オクシデンタリズム

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オクシデンタリズム(Occidentalism)とは、西洋の「」によって描かれる非人間的な西洋[1]逆オリエンタリズム(reverse Orientalism)とも言う[2]。オクシデンタリズムはしばしば、東洋オリエント)についての西洋的ステレオタイプを指し規定する「オリエンタリズム」の片割れである。オリエンタリズムとは、エドワード・サイードの書籍名(『オリエンタリズム』)に用いられた用語。

概要[編集]

オクシデンタリズムとは、西洋オクシデント)についての表象を指し規定するもの。二通りあり、(1)西洋世界・ヨーロッパアメリカオーストラリアニュージーランド南アフリカフィリピンを非人間化するステレオタイプ固定観念)。通常はイスラム教徒の世界に由来している。(2)西洋についてのイデオロギー的(観念的)な表象。これを用いた例は陳小眉『オクシデンタリズム:脱毛沢東の中国における対抗言説の理論』(1995年)、ジェームズ・G・キャリヤー『オクシデンタリズム:西洋のイメージ』(1995年)、イアン・ブルマアヴィシャイ・マルガリート『反西洋思想』(2004年[邦訳は2006年])などがある[3]

『反西洋思想』でのブルマとマルガリートの言では、西洋に対する国家主義的・土着主義的反抗は、近代化の社会経済的諸力に対する東洋世界の反応を繰り返しているが、その起源西洋文化にある。つまり資本主義自由主義世俗主義を、社会文化に破滅をもたらす力と見なす理想主義的過激派や保守的国家主義者の中にある[4]。初期の西洋に対する反応は純然たる異文化との出会いだったが、後に現れた「オクシデンタリズム」の多くは、東洋の知識人に影響した西洋的考えを裏返し、民族国家覇権合理性に対するロマン主義的な拒絶、自由民主主義の一般市民の精神心霊)的困窮などと化した。

ブルマとマルガリートが突き止めたところでは、そうした反抗の由来はドイツロマン主義にある。また、19世紀ロシアでの西洋化主義者とスラヴ主義者との論争や、シオン主義(シオニズム)・毛沢東主義イスラム主義イスラム教)・帝国的日本国家主義のイデオロギーに現れている論も同根である。それにもかかわらず、アラステア・ボネットはブルマとマルガリートの分析をヨーロッパ中心主義的であるとして拒絶し、オクシデンタリズムの領域は東洋と西洋の知的伝統の相互接続から浮かび上がったと述べた[5][6][7]

詳細[編集]

オクシデンタリズムは、資本主義(capitalism)、マルクス主義(Marxism)、その他の諸々の主義(ism)と同じく、ヨーロッパで生まれ、その後に非西洋世界へと移動していった[1]。西洋は啓蒙主義の源であり、世俗的・リベラル思想を生み出していったが、同時に反動的で有害な思想をも生み出してきた[1][注釈 1]。オクシデンタリズムの敵意が向けられる矛先は

である[8]

オクシデンタリズムは正当な西洋批判とは異なるもので、オリエンタリズム双子の片割れに当たる[9]。何故ならオリエンタリズムに見られる、人間から人間らしさを取り除こうとする傾向が、オクシデンタリズムの中にもあるためである[10]。オリエンタリズム的偏見の中には、非西洋人は完全な人間ではなく未成熟的で、自分たちよりも劣った人種として扱えるという前提があった[10]。オクシデンタリズムもオリエンタリズムと同様、相手を人間未満に過小評価する傾向があり、オリエンタリズムをそのままで逆写ししたものと言える[10]

西洋文化への嫌悪感や、西側諸国政策に対する批判はオクシデンタリズムではない[11]。オクシデンタリズムとは「殺人的な憎悪」であり、特定の政策や国家にではなく、ある種の生き方社会政治の在り方に向けられる[11]

西洋と近代[編集]

オクシデンタリズムで言う「西洋」と「近代」は等しい概念であり、同様に定義しがたい[12]

日本の例[編集]

一例として1942年7月、著名な学者知識人京都で開いた座談会、「近代の超克」がある[12]。出席者は日本ロマン派の作家たちや、仏教ヘーゲル哲学の影響の濃い京都学派哲学者等だった[12]。そこでは西洋化は、一種の「日本精神に取り憑いた病気」だと言われたが、「ヨーロッパのもの」だとも言われた[13]。盛んに叫ばれたのは「知識専門分化が東洋の精神文化に危機をもたらした」ことである[13]。科学、資本主義先進技術日本社会への浸透、個人的自由民主主義といった類のすべてが「超克」されねばならない、と[13]。座談会の出席者の一人、映画評論家津村秀夫は、ハリウッド映画を激しく非難し、レニ・リーフェンシュタールの撮ったナチス政治集会ドキュメンタリー映画を絶賛した[13]。強力な国家コミュニティをどう建設するかにおいて、後者の方が彼の考えに近かったからである[13]。津村によれば、西洋に対する戦いとは、「ユダヤ人金融資本」によって作られた「有毒物質文明」との戦いだった[13]。そして文化―伝統的な日本文化―は精神的かつ深遠であるのに対し、現代西洋文明は軽薄で根無しで創造性を破壊するものだという見解は、座談会の出席者たちの間で一致していた[13]。彼らの考えでは、西洋(特にアメリカ)は冷淡で機械的である[13]。そこで日本の皇道支配の下に、長い伝統を持つ東洋が統一されれば、慈愛に満ちた有機的かつ健全コミュニティを取り戻せる、とされた[14]

アジア人にとって当時―そして今日でもある程度―は、「西洋」が「植民地主義」をも意味した[15]。日本は西洋列強権力になっている考え方や技術―ヨーロッパの衣服プロシア憲法イギリス海軍戦略ドイツ哲学アメリカ映画フランス建築など様々なもの―を、「文明開化」を通して模倣適応していった[15]。このような大規模な変革で日本は植民地化を免れた上に、列強の仲間入りを果たし、1905年には近代戦を戦って日露戦争に勝利した[16]トルストイは「日本の勝利は、ロシアアジアが、西洋の物質主義(日本の近代軍備)に屈した結果だ」と評している[16]。だが日本より少し前に近代化していたドイツと同様、急激な近代化を行ったことで、日本社会には混乱がもたらされた[16]。ついには歴史をくつがえし、西洋に打ち克ち、近代的なまま理想化された精神過去に帰る方法議論されるようにもなった[17]

日本以外[編集]

ここに見られる理想意見は、イスラム急進派中国をはじめとする非西洋世界の過激なナショナリストたち、西洋内部の急進的な反資本主義者などにも共有されている[17]。そこに右翼左翼二分法は当てはまらない[17]。実際に1930年代、「近代の超克」という願望は、マルクス主義に傾倒したインテリの間でも、右翼排外主義者の間でも根強く、今日でも同じ傾向が見える[17]。嫌悪の理由はそれぞれ異なるが、アメリカ帝国主義(アメリカの文化・企業)や近代の商業都市への嫌悪は、左翼・急進的イスラム主義者・ロマンチストにも共通している[17]

政教の全体的一体化[編集]

こうしたオクシデンタリズムの核心には、「一体化」がある[18]。例えば西洋の政教分離に反して、敬虔ムスリムにとっては政治経済科学宗教は別のカテゴリーに分離できない[18]。哲学者の西谷啓治はムスリムではないが、自然科学ルネッサンス宗教改革によってヨーロッパ精神文化が崩壊したと批判している[19]。彼の理想は、政治と宗教が継ぎ目無く一つの全体を形成すること、言わば教会国家が合体することにあった[20]戦時日本の神話・宗教は国家神道だが、それは古代日本の伝統というより、前近代のヨーロッパのキリスト教曲解したことによる、近代の「発明」だった[20]。この種の国家宗教または「思考の政治」は、1930年代日本の京都から1970年代イランテヘランにいたるまで、あらゆるオクシデンタリズムに見られる[20]。この要素全体主義において欠かせない[20]ヒトラー第三帝国スターリン体制下のソ連毛沢東中国では、宗教施設から大学自然科学学部まで、あらゆる機関が全体主義思想に従うように作り替えられねばならなかった[20]

機械文明としての西洋イメージ[編集]

座談会「近代の超克」では、19世紀産業化・資本主義・自由主義経済の発展が「現代社会の諸根源」であるという指摘もあった[21]。「機械文明」や「アメリカニズム」に対して、古い文化を持つ日本とヨーロッパは立ち向かうべきという主張もあった[21]。ヒトラーは「アメリカ文明は、まったくもって機械化された文明だ。機械なしでは、インドよりもあっけなく崩れ去るだろう」と語っている[21]。日本の同盟者となったヒトラーは「アメリカニズムに対する私の感情は、深い憎悪嫌悪だ」とも述べていた[21]

ただし、アメリカ政府の行ったこと、行わなかったことは肝心ではない[22]。例えば「近代の超克」の知識人たちが論じていたのは、アメリカの具体的な政策ではなく、アメリカについての概念―根無し草・コスモポリタン(世界主義的)・皮相・些末・物質主義・混血流行中毒な文明についての概念―だった[22]。ここでも日本の知識人たちは、主に当時のドイツ言論に倣っていた[22]。その一例であるハイデッガーは、「アメリカ主義(Amerikanismus)」とはヨーロッパ魂を蝕むものだと批判した[22]。「第三帝国」というフレーズを創ったアルトゥール・メラー・ファン・デン・ブルックは、「アメリカらしさ(Amerikanertum)」とは「地理的にではなく、精神的に理解される性質のもの」とし、「人間が地球への依存から地球の活用へ移行する決定的な一歩であり、無生物すら機械化して電流を流すもの」とした[23]。つまりオクシデンタリズムで問われる「アメリカ」とは、アメリカの政策ではなく「アメリカについての考え方」であり、「のない機械化された社会」についてのに他ならない[24]

現代ヨーロッパの社会主義におけるオクシデンタリズム[編集]

ヨーロッパ社会主義者達の間の反西洋的偏見は、たとえばイスラム主義(イスラム教)的テロ攻撃の罪を西洋に負わせたり、 西洋やその同盟による行動に反対したりする反面、名の知れた西洋の敵達が同じような行動をすると支持または容認しており、オクシデンタリズムと呼ばれてきた[25][26]マーコ・アタィラ・ホォアは、ひたすら西洋的仲介に反対している初心な社会主義的「反帝国主義」は、オクシデンタリズムに等しいとしている[27]

関連項目[編集]

注釈[編集]

  1. ^ オクシデンタリズムは、フランスからタヒチ輸出された色鮮やかな布地に喩えられる[1]。布地が現地人に使われるようになると、ゴーギャン等はこれを「熱帯エキゾチズム典型」として描いたが、もとは西洋の産物に他ならなかった[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e イアン・ブルマ & アヴィシャイ・マルガリート 2006, p. 17.
  2. ^ Goodman, R. 2005, p. 69.
  3. ^ Jalees Rehman, M.D.: 'Occidentophobia': The Elephant in the Room”. Huffingtonpost.com. 2013年1月29日閲覧。
  4. ^ Hari, Johann (2004年8月15日). “Occidentalism by Ian Buruma & Avishai Margalit - Reviews - Books”. The Independent. 2013年1月29日閲覧。
  5. ^ Jul 2, 2005 (2005年7月2日). “Asia Times Online :: Middle East News, Iraq, Iran current affairs”. Atimes.com. 2013年1月29日閲覧。
  6. ^ Martin Jacques (2004年9月4日). “Review: Occidentalism by Ian Buruma and Avishai Margalit | Books”. The Guardian. 2013年1月29日閲覧。
  7. ^ Occidentalism by Ian Buruma and Avishai Margalit | The New York Review of Books”. Nybooks.com (2002年1月17日). 2013年1月29日閲覧。
  8. ^ イアン・ブルマ & アヴィシャイ・マルガリート 2006, p. 27.
  9. ^ イアン・ブルマ & アヴィシャイ・マルガリート 2006, pp. 24-25.
  10. ^ a b c イアン・ブルマ & アヴィシャイ・マルガリート 2006, p. 25.
  11. ^ a b イアン・ブルマ & アヴィシャイ・マルガリート 2006, p. 233.
  12. ^ a b c イアン・ブルマ & アヴィシャイ・マルガリート 2006, pp. 10-11.
  13. ^ a b c d e f g h イアン・ブルマ & アヴィシャイ・マルガリート 2006, p. 12.
  14. ^ イアン・ブルマ & アヴィシャイ・マルガリート 2006, pp. 12-13.
  15. ^ a b イアン・ブルマ & アヴィシャイ・マルガリート 2006, p. 13.
  16. ^ a b c イアン・ブルマ & アヴィシャイ・マルガリート 2006, p. 14.
  17. ^ a b c d e イアン・ブルマ & アヴィシャイ・マルガリート 2006, p. 15.
  18. ^ a b イアン・ブルマ & アヴィシャイ・マルガリート 2006, p. 18.
  19. ^ イアン・ブルマ & アヴィシャイ・マルガリート 2006, pp. 18-19.
  20. ^ a b c d e イアン・ブルマ & アヴィシャイ・マルガリート 2006, p. 19.
  21. ^ a b c d イアン・ブルマ & アヴィシャイ・マルガリート 2006, p. 20.
  22. ^ a b c d イアン・ブルマ & アヴィシャイ・マルガリート 2006, p. 21.
  23. ^ イアン・ブルマ & アヴィシャイ・マルガリート 2006, p. 21-22.
  24. ^ イアン・ブルマ & アヴィシャイ・マルガリート 2006, p. 22.
  25. ^ Nick Cohen. “Jeremy Corbyn isn’t anti-war. He’s just anti-West”. 2015年12月12日閲覧。
  26. ^ Christopher Hitchens. “A man with a score to settle. Christopher Hitchens: review of What’s Left”. 2015年12月12日閲覧。
  27. ^ Jeff Weintraub. “Occidentalism and Anti-Imperialism (Marko Attila Hoare & Ian Buruma)”. 2015年12月12日閲覧。

参考文献[編集]