライズ・ジャパン 1982年)
  • バウルの愛の歌 (上・下)』スワミ・サンギート訳(めるくまーる 1983年・1984年)
  • 『オレンジ・ブック―バグワン・シュリ・ラジニーシの瞑想テクニック』スワミ・トシ・ヒロ訳 (ホーリスティック・セラピー研究所、1984年)
  • 『ダイヤモンド・スートラ-バグワン・シュリ・ラジニーシ金剛般若経を語る』スワミ・アナンド・ヴィラーゴ訳(瞑想社、1986年)
  • 『新人権宣言―バグワン・シュリ・ラジニーシ基本的人権を語る』スワミ・ヤスヒデ、スワミ・アナンド・ヴィラーゴ訳 (瞑想社、1986年)
  • 『英知の辞典』スワミ・アナンド・ソパン(めるくまーる、1996年)
  • 『魂への犯罪―バグワン・シュリ・ラジニーシ聖職者と政治家を語る』(イア・ラジニーシ・ネオ・サニヤス・コミューン、1987年)
  • 一休道歌 上』スワミ・アナンド・モンジュ訳 (めるくまーる、1987年、ISBN 4-8397-0036-2)
  • 『一休道歌 下』スワミ・アナンド・モンジュ訳 (めるくまーる、1988年、ISBN 4-8397-0037-0)
  • マイトレーヤ―バグワン・シュリ・ラジニーシ、ザ・ブッダ・ロード・マイトレーヤ』 スワミ・アナンド・ヴィラーゴ訳 (瞑想社、1988年)
  • 『大いなる挑戦―黄金の未来』創造的科学と芸術と意識の世界アカデミー日本準備委員会 監修(ラジニーシ・エンタープライズ・ジャパン、1988年)
  • 『ニュー・ウーマン誕生 : A new vision of women's liberation』(ラジニーシ・エンタープライズ・ジャパン、1988年)
  • 『信心銘』スワミ・パリトーショ訳 (禅文化研究所、1989年、ISBN 4-88182-073-7
  • 『ゴールデン・チャイルドフッド―光輝の年代 シュリ・ラジニーシ幼年期を語る』スワミ・パリトーショ訳 (ラジニーシ・エンタープライズ・ジャパン、1989年)
  • 『新人類―未来への唯一の希望』 スワミ・パリトーショ、スワミ・キャル訳 (瞑想社、1989年)
  • 『アイ・アム・ザ・ゲート 秘儀伝授と弟子の意味』 武捨宏昭訳 (パブフル、2020年)


OSHOラジニーシ


和尚/Osho/和尚
  • 『モジュッド 説明できない生を生きた人』マ・アンタール・コマルタ編、スワミ・アナンド・ニラーラ訳(和尚エンタープライズジャパン、1990年)
  • 『反逆のスピリット』スワミ・デヴァ・マジュヌ、マ・デヴァ・ヨーコ他訳 (めるくまーる、1990年、ISBN 4-8397-0057-5)
  • 『狂人ノート』マ・アナンド・ナルタン訳、マ・アナンド・プシュポ編 (Oshoエンタープライズジャパン、1991年、ISBN 4-900612-08-1)
  • 『私が愛した本〛スワミ・パリトーショ訳 (Oshoエンタープライズジャパン、1992年)
  • 『空っぽの鏡・馬祖』(壮神社、1992年、ISBN 4-915906-01-9)
  • 『マイウェイ―流れ行く白雲の道』(和尚エンタープライズジャパン、1992年)
  • 道元―その探求と悟りの足跡』スワミ・アンタール・ガータサンサ訳 (Oshoエンタープライズジャパン、1992年)
  • 『神秘の次元』(日本ヴォーグ社、1992年)
  • 『タントラ―セックス、愛、そして瞑想への道』 スワミ・アナンド・チダカッシュ訳 (Oshoコーシャ瞑想センター、1992年)
  • 『新瞑想法入門』スワミ・デヴァ・マジュヌ訳 (瞑想社、1993年、ISBN 4-8397-0070-2
  • 『これこれ千回もこれ―のまさに真髄』スワミ・アナンド・ソパン訳 (Oshoエンタープライズジャパン、1993年)
  • 『内なる宇宙の発見―呼吸・夢の超越・やすらぎ <タントラ秘宝の書1>」スワミ・アドヴァイト・パルヴァ(田中ぱるば)訳 (市民出版社、1993年)
  • 秘教の心理学』スワミ・プレム・ヴィシュダ訳 (瞑想社、1994年)
  • 『生・愛・笑い』(めるくまーる、1994年、ISBN 4-8397-0049-4)
  • 『ノーマインド―永遠の花々』スワミ・アドヴァイト・パルヴァ訳、スワミ・アナンド・ソパン照校 (壮神社、1994年、ISBN 4-915906-11-6)
  • 『源泉への道―中心へ向かう・ハートの開発 <タントラ秘宝の書2>」スワミ・アドヴァイト・パルヴァ訳 (市民出版社、1994年)
  • 第三の眼―見る技法・ブッダの愛 <タントラ秘宝の書3>」スワミ・アドヴァイト・パルヴァ訳 (市民出版社、1994年)
  • ダンマパダ』 沢西康史訳(瞑想社、1994年)
  • ボーディダルマ』(めるくまーる、1994年、ISBN 4-8397-0079-6)
  • 『沈黙の音―音を対象とした瞑想技法 <タントラ秘宝の書4>」スワミ・アドヴァイト・パルヴァ訳 (市民出版社、1995年)
  • 『オレンジ・ブック』(めるくまーる、1995年)
  • 『愛の円環―宇宙的オーガズム <タントラ秘宝の書5>」スワミ・アドヴァイト・パルヴァ訳 (市民出版社、1995年)
  • 『TAO―老子の道〈上〉』(めるくまーる、1995年、ISBN 4-8397-0081-8)
  • 『TAO―老子の道〈下〉』(めるくまーる、1995年、ISBN 4-8397-0082-6)
  • 『覚醒の深みへ―エネルギーの上昇 <タントラ秘宝の書6>」スワミ・アドヴァイト・パルヴァ訳 (市民出版社、1995年)
  • 『光と闇の瞑想―存在への回帰 <タントラ秘宝の書7>」スワミ・アドヴァイト・パルヴァ訳 (市民出版社、1996年)
  • 『奇跡の探求―覚醒の炎 <和尚初期瞑想キャンプの講話1>』 Oshoサクシン瞑想センター訳(市民出版社 1996年)
  • 『存在とひとつに―ヴィギャン・バイラヴ・タントラ <タントラ秘宝の書8>」スワミ・アドヴァイト・パルヴァ訳 (市民出版社、1997年)
  • 『生の神秘-ヴィギャン・バイラヴ・タントラ <タントラ秘宝の書9>」スワミ・アドヴァイト・パルヴァ訳 (市民出版社、1997年)
  • 『空の哲学-ヴィギャン・バイラヴ・タントラ <タントラ秘宝の書10>」スワミ・アドヴァイト・パルヴァ訳 (市民出版社、1998年)
  • 『禅宣言』(市民出版社、1998年)
  • イーシャ・ウパニシャッド―存在の鼓動』スワミ・ボーディ・マニッシュ訳 (市民出版社、1998年、ISBN 4-88178-165-0)
  • 『奇跡の探求―七身体の神秘 <Osho初期瞑想キャンプの講話2>』 Oshoサクシン瞑想センター訳 (市民出版社、1998年)
  • 『知恵の種子』(市民出版社、1999年、ISBN 4-88178-171-5)
  • 『私の愛するインド―輝ける黄金の断章』 スワミ・プレム・グンジャ訳、マ・ジヴァン・アナンディ照校 (市民出版社、1999年)
  • 『知恵の種子』(市民出版社、1999年、ISBN 4-88178-171-5)
  • 『無水無月』(市民出版社、1999年、ISBN 4-88178-167-7)
  • 黄金の華の秘密』(めるくまーる、1999年、ISBN 4-8397-0099-0)
  • 『ユニオ・ミスティカ』 (市民出版社、1999年)
  • 『夜眠る前に贈る言葉』 (市民出版社、1999年)
  • 『タントラの変容―サラハの王の歌』(市民出版社、2000年、ISBN 4-88178-177-4)
  • 『隠された神秘』(市民出版社、2000年、ISBN 4-88178-174-X)
  • 『朝の目覚めに贈る言葉』 (市民出版社、2000年)
  • 『和尚禅タロット』アナンド・二ラーラ訳(AGM AGMuller、2001年)


Osho
  • 『タントラの変容<タントラ・ヴィジョン2』(市民出版社、2000年、ISBN 4-88178-177-4)
  • 『朝の目覚めに贈る言葉』 (市民出版社、2000年)
  • 『タントラの変容 タントラヴィジョン2』 (市民出版社、2000年)
  • 『死のアート』 (市民出版社、2001年)
  • 『エンライトメント―神秘家・アシュタヴァクラ ただひとつの変革』スワミ・アンタール・ソハン訳 (市民出版社、2003年)
  • 『シャワリング・ウィズアウト・クラウズ (市民出版社、2003年)
  • 『永久の哲学1』 (市民出版社、2004年)
  • 『ラスト・モーニング・スター』 (市民出版社、2004年)
  • 『インナー・ジャーニー―内なる旅』マ・アナンド・ムグダ訳 (市民出版社、2005年)
  • 『そして花々が降りそそぐ』 マ・プレム・プラバヒ、Oshoサクシン瞑想センター訳(市民出版社、2005年)
  • 『究極の錬金術 1―古代の奥義書ウパニシャッドを語る』 スワミ・ボーディ・イシュワラ訳 (市民出版社、2006年)
  • 『永久の哲学2―ピュタゴラスの黄金詩2』(市民出版社、2006年)
  • 『サラハの歌<タントラ・ヴィジョン1>』(市民出版社、2006年)
  • 『究極の錬金術 2―人間―永遠と永遠の架け橋』 スワミ・ボーディ・イシュワラ訳 (市民出版社、2008年)
  • 『魂の科学-パタンジャリヨーガ・スートラ澤西康史訳 (LAF瞑想社、2007年)
  • 『こころでからだの声を聴く―ボディ・マインド・バランシング』 マ・アナンド・ムグダ訳 (市民出版社、2007年)
  • 『神秘家の道-珠玉の質疑応答録』 スワミ・パリトーショ訳、スワミ・アドヴァイト・パルヴァ, マ・ギャン・シディカ照校 (市民出版社、2009年)
  • 『OSHO禅タロット』アナンド・二ラーラ訳(AGM AGMuller、2010年)
  • 『探求の詩』 (市民出版社、2011年)
  • 『魂のヨーガ』 (市民出版社、2012年)
  • 『アティーシャの知恵の書 上』 (市民出版社、2012年)
  • 『アティーシャの知恵の書 下』 (市民出版社、2013年)
  • 『愛の道-神秘家・カビールを語る』 スワミ・プレム・グンジャ訳、マ・アナンド・ムグダ, マ・ギャン・プーナム照校(市民出版社、2013年)
  • 『Joy 喜び』 山川紘矢山川亜希子訳 (角川書店、2013年)
  • 『草はひとりでに生える』(OEJブックス、2013年)
  • 『究極の旅』(河出書房新社、2013年)
  • 『死ぬこと生きること』 スワミ・ボーディ・デヴァヤナ(宮川義弘)訳、マ・アナンド・ムグダ、マ・ギャン・シディカ照校(市民出版社、2014年)
  • 『存在とひとつに―ヴィギャン・バイラヴ・タントラ <タントラ秘宝の書8>』スワミ・アドヴァイト・パルヴァ訳 (市民出版社、1014年)
  • 『TAO 永遠の大河1』(河出書房新社、2014年)
  • 『TAO 永遠の大河2』(河出書房新社、2014年)
  • 『TAO 永遠の大河3』(河出書房新社、2014年)
  • 『TAO 永遠の大河4』(河出書房新社、2014年)
  • 『炎の伝承1』(市民出版社、2014年)
  • 『Courage 勇気』 山川紘矢山川亜希子訳 (KADOKAWA、2014年)
  • 『死について41の答え』OSHO (OEJブックス、2015年)
  • 『炎の伝承2』(市民出版社、2015年)
  • 『愛の円環―宇宙的オーガズム <タントラ秘宝の書5>』スワミ・アドヴァイト・パルヴァ訳 (市民出版社、2015年)
  • 『内なる宇宙の発見―ヴィギャン・バイラヴ・タントラ <タントラ秘宝の書1>』スワミ・アドヴァイト・パルヴァ訳 (市民出版社、1015年)
  • 『真理の泉』 スワミ・ボーディ・デヴァヤナ訳(市民出版社、2016年)
  • 『奇跡の探求2』(市民出版社、2016年)
  • 『Intuition 直観』 山川紘矢山川亜希子訳 (KADOKAWA、2016年)
  • 『瞑想の道』(市民出版社、2017年)
  • 『Creativity 創造性』 山川紘矢山川亜希子訳 (KADOKAWA、2017年)
  • 『夜眠る前に贈る言葉』 (市民出版社、2018 年)
  • 『朝の目覚めに贈る言葉』 (市民出版社、2018年)
  • 『ブッダ―最大の奇跡 <超越の道シリーズ1>』 スワミ・ボーディ・デヴァヤナ訳、マ・ギャン・プーナム照校(市民出版社、2019年)
  • 『瞑想録―静寂の言葉』 中原邦彦・庄司純訳 (季節社、2019年)
  • 『あなたの魂を照らす60の物語』 Amy Okudaira訳 (大和書房、2019年)
  • 『心理学を超えて1』 スワミ・ボーディ・デヴァヤナ訳 (市民出版社、2019年)
  • 『存在の詩 TANTRA THE SUPREME UNDERSTANDING』新装復刊 OSHO 星川淳訳 2020年 めるくまーる
  • 『心理学を超えて 2 』(市民出版社、2020年)
  • 『新瞑想法入門』(市民出版社、2021年)

解説[編集]

雑誌[編集]

  • 『Rajneesh times international(ラジニーシ・タイムズ・インターナショナル)』イア・ラジニーシ・ネオ・サニヤス・コミューン株式会社 編、イア・ラジニーシ・ネオ・サニヤス・コミューン、Vol.1(20 Dec. 1987)~15号(1 Oct. 1989)
  • 『Osho times international(和尚タイムズ・インターナショナル)』 和尚ジャパン 編、イア・ラジニーシ・ネオ・サニヤス・コミューン (16号-17号) → Oshoイア・ネオ・サニヤス・コミューン (18/19号-88号) → オージェーインスティテュート (89号-95号)、刊行終了
  • 月刊「ムー」1983年9月号 No.34、10月号 No.35、学習研究社「OSHO、秘教グループを語る」スワミ・アナンド・モンジュ訳

脚注[編集]

出典[編集]

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  3. ^ 『空っぽの鏡』壮神社、1992年11月30日。
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  5. ^ Mullan 1983, pp. 33.
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  9. ^ Puttick 2009, p. 269.
  10. ^ Desai 1993, p. 133.
  11. ^ Puttick 2009, p. 270.
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m 現代社会とスピリチャリティ. 渓水社. p. 65 
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  31. ^ 引用例としては、例えばピーター・ラッセル 『グローバル・ブレイン』工作舎,1994年
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  35. ^ 伊藤 1999, p. 16.
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  49. ^ a b c d e f g OSHO・反逆の軌跡. 市民出版. (2018年10月29日). p. 385~387 
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  54. ^ Osho.com_Author_Name_Change」
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  57. ^ a b c d 小池 2018.
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  59. ^ ニューヨーク・タイムズレビュー」

参考文献[編集]

書籍・論文
  • Elizabeth Puttick 執筆『現代世界宗教事典—現代の新宗教、セクト、代替スピリチュアリティ』クリストファー・パートリッジ英語版 編、井上順孝 監訳、井上順孝・井上まどか・冨澤かな・宮坂清 訳、悠書館、2009年。
  • 伊藤雅之「現代社会とスピリチュアリティ」、渓水社、2003年
  • 中外日報『インド人が語る白隠禅』、1990年3月9日
  • 現代宗教学辞典、井上順考 編、弘文堂
  • マックス・ブレッカー『Osho アメリカへの道-砂漠の実験都市ラジニーシプーラムの誕生と崩壊の真相』「OSHOアメリカへの道」プロジェクト訳、めるくまーる、2005年
  • ヴァサント・ジョシ『反逆のブッダ バグワン・シュリ・ラジニーシの軌跡』スワミ・プレム・プラブッダ訳、めるくまーる、1984年
  • ヴァサント・ジョシ『異端の神秘家OSHO・反逆の軌跡』宮川義弘 市民出版社 2018年
  • マ・プレム・シュンニョ『Oshoと過ごしたダイアモンドの日々』 マ・プレム・ソナ訳、Oshoエンタープライズ・ジャパン、1994年
  • 奥村文男「憲法20条1項の「政治上の権力」の意味について」『憲法論叢』第3巻、関西法政治学研究会、1996年、 53-69頁、 doi:10.20691/houseiken.3.0_53NAID 110002283612
  • 石村耕治、1995、「宗教集団による自治体支配の法的問題 -ラジニーシプラム市事件を素材として-」、『アメリカ連邦税財政法の構造』、法律文化社
  • 吉福伸逸、1987、『トランスパーソナルとは何か』、春秋社
  • Mullan, Bob (1983), Life as Laughter: Following Bhagwan Shree Rajneesh, London, Boston, Melbourne and Henley: Routledge & Kegan Paul Books Ltd, ISBN 0-7102-0043-9 .
  • 日家ふじ子『自分という名の迷宮 インナーラビリンス』めるくまーる、2016年
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関連文献[編集]

書籍
  • Osho (2010). Zen: Take it Easy(禅:気軽に). Diamond Pocket Books 
  • Oliver Klatt (2007). Reiki Systems of the World: One Heart - many Beats(世界のレイキシステム:たくさんの鼓動を打つひとつのハート). Lotus Pr 
  • ヒュー・ミルン『ラジニーシ ― 堕ちた神』 鴫沢立也訳、第三書館 、1991年(再版)☆ラジニーシの側近でのち離反した人物の回想録。ブレッカー『Osho アメリカへの道』によると本書は名誉毀損で訴えられている(p218)。
  • 和尚『ア・カップ・オブ・ティー Oshoラジニーシ初期書簡集』スワミ・プレム・プラブッダ, スワミ・アナンド・ソパン 訳、めるくまーる、1995年。
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外部リンク[編集]